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第42話

 変化魔法を解き、本来の姿に戻ると、アベルはもう一度フレデリックに向き合る。

「……フレデリック・ゴーベールだな」

「そうですが、なにか?」

 フレデリックは、本来の姿を現したアベルに驚くこともなく、涼しい顔のままそう返した。

 アベルはフレデリックへ訊ねる。

「単刀直入に聞かせてもらう。国中の商人たちに麻薬キャンディを売り捌いていたのは、おまえだな?」

「…………」

 沈黙が落ちる。落ちた静寂に、闇がじわじわと満ちていくような気がした。

「……さぁ。なんのことでしょうか?」

「とぼけるな」

 アベルは声を荒らげた。そんなアベルを見て、フレデリックはくつくつと喉を鳴らした。彼の身体の動きに合わせるように重厚な黒衣が揺れ、そのたびに地面に伸びた影が笑った。

「なら、証拠はあるんですか? 私がやったという証拠が」

「商人たちの証言がある」

 アベルは間髪入れずに答える。……が、

「そんなもの、大した証拠にはなりませんよ」

 フレデリックはアベルが翳した言葉の剣を、鼻で笑い飛ばした。アベルは奥歯を噛み、フレデリックを睨む。

「私はね、どこにでもいるふつうの魔術師ですよ」

 アベルは眉を寄せ、フレデリックをじっと見つめた。フレデリックの口調は、まるで一服中の会話のような穏やかなもので、それが余計、アベルの神経を逆撫でした。

「……なにが言いたい?」

「仮に、あなたの言うとおり、悪意を持ってキャンディを売り捌いていた者がいたしましょう。しかし、それがだれかなんて、結局分かりっこないんですよ」

「そんなことは……」

 アベルが否定しようと口を開くが、フレデリックはさらに強い口調でアベルの声に被せて続けた。

「魔術師は基本みんな同じ格好をしています。この黒衣は魔術師の正装ですからね……。それと、今は外していますが、ふだんは仮面をしている者も多い」

 フレデリックの言うとおり、たしかに魔術師は、素顔を見せない者が多い。彼らと日常的に取引をする商人たちは主に、フードに付けられた魔術師バッジを見て、各魔術師のことを判別する。

「つまり、バッジに細工してしまえば、いつでもじぶんではない魔術師に成り代わることができてしまうんです」

「だからなんだ」

「大切なことです。だって、商人たちはフードに付けられたバッジでその魔術師のことを判断するんですよ? 試しに商人に聞いてみてください。あなたが取引している魔術師のうち、顔を見たことがあるひとがいるか、と」

「……それは……」

 芝居じみたフレデリックに苛立ちを募らせながら、アベルは返す言葉を探した。フレデリックが畳み掛ける。

「商人の証言なんて、なんの信ぴょう性もないんですよ」

 そんなことは、アベルだって知っている。それでも、今この男を問い詰めなければ、自白を引き出さなければいけなかったのだ。ほかにはもう、ローズマリーを救う手段はないのだから。

「……ずいぶんしゃべるんだな」

 苦虫を噛み潰したような顔で、アベルは吐き出す。

「まぁ、そりゃ、捕まりたくないですからね」

 フレデリックは口角を上げ、肩を竦めた。しばらく睨み合ったあと、フレデリックはふう、と息を吐いた。

「とにかく、私を捕まえたいなら証拠を掲示してください。証拠がないなら私にはもう、今後一切かかわらないでいただきたい」

 フレデリックが背中を向ける。

「待て! 話はまだ終わっていない」

「終わっていますよ。少なくとも私はもう、話すことはありません」

 フレデリックは足を止めない。焦燥に駆られたアベルは、腰に差していた剣をかまえた。フレデリックの喉元に切っ先を向け、アベルは低い声で言う。

「待てと言ってるだろう」

「……なんの真似ですか」

 フレデリックは怯むことなく、アベルを見据えた。

「証拠がない? たしかに、商人の証言だけでは証拠として弱いだろうな。それなら今ここで自白しろ。それがなによりの証拠になる」

 フレデリックが目を伏せる。そして、やれやれといった口調で言った。

「強要は良くないですよ」

「おまえのせいで、ひとりの罪なき命が失われかけている。おまえはそれに対して、なんとも思わないのか」

「あなたこそ、最初から私を犯罪者だと決めつけて、剣までかまえて脅すようなことまでして……。それこそひどい話だと思いませんか? あぁ……もしかして、あなたのいう麻薬キャンディでも舐めて、錯乱しているんでしょうか?」

「……おまえ……っ!」

 おちょくられ、衝動的に斬りかかりそうになるアベルに、フレデリックはさらに告げる。

「私を斬り殺しますか? 彼女のために」

 その瞬間、アベルは金縛りにあったかのように動けなくなった。次第に、かまえた剣がぷるぷると震え出す。

「ずいぶんと愛されているんですね。国に災いを生したご令嬢のことを」

「…………」

 手の力を抜き、アベルは目を伏せて深呼吸をした。剣を下ろす。

 ――ダメだ。

 これ以上、この男にはなにを言っても無駄だろう。

 今日は出直したほうがいい。

 ――大丈夫。

 アベルは心のなかで言い聞かせる。

 まだ時間は残されているのだ。焦ることはない。

 ローズマリーを救うためには、システィーナの本性を暴くことが必要不可欠。そしてその真実を、ロドルフに知って、且つ信じてもらう必要がある。

 そのためにも、アベルにはシスティーナが悪事を働いているという確固たる証拠が必要だった。

 しかし、アベルは現状、フレデリックの言うとおり商人の曖昧な証言しか持ち合わせていない。

 今のアベルには、ローズマリーを救うための武装がまるで足りなかった。


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