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第41話


 変化魔法で若い女性に姿を変えたアベルは、すっかり陽の落ちた薄暗い路地裏を歩いていた。道すがら、呼気にアルコールを纏わせた男たちのしつこい誘いを無視して、アベルは歩く。

 しばらく路地を進み、とある店の前で立ち止まった。

「ここか……」

 アベルの目の前にあったのは、大衆酒屋だった。システィーナが魔術師の男と密会していた、あの居酒屋である。

 がらりと戸を開けてなかへ入ると、「いらっしゃい!」と店主らしき男性が笑顔で迎えてくれる。

「お姉さん、ひとりかい?」

 アベルは小さく頷き、ちらりと店内を一瞥した。店の中央の席に、例の魔術師の姿があった。ひとり席だ。そのまま視線を流す。今のところ、システィーナの姿はない。

「あの、あそこ座ってもいいですか?」

 アベルは店全体を見渡せる店の奥側の席を指す。

「あぁ、それはいいけど……」

 ひとりなのに、ふたり席を示したのが気になったのだろう。男性は訝しげにアベルをじっと見つめる。

 しかし、男性からはそれ以上の意図は感じない。

 既に調査済みではあるが、彼やこの店がシスティーナの一件と関係がないことは、どうやら間違いないようだ。

 アベルは男性ににこりと微笑み、酒を一杯注文すると、ふたり席のソファに身を沈めた。

 ほどなくして運ばれてきた酒をちまちまと飲みながら、アベルは店内をざっと観察する。

 客はまばらだ。テーブル席には、若い男性四人組とカップルらしき男女が三組。ほかに、バーカウンターに個人客がちらほら。それぞれ酒を楽しんでいる雰囲気だ。

 奥にいる魔術師を見る。

 魔術師は、青白い肌に大きな目が印象的な男だった。写真で見るよりいくらか若く見えるが、黒い魔術服とフードであまりよく見えない。

 特段怪しげな動きはしていない。アベルはひとまず安心して酒をあおった。

「――おや、いらっしゃい。エラさん」

 入店から小一時間ほど経過した頃だった。

 ――来た。

 カラン、と軽やかなベルの音がして、アベルは店の扉へ目を向けた。

 システィーナが、来店した。

 アベルは素知らぬ顔のまま、手元の酒に視線を戻す。

「いつものを頼むよ」

「かしこまりました」

 システィーナは、初老の女性の姿をしていた。

 長い白髪に高い鷲鼻。口は耳元まで裂けたように大きく、目玉はぎょろりと大きく、血走っている。

 彼女の容姿については初見だったが、テオの報告にあったとおりだったので、アベルはすぐに彼女がシスティーナであると分かった。

 ――それにしても、まるで別人だな……。

 仕草も口調も、国中に親しまれている可憐な聖女・システィーナの面影はない。おそらく変化魔法を使っているのだろうが、ここまで姿を変貌させるのは並大抵の魔力ではできない。まさかシスティーナがこれほどの魔法を使えるとは……。

 そもそも聖女の特性は、祈りの力以外なにも持たないことで知られている。さらに、祈りの力は国の災厄のときにのみ出現すると言われているため、通常時の聖女はその存在をひとびとに知られることはない。しかし、システィーナに限っては特例のようだ。

 ――システィーナ・ブラシェール……いったい、何者なんだ?

 しばらく様子をうかがっていると、システィーナは酒とつまみで晩酌を済ませ、あっさりと帰っていった。

 魔術師とシスティーナとの接触は、アベルが監視していたかぎり一度もないが、ふたりにしか分からないサインを送り合っていた可能性もある。

 なにか見落としがあっただろうか、とアベルは黙考しながら魔術師を凝視していたとき、魔術師が席を立った。テーブルには、銀貨が数枚置かれている。飲み終わったのだろう。

 魔術師が店を出ていく。

 まずい。追わなければ。

 アベルも慌てて勘定を済ませ、魔術師を追った。

 店を出ると、路地の先に黒い影が見える。おそらく魔術師だろう。ほかに店を出た客はいない。

 なるべく足音を立てないように急いだ。さらに間隔を詰めすぎないよう注意しながら、後をつけていく。

 魔術師が角を曲がる。

 角に立ち、息をひそめて様子を窺う。気配はないが、すぐに曲がるのは危険だ。既にこちらに勘づいている可能性がある。もう少し時間を空けて曲がったほうがいい。

 そっと様子を窺っていると、背後の店の扉が開く音がした。

 キィ、という不気味な音とともに、視界の端で光がじわりと漏れ出る。

 どきりとした。アベルは恐る恐る振り向いた。ごくりと息を呑む。それはまるで、油が切れた機械人形のような仕草だった。

「…………」

 光のなかに、ひとりの男が立っている。男は、アベルに向かってゆったりとした口調で言った。

「なにか、私に御用でしょうか?」

 開いた扉の前に立っていたのは、魔術師の――フレデリック・ゴーベールだった。

 フードの下の口元は、不敵に微笑んでいる。

「アベル=オクタヴィアン・オランジュさまですね。第一王子付きの騎士さまが、変化魔法まで使ってこんな下町までやってくるとは驚いたな」

 アベルはフレデリックを睨みつけた。

 ――後をつけていたことは、お見通しだったというわけか……。

 どうやらフレデリックは、アベルの正体にはじめから気付いていたらしい。アベルは小さく舌打ちをした。


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