「――承知いたしました、そのように」
「あと、言わずともがなかもしれませんが」
「わかっております、長野素子さんに関してはお任せを。万が一もなきように、対応いたします」
白衣を着たお偉いさまが恭しく頭を下げてくる。
ふと冷静になって考えればわたしみたいな子供によくできるものだと思ってしまう。
確かにわたしは有名かつ政界に加えて医療業界へと力を持つ議員の娘だけど、その繋がりはそれほど大事で強いものなのだろうかと。
「あの――」
「そのような顔をされないで下さい、鳴さん」
「え?」
「憚らず言えば少し前までのあなたにならこのようなことは言いませんでしたが。今は、どうか誇って頂きたい」
誇る? 一体何の話?
「確かに。我々としては出雲と縁を繋ぎ続けるために最大限の協力を
いきなりどうしたのよとしか思えないことではあるけれど……あぁもう、嬉しく思うのはちゃんと話を聞いてからよ、わたし。
「こうして公の権力と結びつき利益を啜る私が言うことではありませんが……鳴さんが稀人と結びついて下さったことで、我々もあなたを通じて関係することができた。稀人を研究することで、多くの命を救えることに繋がるかもしれない。腐っても我々は医療従事者です。救える命は救いたいですし、可能性を生んでくれたあなたに賭けてみたいと考えています」
……あぁ、なんだか、なぁ。
まっとうであるって言うのは、本当に素敵よね。
「わたしがあなた達を利用している、だけに過ぎませんよ」
「利用というのならそれはお互い様ですよ。重ねて綺麗ごとだけじゃあないのですから」
いつの間にか持ち上がっていた顔には絵に描いたような好々爺が映っていた。
あるいは、この白髪の増えた髪がまだ真っ黒だったころに心へ旗していた志なのかもしれない。
「それでも、買い被り、ですよ。わたしは一人じゃ何もできなかった、その自覚があります。全て、とまでは言いませんが今を迎えられたのは――」
「長野、仁君ですか」
「……恥ずかしながら、彼のおかげだと認識しています。きっかけがあったのは確かですが、ここまでの道筋を作り上げたのは彼で、わたしはついていくだけでした」
事実を述べるのならそんなところだ。
今になって。そう、今になって自分の力を使えているなんて思うことはあるけれど、それも元々は父の力だし。
「ならば我々とてそうなのでしょう」
「と、言うと?」
「彼が甲斐甲斐しく、とでも言いますか。長野素子さんの面会に来る姿を見ていると、自然になんとかしてあげたいという気持ちになります。鳴さんが彼に導かれたというのであれば、それは我々とてそうですよ。稀人だからという言葉はもう少し、別の意味で使うべきなのかもしれないと今は思います」
それなら納得だ、なんて思った自分に頭を抱えそうになるけれど。
まったく。
本当にアイツには調子が狂わされる。
でも、わたしだけじゃないって言うのはうん、安心したような、悪くないような、ね。
「少なくとも、わたしは、ですけど」
「ええ」
「彼に恥ずかしい人間にはなりたくない。そう思えるようになりました。ですので、今のわたしを買って下さっているのであれば、それはやっぱり」
「……ふふ。いえ、その先はやめておきましょう。ヤブ医者にもヤボ医者にもなりたくはありませんから」
あぁもう本当に、なんだかなぁ。
病院でのやり取りを振り返る。
成長したのか、それとも変化したのか。私自身に自覚はない。
「ただ――」
きっかけとしてアイツがあったのだけは間違いなく、揺るぎないのだと思う。
自覚がないのもそうだ。単純にアイツに巻き込まれ……いや、自分で首を突っ込んで、順応しようとした結果というか、それだけなのだから。
そんなあやふやな結果、周りの人から好意的に接されるというのが、くすぐったくて仕方ないわ。
「あぁ、もう。やっぱり、腹が立つ」
正しいのかそうじゃないのか。
結局長野仁という男に変えられた、染められてしまったことを否定できない。
それでも、そう、それでもだ。
アイツの考えを理解できるようになって、気持ちも少しは察せるようになったけれど。
……お風呂の用意をしておけと言われた理由はまったくわからない。
「……正直、どうしたものかしらねぇ」
「悪いことをした、とは思ってねぇ。が、おらぁ別に抵抗しねぇからてめぇの好きにすりゃいい」
「ぐるる……!」
仁がディアパピーズに連れてきた男は、ちょっと前にカイルたちとついでにわたしを誘拐した犯人のうち一人だった。
まさかコイツを風呂に入れろってわけじゃないだろうけどさぁ。
忙しいのはわかるし、ある意味信頼してくれてるからってのは気分がいいけど、もうちょっと何かあってもいいと思うのよね。報連相は大事よ? 仁。
「はぁ。怒ってるとか許したかどうかって今、関係ないんじゃないかしら? あなたは仁にここへ連れてこられた、わたしは多分あなたの面倒を見ろって指示を受けた、んだと思う。お互い思うことはあるだろうけどね」
「そう、かよ」
「カイルもよ。気持ちは嬉しいし、流石わたしの犬だって思うけど、仁の邪魔っていうか足を引っ張りたくないでしょ?」
「う、む……すまない、ご主人」
威嚇するように低く唸るカイルを宥めて、さてわたしはどうするべきか。
新選組の子たちと同じように考えるのはアレかもだけど。
こうして仁が連れてきたのならば、この人はきっと大丈夫な人だってこと。
大丈夫だと判断した仁をあたしは信じてる……って、あぁもう。
「うぐ……アンタってやつは居ても居なくても、ぐぬぬ」
「あ?」
「なんでもないわよ。それで? 仁から何か聞いてる?」
「出雲鳴と相原智美に協力しろとだけ聞いている。アンタが出雲鳴、だろう? 俺は、何をすればいい」
協力、協力かぁ。
突っ込んでみれば仁はこの人がわたしたちの力になると判断したわけよね。
今のところ人手は足りているし、困っていることっていうのにこれだというものはない。
ただ、裏を返せば、になるけれど。
「別に、何もしないでいいわよ」
「……は?」
アイツに助けたという自覚があるかどうかは知らない。
でも、結果的にこの人は助けられた人だ。ただただ単に、何かから救われただけの人だ。
「あえて言うのならそうね、邪魔をしないって約束してもらえたらそれだけでいい」
「い――意味、わかんねぇ、よ」
正直なところわたしもそう思う。
立場が逆だったらもしかしたらあまりに意味が分からな過ぎて、意味なく逆上していたかもしれない。
「マンパワーは足りてるのよ。やって欲しいことっていうのも別に無い。この店の手伝いをって言ってもそもそも手伝いを必要とするほど繁盛してるわけでもないし、何なら札付きの人を店内とはいえ置いておくのは微妙だし」
あぁ、うん。わかるわよ。
大口開けて呆気にとられるしかないわよね? うんうん、わかるわかる。わたしもそういう気分になったことは不本意ながら沢山あったから。
「それでも……そうね、それでも何かしたいと思ったのならそのしたいことをやってもらえたらいい。もちろん、わたしっていうか仁の邪魔にならないだろうってことならって条件はあるけどね」
ディアパピーズはそういうところだ。
助けられたり救われたり、何かのしがらみから開放された人が心穏やかに過ごすための場所で、自分自身を見つけるところ。
そうして自分がやるべきことではなく、やりたいことを見つけて。
「やりたいようにやればいいのよ。そのやりたいことがわたしの……うぅん、わたしたちの手伝いだって言うのなら、また教えて」
「……は」
突き放した言い方になっちゃったかしら?
大の大人の男が、とまでは思わないけれど。
「ひとまず、お疲れ様」
「……あぁ」
その場で膝から崩れ落ちた。
絨毯の上に音もなく雫が零れ落ちている。
「ん。そう、それでいいのよ。そして、これでいい、これがいいのよ」
少しは、アイツに並ぶ人間として相応しくなれたかしら。
あぁでも、やっぱり。
「……こんなこと考えさせるようにしてくれちゃって、もう」
ずっと、腹を立ててしまうのは変わらないんでしょうね、きっと。