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第10話「約束の行き先」

 奇しくも、と言うべきだろうか。


「鳴と智美が通ってる学園に、こういう形で来ることになるとは思わなかったよ」


 一度潜入したことがあるおかげで、随分と楽に再潜入することが出来た。

 とは言っても今回は学園に併設されている共生会の方に用事があるから少し勝手が違うのは事実だが。


「……予めここの共生会に通っている稀人のデータを調べておいてもらって良かったよ」


 幸いにして感知に関して鋭い能力を持っている稀人はいなかった。

 これならよほど気を抜かなければ調査自体は可能だろう。


 共生会は管理している学園によって少しだけ中身が違う。

 稀人に施される授業内容に大きな差はないが、授業が行われる時間であったり……そう。


「給食のある共生会。知ってはいたけど、なるほどかなりありがたい、か」


 身元保証人であったり、人間よりも多くの金がかかったり。

 そう言った稀人にとって高いハードルがある先に待っているものはお世辞にも素晴らしいものとは言えない。


 だが、ここのみたいに給食が出るって言うのは通う稀人からすればかなり助かる話だ。

 身元保証人が付く稀人が恵まれている側に位置するのはそうかもしれないが、内実に大きな違いはない。


 割合として、だが。

 結局のところ家庭内においてもそこまで家族扱いをされる方が稀で、疎まれている場合のほうが多いから。


「俺の通ってたとこの稀人も、そう言う方が多かったし、な」


 恩を着せて、将来保証人となった人間の道具として使われる。

 それまでの間にしてもそうだ、とある牛稀人の女の子が家の中でどういう扱いを受けているか聞いたことだってある。


 そしてそれを、それでも恵まれているからと諦めて……いや、当然のように受け入れていることだって。


「やめ、やめ。落ち着こうか、俺」


 悪い傾向、なんだろう。

 下手に自分が有している力の大きさを実感して、気が大きくなっている。

 恵まれない稀人を、俺が助けてやる、なんて。不遜すぎるし、何より自分で言っててクソくらえが過ぎるだろう。


 久しぶりに場所は違えど共生会に来たからか、少し前の自分ってやつが頭を過る。

 なんとも色々変わったものだと変な感傷みたいなものに浸りながら、静かに耳を澄ませてみれば。


『実験、ですか』

『稀人が健康である、という基準は今まで明確なデータが取れていなかったからね。メディレインへと近づくための一歩として、だ』


 共生会の管理は学園に責任がある。

 多くの管理方法は学園の理事であったりが取り扱っているが、この学園は少しだけ違うらしい。


『しかし、それでこの認可前の薬を使うと言うのは……』

『治験は済んでいるよ。害が表れるものではないさ』


 理事会と共生会の間に、管理業者が挟まれていた。

 そして当然のようにその管理業者は向田組の息がかかっているところで。


『そうであっても、やはり表舞台でこういったことをするのはリスクが高いのでは?』

『何、ここの理事にも確認したが問題ないそうだ。言ったか言わせたかは別だがね』

『っ……わかり、ました』


 ……断れない、か。

 少しの抵抗というか、気が進まないと言った反応を見せた理由は稀人を思いやってくれてのことか……いやまぁ、保身を考えてのことだろうな。


『やり方は任せるさ。水溶性だが溶けても効果に影響はないから、飲み物やデザートに混ぜるのがいいかも知れないね』

『期日など、は?』

『特に設けてはいない、データ収集が主だからね。しかし実行は速やかに頼むよ』

『……はい』


 中での話は終わったらしい。

 少し間が空いてからドアが開く音と、足音が遠ざかっていく音を確認してから。


「さて、どうするか」


 流石に中の様子まではわからない。

 遠ざかって行った音は一つだけってことは、命令された人は中に居るままだろう。


 直接会って交渉するか? いや、交渉する材料が何もない。

 向田組から黒雨会にという提案も相手が人間である以上特にメリットは何もないだろう。

 ならメディレインかロジータへ身を寄せるってのは……無理だな、お互いに信用できない。


「……サンプルを奪うか」


 それしかないだろう。

 ひとまず受け取ったであろう薬のサンプルを手に入れて、メディレインへと調査を依頼する。

 その上で、薬をここの共生会へバラ撒かれないようにするしかない。


「よし」


 そう思って、周りを確認しながら受け取っただろう相手がいる部屋の中へと向かうが。


「――入って来なよ。多分、影狼……なんだろう?」


 ……驚いたのはもちろん、だけど。


「久しぶりに聞きましたよ、その通り名」

「そうなのかい? こっちじゃ、もうかなり有名……なんだけどな」


 それ以上に、中で待っていたのが、俺と同じ狼か、犬の稀人だっていうことが、一番驚いた。




「向田組の傘下に稀人はいない、そう思ってました」

「そうだね。傘下という言葉に当てはまる稀人はいないから、その認識は正しいかな」


 耳をペタンを折りながら、中年の稀人は困ったように笑う。

 俺も、困ったと言えば困った。

 口にしたようにここには共生会にしか稀人はいないと思っていたし、まさか向田組に関係する稀人がいるとも思っていなかったから。


「単刀直入に言ってもいいかな?」

「……どうぞ」

「見なかったことにして欲しい。できないなら、ここで私を殺して欲しい」

「っ……」


 本当に単刀直入だった。


「何があっても、薬の混入はする、と?」

「せざるを得ないと言うべきかな。別に家族を人質に取られているとかそう言った理由はないけれど……まぁ、これも上の狙いなんだろうね、稀人を使って稀人を制するって言うのは実に理にかなっているから」


 気分よくというわけじゃないのだろう。

 それでも向田組にこの人は従っている。


「黒雨会を頼る考えは?」

「ない、ね。そうするにはもう随分と向田組に恩を受けてしまったし、今更黒雨会を信用するにはもう若くない」


 恩、か。

 向田組が稀人の支援をするとは考えにくいんだけど、な。


「そういう時代だったんだよ。少なくとも私が若い頃はね、そうだったんだ。黒雨会が潰されてからの数年は、生きるためだけに縋るしかなかった時代があった。生きることを許してくれたという恩がある」

「向田組が、あなたにとってのご主人様だと」

「その通り。流石似た種だ、話が早い」


 あるいは犬、狼の習性を利用したのかも知れない。

 首輪を嵌めさえしてしまえば、俺たちは主を決して裏切らないと知っていたのかも。


 知っているだけに、この人の意見は翻せないだろう。

 まかり間違って向田組を潰すだなんだと口にすれば、この人は相手が稀人であっても、俺であっても牙を剝く。

 そう確信できる雰囲気がある。


「いい、んですか?」

「何がかな?」

「俺に、殺されても」

「もちろん。時代が変わりつつある予兆は感じているよ。私だけじゃない、少しでも社会の風を嗅ぐことが出来る稀人なら、何かが変わると気づいている。そして今変化を齎すだろう存在が目の前に来て、確信できたから」


 殺すつもりなんて欠片もない。

 でも、確かめるように聞けば穏やかに笑われた。


 本当に、この人は。


「礎に、なると」

「そんな格好いいものじゃないよ。でも、旧時代での生き方しか知らない私のような稀人は邪魔にしかならないだろう?」

「そんな、こと」

「あるさ、影狼君。私だけではない、向田組によって生かされた、生きることを許された稀人は。向田組が力を落とす、あるいは消滅すると言うのなら……望まれなくても、その躯に身体を横たえるつもりだ」


 覚悟を感じた。とても、重い。


 確かに、そう、確かにだ。

 すべての稀人が俺の目指す先を迎合するわけじゃないとは思っていたし考えていた。

 それでも、こんなにもすぐ、それも目の前に現れるとは思っていなかった。


 交渉の余地は、ない。


「わかりました」

「じゃあ、どうする? やりにくいなら、目隠しでもしようか?」

「そんなの、必要ないです。殺すつもりなんて、ありませんから」

「……それは、意外な言葉だね。てっきり、楽になれると思っていたのに」


 本当に殺される、殺してくれると思っていたのだろう目を丸くされた。

 影狼って名前が出ているあたりに、先生の存在を感じるけれど、それはいい。


「簡単な協力だけ、約束して貰えませんか?」

「協力?」

「一つ、その薬を頂きたいこと。そしてもう一つは、薬を使うまで3日待ってもらいたいこと」

「……」


 言っておきながら簡単ではないことを強請っているのかも知れないけれど。


「ん……そうだね、わかった。向田組の稀人ではない、ただの稀人として、それくらいなら」

「ありがとうございます。後悔は、させません。そして――」

「そして?」

「……いえ、口にすれば叶うというわけでも、約束できるわけでもない。だから、そう。見ていて、下さい」


 少なくとも。

 生きることが苦しいと思う社会には、しませんから。


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