瞬間部屋の中に展開されている全ての魔法陣が一斉に砕け散った、精神寒波を押し返し多重結界すら砕く恐ろしいほど強い法術。シトラは未だ経験した事の無い事象をその目で見た。あたりの時間が戻ってゆく、レイの体が僅かに横にそれた時それは姿を現した。法術を使ったのはメルだ、その体は僅かに宙に浮いている。
「っ!」
カルナックが無音でシトラのすぐ横へと近づいて来ていた、シトラの目にはまさに抜刀する瞬間が映し出されている。だがカルナックの抜刀よりシトラが先に右足でカルナックの刀を押さえた。ほぼ同時に行われたように見えるあまりの速度にレイ達は目で追うことが出来ていない。
「仕方ないわねぇ、また会いましょう先生」
「行かせません!」
再び辺りが凍り付く、今度は時間が止まったかのような錯覚さえ覚えるような感覚だった。いや、正しくは時間の経過が恐ろしく遅くなったというべきだろうか。体が動くようになった時カルナックの目の前にいたシトラは忽然と姿を消していた。
「逃げられましたか」
抜刀の途中だった刀を鞘へと納めるとメルへと視線を移した。ゆっくりと床に着地しするメルだが体中のオーラが消えたとたんに糸が切れた操り人形の様にバランスを崩した。それをすぐさまレイが受け止めて抱きかかえる。
「一体全体何がどうなってるんですか先生」
「話は後です、先にメル君を休ませてあげましょう。あれだけ膨大なエーテルを消費した後です、意識を保っているのが不思議なくらいです」
確かにメルの意識は朦朧としていた。だが一体彼女のどこにそんなエーテルが貯蓄されていたのだろうか、彼らの目に映っているメルはその辺にいる普通の女の子である。格別旅人と言う訳でもなく、仮に旅人というには貧弱すぎる。しかし実際に起きた事を考えるとその考えを改めなくてはならない。法術が苦手というアデルですら剣聖結界発動でまともに操作できる精神寒波の抑制を普通の一般人が――それも氷雪剣聖結界を身にまとっているシトラの精神寒波を跳ね退け体を束縛する法術をカルナックより先に解除した技量、その二つを取っても尋常ではないことが分かる。
ソファーに寝かせられたメルを心配そうに見つめるレイとプリムラ。その後ろでカルナックは一度深呼吸をして事の次第を整理し始めた。
「参りましたね、シトラ君がまさか帝国側にいるとは思いもよりませんでした。てっきりフィリップ君の元で仕事をしているとばかり思っていたのですが」
「そんな事よりこれからどうするんだよおやっさん、レイヴンだけじゃなくシトラまで相手じゃ流石に分が悪くねぇかこれ」
アデルの言うとおりだ、剣聖結界使いが二人になってしまった事により戦力は均衡もしくは彼方側が多少有利になっている。流石のカルナックと言えどレイヴンとシトラの二人が相手では分が悪い、そこにレイ達四人の力を合わせたとしてもどれほど持ちこたえられるか正直不明だ。
「私も……一緒に行きます」
突然聞こえた声にカルナックが反応する、額に濡れたタオルを当てているメルがか細い声を上げていた。
「駄目だよメル危険すぎる、君はアリス姉さん達と一緒にここで待つんだ」
「そうですよメル君。レイ君の言う通り相手は剣聖結界使いです、危険すぎます」
レイとカルナックが続けて説得するがメルは首を横に振って上体を起こした。
「嫌です、レイ君に牙を向けた人を私は許すことが出来ません。それに私ならシトラさんの結界を抑え込むことが出来ます、連れて行ってください!」
しかしまだフラフラとしているその体を見て誰がうんと言えるだろうか。否、気持ちは有り難いが先ほどの事を考えるともって数秒、抑え込むことが出来たとしても直ぐにエーテルが底を付いてしまえば話にならない。
「それでも駄目だよ、シトラさんの目を見ただろう? わずかな間だけど一緒に旅をしてきた時のシトラさんとはもう別人なんだ、僕達を全員皆殺しにしようとした目だ」
もう一度レイが優しい顔で諭す要因話した、その顔を見てメルはレイの気持ちが絶対に曲がらないと知る。あきらめたのかもう一度ソファーに横になるとカーディガンのポケットから一つの指輪を取り出してレイに渡す。
「じゃぁせめてこれを持って行って、法術を緩和することが出来る指輪……シトラさん相手ならきっと役に立つから」
無理をしていただろう、指輪を渡すと意識を失ってしまった。完全にエーテル切れである。指輪を右手人差し指にはめると立ち上がってアリスにお願いをする。
「メルをよろしくお願いします」
「分かった、けどちゃんとみんなで帰ってくるのよ?」
「はい、必ず」
その日、彼らは翌日を待つことなく荷物をまとめて旅立つことにした。一刻も早く帝国より先に瑠璃を確保するために彼等五人は旅立つ。