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第40話

 ――舞台は、ヴェローナと呼ばれる架空の街。

 モンタギュー家とキャピュレット家は、代々対立していた。モンタギュー家の一人息子、ロミオはとある少女に片思いをしていたが、上手くいかず、気晴らしにとキャピュレット家のパーティーに忍び込む。そしてそこで、ロミオはジュリエットと運命的な出会いを果たす――。

 恋に落ちたロミオとジュリエットは、修道僧のもとで密かに結婚するが、直後、ロミオの親友マキューシオがジュリエットの従兄弟であるティボルトに殺されてしまう。

 怒ったロミオは、マキューシオを殺害。罪人となったロミオは最愛のジュリエットを残して立ち去るが、ジュリエットはロミオと幸せになるため、修道僧に相談をもちかける。

 すると修道僧は、ふたりのために仮死の毒を用いた計画を立てるが、ロミオは計画を誤認してしまう。

 ジュリエットが眠る姿を見て本当に死んでしまったと思ったロミオは、自らも毒を飲み、自殺する。そして直後目覚めたジュリエットはロミオの死を嘆き、彼の短剣により後追い自殺をしてしまう。

 そして、若いふたりのできごとを知った両家はそこでようやく和解するのだった――。

 美しくも悲しい、恋の物語である。


 ルドヴィックが去ってから、なんとなくロミオとジュリエットの物語を思い返していてふと気付く。

 ――そういえば、このお話にも毒が出てくるな……。

 ロミオとジュリエットだけではない。物語にはよく『毒』が出てくる。

 ローズマリーはまるで、おとぎ話のヒロインのような女の子だな、と私は思った。



 ***



 ルドヴィックへロミオとジュリエットの物語を教えてから、数日が経ったある日のこと。牢獄へ、ルドヴィックがなだれ込むようにしてやってきた。

「ローズマリー!!」

「おわっ! びっくりした!」

 ベッドに横になっていた私は、なにごとか、と飛び上がる。見ると、ルドヴィックだった。

 私はベッドから身を起こし、興奮気味に牢の前にやってきたルドヴィックに近付いた。

「た、大変だ!」

 ルドヴィックは興奮した様子で私に言う。

「落ち着いて、ルドヴィック。なにが大変なの?」

「エンコール劇場が大変なんだ!」

 もしかして、またなにか問題があったのだろうか、と思っていると、

「前にローズマリーが教えてくれた物語が、すごい反響なんだ!」

「えっ」

 私が教えた物語というのはもしや、ロミオとジュリエットのことだろうか。

 ルドヴィックは頬を紅潮させ、私のすぐそばの地面に腰を下ろす。胡座をかくルドヴィックと向かい合うように、私も檻越しにしゃがみ込んだ。ルドヴィックが話し出す。

「実はな、ローズマリーがくれた脚本を、その日のうちに劇団に持っていったんだ。それで、団員たちみんなで少しだけ手を加えて上演したんだけど、そうしたらお客さんたちのあいだで瞬く間に話題になってな! 客足が戻るどころか毎日満員御礼で、ぜんぜんチケットが手に入らないと不満の声が上がるほどの盛況ぶりなんだよ!」

「本当に!?」

 思わず声を上げる。

 ルドヴィックによると、つい数日前まで閑古鳥が鳴いていた劇場は、現在大変なこととなっているらしい。

 私がルドヴィックに教えたロミオとジュリエットの物語は、上演するやいなや、クチコミで瞬く間に人気となり、連日大盛況ということらしい。

 エンコール劇場としてはうれしい悲鳴である。もちろん、私としても。

「じゃあ、エミリーさんの親友も、劇団も、続けられそう?」

 ルドヴィックは何度も大きく頷いた。

「もちろんだ! それどころか、今回ロミオとジュリエットでヒロインのジュリエット役をやったのがエミリーの親友だったんだがな、彼女の演技を客も団員も大絶賛してな! あっという間に看板役者になったんだってよ!」

 エミリーさんの親友の劇団員は、アナ・モレットという女性らしい。

 アナさんは、もともとかなりポテンシャルの高い劇団員だったというが、これまでは役に恵まれず、日陰の団員だった。だが、今回は物語を提供したルドヴィックとエミリーがアナを強く推したおかげで、晴れてジュリエット役に任命された。

 彼女は見事に役を演じ切り、人気に火がついたのだという。

 なにはともあれ、私が渡したロミオとジュリエットの物語は、無事ルドヴィックとエミリーさんの役に立てたようでよかった。

 笑みを浮かべて話を聞いていると、ルドヴィックが「それから」と声をひそめた。

「新興劇団のほうだが、内部でなにやら揉めごとがあったらしくてな、うちを裏切った脚本家はクビになったそうだ」

 えっ、と思わず声をあげる。

「……そのひとはどうなっちゃうの?」

 もしかして、路頭に迷ってしまうのだろうか。

「劇場が大変なときに裏切ったんだ。脚本家も、それなりに覚悟はしていただろう」

「それは……」

 たしかに、ルドヴィックの言うとおりだ。

 周囲に大きな混乱を及ぼし、迷惑をかけた。同情の余地はないのかもしれない。けれど、先がないかもしれない劇場に身を寄せ続けるということも、かなり勇気のいることだっただろう。

 なぜならこの国は、一部の上級国民を除いては決して裕福ではないからだ。特に娯楽を生業にする人間たちには、大変な時期だろう。

 現在流行病は落ち着いたとはいえ、みんな生きるほうに必死だ。娯楽になどお金をかける暇がないひとも多いはず。

 脚本家のことを一概には責められないとは思うのだが……とはいえこの感情も、私が外野の人間だから抱けるものなのだろうか。

「ま、そうは言っても、心配はないと思うぞ」

「というと?」

「その脚本家には、団長が戻ってくるよう声をかけたらしい。また劇団のために尽力してくれれば、移籍のことは不問とするってさ。劇団員たちも最初は戸惑ったようだが、なんだかんだ、これまで彼の書いてきた脚本を気に入っていたようだから、すぐにまとまったとか」

 ルドヴィックの報告にホッとする。劇団員のひとたちがみんな懐の深いひとでよかった。

「……そっか」

 私の表情で悟ったのだろう。ルドヴィックは私に向かって微笑んだ。

「本当に助かった。ローズマリーのおかげで劇場は潰れずに済んだし、劇団員たちの仕事も安定している」

「そ、そんなに感謝されるほど、私は大したことしてないって」

 私は今回、一から物語を考えたわけではない。もともと前の世界に存在したロミオとジュリエットという物語を、物語を知らないこの世界のひとにただ教えてあげただけ。労力はゼロに等しい。

「そんなことはない。エミリーはもちろんだが、劇団のみんなもローズマリーに礼を言っていたぞ。無実になった暁には、ぜひじぶんたちの舞台を見に来てほしいって」

 その言葉に、私は驚きを隠せなかった。

「もしかしてルドヴィック、あの脚本私が考えたってって言っちゃったの?」

 驚く私に、ルドヴィックはきょとんとした顔を向ける。

「べつに隠すことじゃないだろ? 正真正銘、あれはローズマリーが考えた物語なんだから。劇団にもエミリーにもそう説明して、原稿を受け取ってもらったぞ」

「で、でも……罪人の私が書いたものを、よく受け取ってもらえたね」

「たしかに最初は微妙な反応をされたけど、俺とエミリーが話したら分かってくれたぞ。なにより、原稿を読んでからはもう大絶賛だった」

「……そ、そう……なんだ」

 この世界で私は、嫌われ者だ。この国のひとたちは、私の名前が上がっただけで顔をしかめるだろう。うっかり私の名前を出したら、白い目を向けられかねない。

 てっきりルドヴィックはじぶんが考えたことにして、あの物語を劇団へ渡したと思っていた。

「……も、もしかして、名前出したの、まずかったか?」

 黙り込んだ私を、ルドヴィックがうかがい見る。動揺が混じったルドヴィックの声に、ハッとした。

「あ、いや! そうじゃなくて……」

 そうではない。

 ただ、

「……ルドヴィックは、私と知り合いだってこと、恥ずかしくないのかなって」

 国中の嫌われ者で、死刑囚だ。私の前では笑ってくれていても、さすがに外では私たちの関係を偽っていると思っていた。

「恥ずかしいだと!?」

 ルドヴィックが大きな声を出す。

「そんなこと思うわけがないだろう! バカなのかおまえは!」

 あまりに勢いよく否定され、私は思わずびくりと肩を揺らす。私の反応に、ルドヴィックはハッとしたように一度口を閉じた。あらためて、先程より抑えた声で話し出す。

「俺は、ローズマリーの無実を心から信じてる。俺だけじゃない。テオもエミリーも、アナや劇団や、脚本家たちもみんなそうだ」

 だから、とルドヴィックは続ける。

「あんまりじぶんを軽んじるな」

 ルドヴィックのまっすぐな眼差しに、口角が緩むのを自覚する。

「…………うん、ありがと」

 そわそわと落ち着かない手元を握り合わせながら、私はかろうじて礼を呟き、唇を引き結んだ。唇に力を入れていないと、涙が出てしまいそうだった。

 私は、現代にいた頃の私が大嫌いだった。

 身も心もすり減らすばかりの毎日で、けれどいくら努力をしても、私を見てくれるひとはいなかった。家族も友人も、上司も部下も、だれも……。

 辛い思いばかりしてきたせいか、現代での記憶はまるごといらないと思っていた。

 けれど、今は。

 現実世界の記憶を持ち合わせていたことに、心からよかったと思っている。

「ねえ、ルドヴィック」

「なんだ?」

「私、いつか観に行きたいな。アナさんの舞台」

 それから、エミリーさんにも会いたい。そう言うと、ルドヴィックは嬉しそうに笑った。

 不思議だ。

 これまで、いやな記憶しかないと思っていた過去。それが今、私やルドヴィックを助けてくれている。

 ルドヴィックの朗らかな笑顔は、私の胸に優しく染み入っていった。


 ――ローズマリーの死刑執行日が決定したと知らされたのは、その日の午後のことであった。


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