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 パトカーが停止したのは、邪馬斗市北区に位置する雑木林だった。


 この辺りはまだ自然も多く残っており、手入れされずに放置されていたその区画も、元は個人のものであったらしい。


 相続関係が煩わしく手放されたのだろう。


 管理は市のものになっているようだが、整備されたのは随分前のことのようだ。


 辺りは森とも山ともつかぬ鬱蒼とした木々に覆われ、少し足を踏み入れれば表の細道から奥の様子は伺えなくなる。


 到着した現場には既に何台ものパトカーが停められており、赤色灯と黄色の規制線が物々しく辺りを威嚇していた。


「トッキー……来たのはいいけど、これ入れんの? オレら警察じゃないじゃん」


「普通なら無理だ。見てみろ」


 トントン、と自らの手首にはめたマフツノバンジョウの盤面を叩いてみせるトキヤにつられてイサリが自分の端末を見やると、アラートのアイコンがチカチカしていた。


 アナグラが空いた何よりの証拠だ。


「さっきの男の死体が見つかったなら、人間技じゃ絶対不可能な現場になってるはずだ。一応形式的に鑑識は入るけど、どの道ウチに連絡が来る。今回はたまたま出動要請より俺たちが早かっただけだ」


「ほーん……オッケ!」


 言うなり、イサリはダッと先んじて駆け出してしまう。そして案の定、規制線の前に立ち塞がっていた制服警官たちにとっ捕まっていた。


「ちょっ、ナカツドの隊員だっつってんじゃん! 死体あるだろ、捜査に来たの! 中入れて!」


「何を訳の解らんことを言っとるんだ君は! 帰りなさい!」


「関係者以外は立入禁止だ! 遊び場じゃないんだぞ!」


「オレ関係者なの!」


「待て待て待て……お前よく腕章だけでイけると思ったな」


 ぐいーと襟首を掴んで引き戻す。


「だってドラマとかアニメだとそんな感じじゃん! アンモクノリョウカイ的な!」


「あのな、警察側だって誰も彼もがナカツドのこと知ってる訳じゃないんだよ。公的機関とは言え、俺たちはあくまでもそっと、目立たたず、騒がず、仕事しなきゃならねえの」


「…………何か地味。協力関係ならもっとオープンにしてよくね?」


「いろいろあるんだよ、いろいろ」


 むう、と口を尖らせるイサリを下がらせて、トキヤは改めて身分証を提示した。


「失礼しました。特殊事案対策専門機関ナカツド


特殊事案対策課、実務行動部隊のイテクラと申します。この現場の責任者の方は? 少々お話を伺いたいのですが」


「いやだから、一般の人を入れる訳には……」


「あー、その二人は別にいいよ。通してあげて」


 一通りの検分は終わったのだろうか、白手袋を外しながら奥からやって来た五十代ほどのベテランらしき刑事に、制服警官たちはぴっときれいな敬礼を返した。


猿渡さわたり警部、お疲れ様です!」


「どーもー」


 彼らに軽く手を挙げてから、猿渡と呼ばれた男はややくたびれたジャケットの内ポケットから、同じように身分証を示してみせる。


「県警の猿渡です。一応、今のところこの現場では責任者かな。ナカツドさんには今から連絡入れようと思ってたんですが……えらくお早いお着きで」


「たまたま別件で近くにいまして。もしかしたら、その関係者が発見されたのかもと思ったものですから」


「……成程、素晴らしい勘働きだ。多分間違いないんじゃないですかね。あー……その、しばらく飯食えなくなりそうな遺体ですけど、ご覧になりますか?」


「ぜひ」


 間髪入れずにそう答えたトキヤに、やや呆れたように溜息をついたものの何かを納得させるためか飲み込むためか、数度うんうんと頷いてから猿渡は踵を返した。


「じゃあ、こちらへどうぞ。あ、そこで手袋とシューズカバーを借りてください。それからなるべくシートの上歩いてくださいね」


 言われた通りに手袋とシューズカバーをつけ、現場を荒らさないようになるべく注意しながら猿渡の案内で奥へと足を踏み入れる。


 あらかたの作業は終わったようではあったが、そこここで鑑識の服を着た職員たちがまだ作業を続けていた。その様を好奇心に満ちた眼差しで眺めて歩くイサリの頭を軽く小突く。


「キョロキョロすんな」


「いやだってさあ……こんなの間近で見る機会があるとは思わんかったから」


「仮にも人死だぞ、不謹慎だ」


「はーい」


 少し入ったところにはミニバンだったものが引っくり返ってペシャンコにへしゃげていた。


 まるで巨大な何かから横殴りに薙ぎ払われたかのようで、よく見ればその腹には無数の赤い小さな手型がベタベタと貼りついている。


「うっわ…………」


「何か?」


「あ……いえ、何でもないでーす」


 どうやら猿渡には見えていないらしい。


ーーでもまあ、これは見えない方がいいな……


 それを回り込んだところに男の死体はあった。


 背後から追いかけて来る何かから逃げようとしていたようにうつ伏せに倒れており、その顔は恐怖に大きく歪んでいる。


「…………ぉあ…………」


 問題はその下半分が損失していることにあった。


 おかげで傷口からはてらてらと血と脂にまみれた内臓がこぼれ出しており、噎せ返るような生臭さを撒き散らしている。


 鼻を突くエドの臭いと混ざってしまって、痛みを覚えるほどだ。


 思わず込み上げそうになった何かを辛うじて飲み込んで、イサリは両手で鼻と口を抑えた。猿渡が「しばらく飯が食えなくなる」と言ったのも決して大袈裟な表現ではない。


「まあ……見ての通り、食いちぎられて・・・・・・・ましてね」


 と場数を踏んでいるだろう刑事の顔にも戸惑いが色濃く滲んでいる。


 大人の胴体を一発で食いちぎるような生物は、少なくとも日本には存在しない。


 ましてやそれがどう見ても『歯型』ではなく、まだ歯も生えていない歯茎だけの状態のようにストンとした断面ならば尚更だ。


「間違いないな、ヒルコガミだ」


 イサリにだけ聞こえるように呟いてから、トキヤは二人の挙動を見張るように佇んでいる猿渡を振り返った。


「身元は判明しましたか?」


「ええ、まあ……あんななってますけど、車内にあった……ショルダーバッグ? あのほら、今時の子がつけてるヤツ。あの中に財布とスマフォが入ってたので」


 バキバキに画面の割れたスマフォはうんともすんとも言わないようだったが、運転免許証はちゃんと所持していたらしい。


 男の名前は遠藤亘えんどうわたる、五十二歳。同じくバッグに入っていた名刺入れに記されていた肩書きが本当ならば、ローカルテレビ局のプロデューサーであるらしい。


「……あれ? ねーねー、お巡りさん。このオッさんの荷物ってこれだけ?」


「え、ああ……いや、」


「お守りがない」


「お守り?」


 一人合点が行かないような顔をしたのは猿渡であるが、トキヤが掻い摘んで事情を説明すると解ったような解らないような唸り声を上げた。


「あー……実は、被害者の所持品は他にもまだあるんですわ。ただお守りはなかった気がするな」


「他にも……と言うと?」


「血のついたブルーシートにシャベル、軍手、タオル、キャンプ用のランタン……まあ、何と言うか、彼自身が何がしかの犯罪に関わっている可能性が高くて」


「…………っ!」


 遠藤の現場の調査は終わったように見えるのに、鑑識班が作業を続けているのは成程、その証拠を見つけようとしているのかもしれない。


 不意にふらっとイサリがどこかへ向かって歩き始める。


「カガヤ……? どうした、何かあったか?」


「こっち」


 どことなくぼんやりした調子ではあったが、その足取りに迷いはない。顔色が悪そうに見えるのは、鼻が利く彼にこの現場は随分辛いからだろう。


 鑑識班の傍らを過ぎ、さらに奥へ。


 その目はじっと地面に薄ら刻まれたタイヤ痕を追っているらしい。


 下草や落ち葉に埋もれてしまっていて、這いつくばって凝視しなければ気づかずにいただろう。


「……お前、よく見つけたな」


「何かあっちで呼んでる」


「呼んでる? 誰が」


「解んねえけど」


 要領を得ないのは、恐らくイサリ自身が考えた上での行動ではないからだ。


 やがて少し木々が途切れたところでその歩みは唐突に止まった。見れば、地面にはまだ真新しい掘り返された痕が残っている。


 これが遠藤の手によるものであれば、よからぬものが出て来るに違いない。


「…………鑑識、呼んで来るんでまだ触んないでくださいよ! 絶対にそれ以上進まないように! いいですね!」


 慌てて取って返した猿渡が、すぐに数名の鑑識班と今到着したらしき若手を引き連れて戻って来る。彼らの手には大振りのシャベルがそれぞれ握られていた。


「オッケーです」


 鑑識班が周辺も含めて現状の写真を撮り終えると、慎重な手つきで若手たちがその痕を再度掘り返して行く。


「……死体、一つじゃなかったな」


「ああ」


 そうポツリと呟いたイサリにも、おおよその事の顛末は見えたのだろう。


 一人で掘ったのだとすればまあまあな深さはあったものの、その憶測を打ち破るようなどうでもいいものが出ればいいのに、と言う希望は儚く潰えた。


 ほどなくして、穴の中からはブルーシートに包まれた少女の遺体が発見されたのだ。


→続く

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