目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

僕の中へ

 遡ること数分前、純粋な眼差しで町の行き止まりにある狩人小屋に到着した。

 足元は白く、胴体に上がっていくにつれ、茶と灰が混じった毛となる体長130センチの狼。

 扉を前脚の爪で引っ掛け、自分が来たことを知らせる。


『ボクだよ! なんともない?』


 無邪気に呼びかける。

 内側から硬く床を叩く音に、狼は扉から2歩後ろに下がった。

 少し遅れて、扉がゆっくり、隙間から同じ琥珀の瞳と合う。


『あぁ良かった、どうぞ入って。赤ずきんは?』


 ボロ布に全身を包んだフーゴは、安堵した吐息で招く。

 リヒャルトは不安に支配された表情のままフーゴの傍に寄る。


『警察のところにいるよ、ワルフリードがいなかったから見に来たんだ』

『こっちには、来てない』

「多分母さんのところ。嫌いなピアノをやらせるために、2人して僕をイジメるんだ……もうこの町はヤダ、フーゴ、どこかに行こう。フーゴとなら僕どこでも行く」

『それは僕も同じだ。リヒャルトだけだよ』

『仲良しだねっ』


 ふさふさの尻尾を横に小さく振る。


『君だって、そうだろ?』

『うん! ボクたち愛してるもん』


 きょとん、と傾げたリヒャルトと、瞬きの間だけ置いて行かれたフーゴは、同時に綻ぶ。


『いい響きだね』

『でしょ、言葉にしなくても伝わるんだって』


 束の間の歓談を過ごしていると、尖った耳がピクリ、と動いた。

 フーゴは急いでリヒャルトを覆い抱き、窓の下に屈む。


『誰か来た、でも赤ずきんじゃない、ニオイが全然違う』


 鼻から仕切りに息を出した狼は、扉の隙間から外の様子を見てみる。

 寡黙を貫く背広の男が、自動拳銃を片手に狩人小屋に向かって、じりじりと近づいていた。


『ワルフリードだよ。逃げなきゃ、裏口ってないの?』

『他はない。僕が隠れ家として使う時に、全部調べてある』

『そうなんだ……ボクにまかせて。絶対に出てきちゃだめだよ』

「でも」


 不安げなリヒャルトに対し明るい調子で、


『大丈夫、これでも赤ずきんと旅して色々学んでるもん』


 楽天的に答えた。

 鼻先で扉を押し開けると、ゆっくり姿をワルフリードの前に現した。


「パック、か」


 咄嗟に銃口を向け、渋い声で狼を見て呟く。


『ぱっく? なにそれ、ボクはボクだよ』

「調査隊が名付けた……坊や、貴重な種類を撃ち殺したくない、そこをどいてくれないか」


 後ろ脚に重心を寄せ、地面を踏みしめると、牙を剥き出しに威嚇。


「坊や」


 グリップがギリギリと鳴る。

 ワルフリードの瞳は愛想すら浮かべられない。

 空に甲高く叩きつける破裂音が響き渡った。

 地面が抉れ、土煙が風に持ち去られる。


「……」


 ワルフリードの視界から狼の姿が消え、銃を構えたまま向きを変えた。

 どこにもいない。

 荒れ狂う吐息も、土を引っ掻く爪の音も聞こえない。

 気配すら感じ取れない静けさのなか、ワルフリードの肩に深く重い物が沈み込んだ。

 突然のことに痛みが遅れ、銃が離れていく。

 倒れ込んだあと、太い叫びを上げた。


『ペッ、不味い』


 血が流れる肩を押さえ、牙を赤く染めた狼を睨んでいる。

 鋭い琥珀の眼光と合う。


『ねぇおじさんがアーサーを殺したの?』 

「ぐ……くそ」

『ちゃんと答えてくれないと、噛み千切るよ』

「あぁ……そうだ」

『どうして、アーサーはとっても良い人なのに、どうしてフーゴに罪を着せたの?』

「……軍が憎い、婚約者をレイプしたうえ、無惨に。フーゴ……」

『フーゴはフーゴだよ。おじさんが脅した』

「あぁ、あのヴォルフ……はぁ、どうでもいい。リヒャルトが邪魔だった」

『どうして?』

「彼女は、もう、俺の女だ」


 グルグルと唸るが、ワルフリードは口を閉ざす。


「狼クン!」

『あっ』


 純粋に染まった琥珀は、慌てた透き通った声に惹かれていく。

 赤いコートにボルトアクションライフルと45口径ダブルアクションリボルバーを携えた美しい女性、赤ずきん。

 状況を碧眼に映したあと、あぁ、と理解する。


「やり過ぎてない?」

『赤ずきんほどじゃないよ、加減してる』

「はは、とにかく君が無事でよかった」


 胸を撫で下ろす。


「ワルフリード!」


 遅れてやってきたギャロンは、血まみれの相棒のもとへ駆け寄る。


「本当に、お前がやったのか……俺達は警察だってのに」


 血まみれの肩に止血を施し、悔しさを噛み潰した声で絞り出す。


「ギャロン、すまない」

「クソ、否定ぐらいしやがれ!」


 赤ずきんは2人をその場に放置し、狩人小屋の扉を開ける。

 隠れているフーゴとリヒャルトはお互い安心に満ちた笑顔を浮かべた。


「さて、さっさと町から出た方がいいですよ。どのみち、ワルフリードさんは生きてますし、捕まってもいつかは出てきます」

『うん、うん』

「良かった、ホントに良かった。フーゴは捕まらないんだよね?」

「大丈夫ですよ、さぁ今のうちに」


 小屋を出た。

 リボルバーの銃口をギャロンとワルフリードに向ける。


「狼クン、彼らを外まで護衛してあげて。私はここで見張ってる」

『分かった!』


 狼は外へと導く。

 リヒャルトを胸に抱え、ボロ布で全身を包んだフーゴは進む。


『森に行こう、あそこならみんなが仲良く暮らしてる』

「森の奥の奥にあるって噂の町だね」

『ねぇねぇそこってどんなところなの?』

『それが、僕もよく知らないんだ。ただ僕と同じ奴がいて、共存してる。とにかくそこを目指すよ』


 外に出て、ようやく顔部分のボロ布を取り外す。

 黒い体毛に垂れた琥珀の目、突き出た大きな口と鼻、鋭い牙。


『気を付けてね、外じゃ人食いもいるし、甘い言葉で誘拐してくる奴らもいるんだ、他の人を簡単に信じちゃだめだよ』


 親切心を込めた忠告。


『うん、ありがとう、気を付ける。僕はリヒャルトだけを信じる』

「僕も、フーゴだけ」


 優しい笑みのあと、破裂音が響き渡った。

 フーゴの腕に重い衝撃が走る。

 貫く弾丸。


『えっ、えっ、なに?』


 狼は急いで振り返ると、疲れた顔の女性が立っていた。

 銃を両手にしゃがみ込み、静かに泣いている。


「あぁぁ、ぁあリヒャルト……ぁあごめんなさい、ごめんなさいぃ」


 胸から血が噴き出て、サスペンダーの服が真っ赤に染まる。


『リヒャルトがっ』

『そ、そんなぁ、そんな……リヒャルト! 嘘だ、嘘だ嘘だ!!』


 血まみれの腕で、顔を寄せた。

 遠い目をしたリヒャルトは、一言も話さない。

 銃撃を聞いた警察が駆けつけ、女性は捕らえられる。

 騒ぎのなか、赤ずきんがギャロンと共に戻ってきた。


「リヒャルトの母親だ。クソっ今度はなんだよ」

「狼クン……何があったの?」

『な、何って、リヒャルトとフーゴが撃たれたんだ!』


 振り返ると、忽然と姿を消し、フーゴもリヒャルトもいない。


「いないよ、撃たれたの?」

『うん、ニオイだって……こっちに続いてる!』


 狼は駆け出した。


「狼クン、急ぐと危ないよ」

『こっち!』


 赤ずきんを置き去りにする勢いで走り、ニオイと血痕を辿ると、町から離れた小さな森に辿り着いた。

 ニオイに集中しながら、どんどん中に入っていくと、生々しい肉が潰れる音が聞こえてきた。


『えっ』


 涙を流し、口を真っ赤にしたフーゴ。


『やぁ、君か……人食いになったわけじゃないんだ……僕は気付いた、君が言っていた愛している。僕はリヒャルトを愛してたんだ……』


 気の抜けた、現実と妄想の狭間に置かれた声色。


『あ……ぅ』


 引き攣る狼は、後ずさる。


『君だってきっとそうするよ、これは本能だと思う。リヒャルト……僕も愛してる』

『…………』


 狼は、そっと森から離れた。

 追いかけてきた赤ずきんと途中で再会。

 狼は何も言えなかった。

 ボロボロと涙が零れ、足元に擦り寄っていく――。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?