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 歳の頃はキリカとそれほど変わらないだろう。大人びた服装とメイクでごまかしていても、未成年であるのは間違いないように思えた。


「…………呼んでたのって、この子か?」


 トキヤには聞こえない何を聞いたのかーー見やった隣のイサリは、込み上げて来る不調よりも苛立ちや嫌悪感の方が先に立つような顔をしている。


「違う……もっとこう、ちゃんとした言葉じゃなくて……」


 鑑識が遺体の写真を撮った後、傍らにしゃがみ込んだ猿渡が軽く手を合わせてから少女の上着ポケットを検め始める。


 身元が解るものがあれば御の字、と言うところではあったが、その辺り遠藤は抜かりがないようだった。


 けれど、


「ん……? 何だこりゃ?」


 その手袋に包まれた手が掴み出したのは、小さなお守りである。


 どす黒さすら覚えるほどの赤い袋には裏も表も何一つ書かれていない。それはこの小さな袋がお守りどころかその真逆の意味を持つことの証明のようだった。


「それ! 駅のコインロッカーでオッさんが取ったヤツ!!」


 鼻が曲がりそうなほどの臭気も、怨嗟のような唸り声もなくとも解る。


 イサリに叫ばれずとも、猿渡も得体の知れない怖気でも覚えたのだろう。なるべく自分から遠ざけるように指先で摘みながら、眉をしかめた。


「……鑑識よりもそちらでお調べいただいた方がいいでしょうかな? 念のため指紋だけ採取して。あとはお持ちいただいて大丈夫です。我々も報告書は上げにゃならんので、出来れば後ほど詳細の資料を共有いただければ」


「承知しました。解析班より結果が出次第、お送りさせていただきます」


 証拠品を入れるビニール袋に収められたそれを受け取ってから、トキヤは未だじっと少女の遺体を見下ろしているイサリの肩を叩いて促した。


「行くぞ」


「………………うん」


「ご協力どうもありがとうございました。諸々追ってご連絡させていただきます。もう少ししたらまた、別の班が対応に来ますのでよろしくお願いします」


「こちらこそどうも」


 濃い土の匂いと鬱蒼と空を遮る木々。


 どこかで鳴いている野鳥の声だけが、場違いにのどかで平穏だった。


* * *


「大丈夫か?」


 チカゲへお守りを提出してから待機室へ戻ると、イサリは隅のテーブルで縮こまるように背中を丸めていた。


 バカになった鼻には何がいいだろうと一瞬考えたものの、たっぷりの牛乳が入ったホットココアを差し出してやる。


 お気に入りのゲームのマスコットが描かれたマグにかその温もりにか、少しだけホッとしたらしい相方はのろのろと手を伸ばしてそれを受け取った。


「イテクラあんがと」


「ああ」


 隣に腰を下ろし、トキヤは同じように自分のマグに注いだコーヒーを静かに啜った。


 しばらくそうしてやたらと乾く喉を潤していたものの、ぽつりとイサリが口を開く。


「…………あのさあ、」


「ヒルコガミのことだろ」


「うん」


「……アレがこっち側に召喚出来るのは、元々ヒルコガミは人間だったものがヨモツドに転じたものだからだ」


「…………っ、」


 現代よりも医療や出産環境が発展していなかったその昔、そもそも赤ん坊が無事に産まれること自体のハードルが高かった。


 母体の栄養が充分ではなく死産であることも稀ではなかったし、働き手として過酷な労働に従事するため流産することも多かったと言う。


 それに加えて流行病、貧困故の間引き、口減らし、事故やかどわかしーー数え上げれば限がないほど、子供が生きると言うのがひどく難しい環境はそこここにあった。


 七つまでは神のうち、などと言う言葉が当たり前にまかり通るほど、一人前になる前に散る命がたくさんあったのだ。


「本来ならそうした子供たちもちゃんと祀って供養してやれば、この世に留まらずにすむ。産まれたかった、生きたかった、そんな根源的な渇望を抱かずに次の輪廻に戻れるんだ」


 けれど今日を生きるのに大人が必死な場合、どうしてもそうしたことは後回しになってしまう。


 そして、その積み重なり膨れ上がったエネルギーへ悪意を一滴ーーこぼした術者がいた。


「………………エドを食わせたのか」


「そうだ」


 澄んだ水にも劇毒をひと匙垂らしただけで、それは何百何千もの人を汚染し害するものになる。


 どうしようもない孤独と寂しさと虚しさから身を寄せ合うように集まり固まっていた赤ん坊たちは、たちまちの内に異形へと変貌を遂げた。


 それは別の術者によってここではない世界へと封じられたものの、以後も度々不幸な亡くなり方をした子供が出る度にこちらへと顕現するようになったのだと言う。


「ヒルコガミを召喚するには、エドと恨みつらみを抱いた赤ん坊の残滓があればいい。それにしたって古い術式だ。知ってる奴はそうそういないし、いたとしてもそれを実行に移そうとする輩は限られると思う」


「でも、今回オッさん駅で食われた訳じゃねえじゃん? 何つーか……誰でもいいとかじゃなくて、ピンポイントで狙われてた気がする」


「……これはあくまでも邪推でしかないんだが、多分あの被害者の女の子は妊娠してた。そして、それで遠藤ともめて殺された」


「……………………」


「あのお守りの中身はエドで十中八九間違いない。あの子が呪いをかけたんだ。責任から逃げようとした遠藤から、何かしらの害意を感じてたのかもしれない」


 ヒルコガミが食らうのは赤ん坊を蔑ろにした者だ。虐待死させる親、躊躇なく堕胎する親、そしてそもそもそんな気もないのに自分を産み出した親ーー遠藤にとってはまさしく、自分が撒いた種の案件である。


「……今回は祓う対象がもういない、ってことで、ちょっと消化不良な感じがするけどな……あとはもう警察の領分だ」


「自業自得じゃん。死んで当然だろ、そんな腐れ野郎」


「カガヤ、お前それ俺以外の奴の前で言うなよ」


 はっ、といつも快活で人好きな彼らしくない昏い表情を浮かべて鼻で笑うイサリに、トキヤは釘を刺す。


 獰猛な怒りを湛えた紅い双眸は、初日に引ったくり犯の少年たちをぶちのめそうとしていた時と同じ危うさを孕んでいた。


「何で?」


「俺たちの仕事はヒトの暮らしの安全を守ることだ。例え相手がどんなクソ野郎だろうと、そいつはこっちのルールじゃなくてヒトのルールで裁いて、然るべき責任を取らせるべきだ」


「本当に悪いやつは法律なんかで裁けないよ」


「今はそうでも、いつか全部白日に晒される時は必ず来る」


「…………トッキーはさ、人のこと信じてんだね」


 すっかり冷めて湯気の立たなくなったココアを見つめながら、イサリはやんわりとした笑みを浮かべる。


「は……?」


「具体的な誰それってんじゃなくて、種としてのヒトを信じてんだね。ちゃんと正しいことが正しい世界なんだ」


「カガヤ……」


「でも、オレもそっちの方が好きだからいいよ。お前が信じるなら、オレも信じる」


 にへ、と崩れる相好にふとあの日拳を振り下ろしていた時のセリフが痛烈に脳裏に蘇った。


『オレはさ、こう言う明らかに自分より弱くて力もないような相手を的にする奴が、この世で一番嫌いなの』


 遠藤が何と言って少女を丸め込んで関係を持ったかは解らない。けれど、例え「合意だ」と言われても、現在それは認められない犯罪行為だ。


 だからこそこうした結末に終息してしまったのかもしれないが、いつの世もイサリの言うように弱い立場の者が割を食っているのは紛うことなき事実だ。


ーーでも、お前は『助けてやりたい』って言ったろう……?


 自分が『大災害』の時に九死に一生を得たから、ナカツドの隊員に助けてもらったから、自分も同じようにしてやりたいのだ、とイサリはそう言った。


 ならば、その力の使い道を間違えないように誤った方角に転げて行かないように、傍らで一緒に走ってやるのは自分の役目だ、とトキヤは思う。


「だったら、俺たちがやるべきことはあのお守りを作ったやつを見つけることだ。少なくとも誰か一人は、そうやって世界の平和をぶっ潰そうとしてるんだからな」


* * *


 ローカルテレビ局とは言え遠藤がプロデューサーであるのは間違いなかったらしく、その死が伝えられるなりSNS上では大炎上が勃発した。


 警察がバキバキになった彼のスマフォデータを復旧するより早く、関係者らしいアカウントがその個人情報を流出させたのが原因だ。


 彼は昔から『パーティー』をよく主催していたらしく、そのコネクションを目的として群がる若手を食い散らすことで有名だったらしい。


 そしてその若手を目当てに集まる関係者も次々と暴露され、騒動はあちこちに飛び火した。


 芸能界ではよくあるゴシップ、と言ってしまえばそれまでだったが、掲載された写真には「現役学生」として売り出し中のアイドルグループのメンバーも写っていたため、猿渡たちも本腰を入れて動かねばならないだろう、と言うのが上の見解だ。


 殺された少女もその内の一人で、鍵垢が発掘されその過激な投稿のスクショも出回った。


『あの嘘つきクソオヤジ、絶対許さない』


『ソロデビューさせてやるって言ったのに』


『全部バラしてやる』


 図らずもトキヤの推測はほぼ正解だった。


 けれど彼女がどうやってヒルコガミを呪いとして使う手段を知り得たのか、あのお守りを入手したのか、は闇の中である。


 詳しくスマフォやパソコンのデータを解析してみても、それらしい足跡は見つけられなかったのだ。


 もしきれいさっぱりそれらを消したのだとしたら、相手は機械類にも相当詳しい輩と言うことになるだろう。


「で、君たちが持って来たこの呪いのお守りだが」


 矛盾に満ちた名称で呼びながら、チカゲがプリントアウトした情報を提示してくれる。


 成分分析の結果が詳しく書かれているものだ。


「中身はトキヤ君の睨んだ通りエドだ。それから、被害者真木田莉子まきた りこの血液が少々、これは契約の媒介用だろうな。外側の袋についてはまだ調査中だが、彼女以外に遠藤の指紋、掌紋、汗の成分が検出されている」


 この肚にいる赤ん坊の父親を殺せ、と言う呪い。故に、わざわざ遠藤が取得してあんな雑木林まで運ぶ必要があったのだろう。


 あのお守りを作った者は全部解った上で、互いの悪意を利用して筋書きを作ったのだ。


「ただ、問題が一つあってね」


「……問題?」


「中身のエドはどのヨモツドともアナグラとも違う成分で出来ている。つまり、過去のヒルコガミ召喚案件のようにいずれかの界隈のエドを採取した訳ではない」


 その場合考えられる事案は二つしかない。


 一つは、未だ顕現したことのない、あるいはナカツドが掴んでいない新たなヨモツドがこちらの世界へ侵略した可能性。


 しかし現在のシステムが整ってからこっち、探索範囲こそまだまだ絞込みが甘いと言う声こそあれど、どれほど微に入り細を穿つような小さなアナグラ、弱々しいアナグラであっても、検知出来なかった例はない。


 そしてもう一つは、


「このお守りの作り手はどう言う手段でか独自のエドを生成出来る可能性」


「…………それってマズいじゃん」


「そうだな……初めて上がって来たエドだから、今回の件が所謂実験的な初の試みだとしたら、次は本格的にあちら側からヨモツドを召喚しようと画策するだろう」


「…………っ!」


「勿論、上にも即報告を上げた。人々への対応はそちらへ任せるとしても……」


「オレらはその犯人を一刻も早く見つけて捕まえる」


「……そうだな」


 それだけではない。


 万が一それをばら撒かれでもしたら、人に、街に、どんな影響が出るか計り知れない。


 正体の見えない手にいきなり首根っこを押さえつけられてしまったかのような薄ら寒さが背筋を這う。


 この時はまだ、二人共想像もしていなかった。


 これから訪れる絶望と言う名の災厄をーー



→続く

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