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第39話


「それにしても、ひまだぁ……」

 しんとした空間に、私がぽつりと放った言葉が木霊した。

 ここは牢獄。そして、私の名前はローズマリー・ベリーズ。リカール王国中に名の知れた極悪令嬢である。

 とはいえ、私はもともと、現実世界のブラック企業で社畜として働いた挙句、過労死した残念な会社員だった。

 ところが不思議なことに、死ぬ直前、私は同じく死を目前にした異世界の少女、ローズマリーと出会った。

 そして、ローズマリーと私の生きる世界を交換することで、死を逃れることができたのだ。

 しかし、入れ替わったローズマリーはなんと、無実の罪で投獄された死刑囚だった。

 そのため私は、ローズマリー(じぶん)の死刑を回避するべく、騎士であるアベルの力を借りて、彼女を陥れた犯人を探しているところなのである。

 とはいえ私は牢獄から出ることは許されないし、犯人探しのほうは、今ではすっかりアベルに任せきりになってしまっているのだが……。

「おー。なんだなんだ。今日はひとりでひまそうじゃないか、ローズマリー」

 暇を持て余し、ベッドに転がっていた私に声をかけてきたのは、監視官であるルドヴィックだった。

 ルドヴィックは、囚われの身である私の唯一の話し相手である。

「だって最近、アベルもテオも、ちっとも顔を見せてくれないんだもん」

 やってきたルドヴィックのほうへ視線だけ向け、私は不貞腐れたように文句を垂れる。

「まあ、ふたりとも騎士さまだからな……。仕事が忙しいんじゃないか?」

 それは分かっている。

 しかし、アベルといえば、最近は暗殺未遂の真犯人に関する報告にすら来てくれていない。真面目な彼のことだから、もちろんちゃんと調べは進めてくれているのだろうとは思うけれど……。

 と、考えていると、ルドヴィックが突然ハッと顔を上げた。

「そうだ! ローズマリー! そんなにひまなら、ちょっと俺のことを助けてくれないか!?」

「助ける? ……って、もしかしてルドヴィック、またエミリーさんと喧嘩したの?」

 ルドヴィックは以前、奥さんと喧嘩して危ないキャンディに依存しかけたことがあるのだ。

 思わず心配になって訊ねると、ルドヴィックは眉をしかめて「違うよ!」と言った。

「そうじゃなくてさ……実は今、面白い物語を考えなくちゃいけないことになってるんだけど、ぜんぜん思いつかなくて」

「面白い物語?」

 私は首を傾げる。

「……って、なんでまた?」

 ルドヴィックは王宮が管理する牢獄の監視官である。そして、ルドヴィックの妻であるエミリーさんは、専業主婦のはず。物語を作るだなんて、いったいどうしてそんなことになったのだろう。

 突拍子もない話に驚いて訊ねると、ルドヴィックはやれやれといったように肩を竦めて話し出した。

「実は、ちょうどこの前、エミリーと街の大劇場に行ったんだよ。エンコール劇場っていう、かなり古い劇場なんだが、エミリーの友だちが出演することになったらしくてな」

「へぇ……」

 ルドヴィックはどうやら、エミリーさんの知り合いが出演することになった舞台を見に行ったらしい。

 それにしても、演劇という娯楽がこの世界にもあったとは驚きだ。うすうす感じ始めてはいたけれど、この世界は案外私が生きていた世界とそう変わらないのかもしれない。

 もし、ローズマリーが無罪となって、いつか外に出られたなら、じぶんの足でこの世界を見て回ってみたい……と、考えたところで本題を思い出す。

「それで?」

 私は話の続きを催促する。ルドヴィックは頷き、話し出す。

「その演目の終演後、友だちの楽屋に招かれたんだが、そこで最近近くにできた新しい劇場の話になってな」

 最近、街にもうひとつ劇団ができたという。

 その劇団は、魔法を盛大に使った派手な演出が売りの劇団で、開場して間もなく話題となり、あっという間にエンコール劇団の古参客をかっさらっていってしまったのだとか。

「エンコール劇団はもともと経営難ではあったらしいんだが、新興劇場に客をとられたせいで、さらに経営難が深刻なものになってしまってな。とうとう、存続が難しいほどになってしまったらしいんだ」

「それって、劇団が潰れちゃうってこと?」

「ああ」とルドヴィックはひどく悔しげに頷く。

 街でいちばんに古い歴史を持つ劇団であったために、演劇に詳しくないルドヴィックもショックだったのだろう。

「でも、こればかりはどうしようもない気がするんだけど……」

 私にできることがあるとは思えない、と言おうとすると、ルドヴィックが遮った。

「違うんだ、聞いてくれ!」

「ん?」

「新興劇場が正々堂々と中身で勝負をしたのなら、俺も仕方ないことだと思う。ただ……」

「ただ?」

「実は、新興劇場の団長が、裏でうちの脚本家に接触していたらしくてな。発表予定だった新作の脚本を盗まれてしまったんだ。それだけじゃなくて、これまでエンコール劇場で上演する物語を考えてくれていた脚本家も、あちらに引き抜かれてあっさり辞めてしまったらしくて。新作も脚本家もいなくなったせいで、エンコール劇団のほうは舞台を上演することもできなくなったってわけだ。おかげでさらに客足も遠のいてっていう悪循環。酷い話だろ?」

 なるほど。たしかにそれは、ルドヴィックが悔しげにしていたことも理解できる。

「それで、ルドヴィックが新しい物語を考えてるってことなのね」

 確認すると、「あぁ」とルドヴィックは頷いた。

「劇団も新しい脚本家を募ってはいるんだが、業界でも経営難であることが噂で広まっちまってるからか、なかなか見つからなくてな。物語も、俺だけじゃなくてみんなで考えてるんだけどさ……。そう簡単に客足を戻せるほどの傑作なんて、思いつかなくてな」

 まあ、それはそうだろう。

「でも、エミリーはその友だちのために、どうしても劇団を助けてあげたいってきかなくてさ」

「そっか。優しいひとなんだね。エミリーさん」

 すると、ルドヴィックは少し照れ臭そうに笑った。

「まあな。エミリーは気が強いところもあるけど、ふだんはすごく優しいんだ」

 ふたりの仲の良さが垣間見えて、ちょっとほっとする。

「だからどうにかしてあげたいんだけど、じぶんで言うのもなんだが、俺は脳筋だからな。ひとさまを感心させられる物語なんて考えられるわけもなくて」

 と嘆くルドヴィックに、私は苦笑を漏らす。

「物語か……」と、私は腕を組む。

「ローズマリー、なにかいい案はないか?」

「うーん……」

 演劇については、私は特別詳しいわけではない。現代で生活していた頃は、演劇を観に行く余裕なんてなかったし、見たことがあるとすれば、学生時代の文化祭などで上演されたものくらいだが……。

 ふと、思いつく。

「それなら、ひとつだけいいものがあるかも」

 ルドヴィックの視線がきらんと輝く。

「ほ、本当か!? ……あ、でも、既にある話じゃダメだぞ。今回の脚本は、完全オリジナルで行きたいらしいんだ」

 期待の眼差しから一転、心配げな眼差しを向けてくるルドヴィックに、私は得意げに笑ってみせる。

「それに関しては大丈夫だよ。たぶん、このお話を知っているひとはいないと思うから」

 あくまでこの世界には、という話だが。

「そうか!」と、ルドヴィックの瞳が再びきらりと輝く。

「それなら安心だ! それで、ローズマリーの知ってる話とは、いったいどんな話なんだ?」

 ルドヴィックが興味津々に身を乗り出す。

「うん。じゃあちょっと見ててくれる?」

 両手をきゅっと握り合わせて空を見上げ、悩ましげな表情で、かの有名なあのセリフを言って見せた。

「あぁ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの」

「…………?」

 私の独白を聞いたルドヴィックは、きょとんとしている。

 期待どおりの反応。しかし、これで確信できた。この世界のひとは、ロミオとジュリエットのお話を知らないということだ。

 私が演じてみせたのは、あまりにも有名なシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の一説だ。

 以前の世界では、演劇に詳しくなくても知らないひとはまずいないだろうこの物語のフレーズに、今のような反応を見られるのは新鮮なことこのうえない。

 さて、この物語の感動を届けるにはロミオとジュリエットのお話すべてを把握してもらう必要がある。しかし、演技経験のない私に、まともな朗読ができる気はしない。

 であれば、である。

「ねえルドヴィック。紙とペンある?」

「紙とペン?」

「そう。今からちゃんとした物語を書いてあげる」

「分かった。ちょっと待ってろよ」

 言いながら、ルドヴィックはもぞもぞとポケットをまさぐる。しばらくして、「あったぞ!」とルドヴィックが懐から出した紙とペンを私に差し出した。

「これでいいか?」

 ルドヴィックに礼を言って紙とペンを受け取り、そのままの流れで文字を書く。ローズマリーの記憶がかろうじてあるおかげで、この国の文字が書けるのは幸いだった。

 ロミオとジュリエットのお話を、私は完璧に把握しているわけではない。けれど、おおまかなあらすじは覚えている。

 筋書きさえあれば、あとは劇団員たちがうまく演出してくれるだろう。

 完成した原稿を、私はルドヴィックに渡す。

「できたよ。これを劇団のひとに見せてみて」

「おう。助かったよ、ローズマリー!!」

 ルドヴィックは心底嬉しそうに私に微笑みかけたあと、軽やかな足取りで牢獄から出ていった。

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