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第31話 露見

 賢治がアルファードを、グラン御影503号室の駐車スペースに後方発進しようとギアを入れ替えた途端、激しい衝突音と何かを引き摺る振動が車体後部から響き、慌てて運転席から降りた。


「な、なんだよ!これ!」


 駐車スペースにはコンクリートの車止めが置かれ、駐車禁止の標識が立っていた。車のリアバンパーは無惨にも外れ、バッグドアは凹み白いコンクリート片が減り込んでいた。


「だ、誰が置きやがったんだ!」


 自宅の駐車場に置かれたコンクリートの三角錐に、賢治は呆然と立ち竦んだ。


「ち、畜生!」


 賢治は三角錐を移動させようと屈んでみたが、コンクリートの塊は微動だにしなかった。賢治は怒りに任せてそれを蹴った。革靴を跳ね上げるコンクリート。


「い、痛ぇ!くそ!」


 賢治は自慢の車を路上に放置し、マンションのエントランスへと向かった。先ほどの無駄な行為で傷ついた右足の親指が痛い。賢治は思わず顔を顰めた。


「な、なんだ、なんだこれ」


 見上げると、大理石の階段や辰巳石のフロアには、青いビニールシートが養生テープで固定されていた。


「はい、こっち」

「オーライオーライ」


 エレベーターからはカバーに包まれた家電製品が運び出され、路肩に駐車した引越し業者のトラックに積み込まれている。


(引越予定者は居ない!申請義務違反だ!違約金を徴収してやる!)


 次々と運び出される大型家具。到着するエレベーターには段ボールが満載で、賢治は肩で息をしながら非常階段を使い5階まで上らなければならなかった。


「オーライオーライ、ストップはい、ストップ」

「そっち持ち上げて、はい、OK!」


(505号室か506号室のババァだな)


 賢治は、家賃の支払いが滞りがちだった、高齢入居者の顔を思い浮かべながら廊下の角を曲がり愕然とした。


「な、なんだよ、これ、何だよ!」


 複数の引越し作業員が、503号室とエレベーターの間を忙しなく出入りしていた。


「おい!待てよ!何を勝手に!戻せよ!」


 賢治が慌ててその袖に縋り付くと、引越し作業員は訝しそうな顔をした。


「はーい、これが最後」

「オーライ、オーライ」


 賢治が寝ていたキングサイズのベッドが運び出された。慌てふためいた賢治が部屋に飛び込むと、引越し作業員が養生テープを剥がしていた。503号室はもぬけの殻となっていた。


「ど、どういう事だよ!」


 賢治が気配に振り向くと、そこには引越し作業終了の書類に署名、捺印をする佐々木の姿があった。


「さ、佐々木!」


 綾野住宅株式会社の顧問弁護士である佐々木は、住処を失った賢治に深々とお辞儀をした。


「さ、佐々木。これは何の真似だ」

「菜月さまがこちらのお部屋を売りに出されると仰いました」

「俺の部屋でもあるんだぞ!」


 寝室から足音が近付いて来た。そこには部屋の権利書を手に、微笑む菜月の姿があった。


「な、菜月!おまえ、髪!」

「切ったの、似合うでしょ?」

「そっ、そんな事はどうでも良い!これはなんの真似だ!」


 賢治が菜月に詰め寄ろうとしたが、それは佐々木によって遮られた。


「この部屋、もう要らないから売りに出そうと思って」

「俺は認めないぞ!」

「このマンションの権利書名義人は綾野菜月さまです」

「資産は夫婦の物だろう!」


 佐々木は無表情なままで静かに口を開いた。


「その件につきましては裁判所、もしくは綾野家でお話し致しましょう」

「どう言う事だよ!」

「追ってご連絡致します」


 賢治は佐々木に促されて503号室を出た。


「賢治さま」

「なんだ!」

「因みに、鍵は取り替えてございます」

「はぁ!?」

「お手持ちのシリンダーキーは破棄されても構いません」

「佐々木!おい!」

「さぁ、菜月さん、参りましょう」

「菜月!俺はどこに住めば良いんだよ!」

「・・・・」

「菜月!」


 菜月と佐々木を乗せたエレベーターの扉は、無情にも閉まった。


「な、なんなんだよ、なんなんだよ!」


 賢治がアルファードに戻るとバックミラーに駐車禁止の黄色いタグがぶら下がっていた。


「くそっ!」


 行き場のない怒りに賢治は車のボディを蹴り、フロントドアは大きく凹んだ。


「で、でもどうしたら良いんだ」


 住む場所を無くした賢治は、愛人である吉田美希に連絡を取った。ところが美希は四島工業株式会社から解雇を言い渡され、実家に戻ったと言った。


「佐々木とか言う弁護士から電話が来たの!」

「はぁ?」

「裁判所にこの日に来いって!なんかわかんない封筒も来たし!」

「何の封筒だよ!」

「慰謝料200万円とか、そんなお金無いわよ!部長、払ってよ!」

「し、知らねぇよ!」

「酷い!」


 吉田美希の自宅に内容証明郵便が届いた事を知った賢治は狼狽した。


「まさか・・・ば、ばれたのか!?」


 賢治はようやく自身の不倫行為が明るみに出ている事に気が付いた。帰る家を失った賢治は途方に暮れた。財布を開いてみたが手持ちの金は残り僅か。クレジットカードも、繰り返すホテルの逢瀬で限度額まで使っていた。


(ど、どうしたら良いんだ!?)


 カプセルホテルで数日間過ごした賢治は、銀行ATMに向かった。ところが、9月分の給与は銀行口座に振り込まれてはいなかった。


「くそっ!何で振り込まれてないんだよ!」


 金銭的に困窮した賢治は実家の父親、四島忠信の前に姿を現した。その姿は見窄らしく何日も着続けた衣類は異臭を放っていた。


「賢治、おまえ、なんて事をしでかしたんだ!」

「お、親父、なんの事だよ」

「これを見てみろ!」


 四島忠信は賢治の足元に、綾野菜月から届いた内容証明郵便をぶち撒けた。


「よその女に手を出したのか!」


 四島忠信は、内容証明郵便が届くまで我が子の愚行を気付かなかった。企業提携を結んだ綾野住宅株式会社と養子縁組を交わしたにも関わらず、その妻を蔑ろにしたとなれば四島工業株式会社の信頼は地に堕ちる。


「綾野の娘との結婚はおまえだけの問題じゃないんだぞ!」

「お、親父」


 北陸経済連合会で顔が利く綾野住宅株式会社に後足で砂を掛けたとあれば、どんな風評が立つか分からない。


「この、この馬鹿息子が!この!この!」

「や、やめてくれ。やめてくれ。」

「あなた!賢治が死んでしまいます!」


 四島忠信は激昂し賢治を殴り続けた。

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