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第13話「まだ終わりじゃない」

 あの二人が研究室に連れられてからの一週間は中々に忙しかった。

 当たり前だが仕掛けられたのは共生会だけではないのだ、それぞれへと対処していればあっという間に時間は過ぎて行った。


 だから、かも知れないけれど。


「……礼は、言わねぇぞ」

「いやいや、ここはお礼を言うべきじゃあないかな」


 おめでとうと言うべきか、ありがとうと言うべきか。

 多くの意味で元通りになった二人を前に、上手く言葉が出てこなかった。


「いりませんよ。結果的なお互い様でよかったと、安心したって言うのが本音ですし」

「けっ。言ってくれるぜ、ったく」

「あはは」


 それでも当たり前に二人は嬉しそうだった。


 そう、嬉しそうなのだ。

 カズさんは分かる、失っていたアイデンティティともいえるものが蘇ったんだ喜びもひとしおだろう。


「あーったく! んな目で見るな! 助かった、感謝してるっての」

「い、いえ。いや本当にお礼を言われるようなことじゃないと思ってますって」

「……ちげぇよ。自分で言って恥ずかしいがな、俺ぁ木っ端だ。向田組にとってもただ適性みたいな何かがなけりゃ鉄砲玉くれぇにしかなれないような、な」


 俺にはわからない。

 でも、本人がいうんだ。向田組での扱いは、そういうものだったんだろう。


「んな俺にをちゃんと扱ってくれた……あーいや、扱うって言葉がわりぃのはわかんだけど」

「……はい」

「助かった、じゃねぇ。救われたんだ、俺は。バカだし、ほんとの意味でなんの能力もねぇが……恩知らずじゃねぇつもりだ。ちゃんと、返すよ。ボス」

「うん。そうだね、私も……報いるよ、キミに。これからよろしくね、ボス」


 二人から差し伸ばされた手を握りながら、心の中で深呼吸を一つして。


 さぁ、素子の所へ行こう。




 残念ながら、だろう。


「……ふぅ」


 先生へと素子に薬を使うことを伝えようとしたけれど、何回電話しても、メールを送っても返事が返ってくることはなかった。


 どう考えるべきか、なんて答えは出ないけれどあまり考えたくない予想ばかりが思い浮かぶ。

 ただ、それでも時間は止まってくれるわけでもないし、自分の心が臆病風に吹かれてしまいそうになっていることを感じているから。


「仁」

「うん、わかってる。大丈夫だよ、鳴。ありがとう」


 素子がいる病室の前で、もう一度大きく深呼吸をする。

 一緒にいるのは鳴だけ。先生はともかく、一人で来ようとしていたけれど半ば無理やりついてこられた。


 ……あぁ、いや。

 来てくれて嬉しいとか、助かったと感じている自分がいるんだ、こられた、じゃあないだろう。


「よろしいですか?」

「……はい。行きましょう」


 意識を失っている素子だ、口から薬を飲むことはできないから点滴を通してって形になる。


 先生が俺の返事に頷いて、ドアを開いた。


「――素子」


 相変わらずベッドの上で動かない素子の髪が吹き込んできた風で少し揺れた。


「素子」


 そうだ、相変わらず。

 俺の呼びかけに反応はしないし、手を握っても握り返される事もない。


「……素子」


 それが、変わるかもしれない。


「今日も、来たよ。調子は、どうだ?」


 震えそうになる声を堪えて、いつも通りに。


「今日も、だけどさ。今日は、でもあるんだ。えぇと、そう、ちょっと違うんだ」


 あぁ、この日が来るってわかっていたのに、たどり着いたのに。

 何を言おうなんて沢山考えていたのに、うまく言葉が紡げない。


「うん……今日は、いい加減起きろって、だらしないあんたの目を覚ましに来たんだよ」


 思えば、仕事が休みの時は昼過ぎまで寝てるだらしないヤツで、俺が何回メシだって起こしても二度寝三度寝ってする素子だから。


「だからいつも通り、ちょっと無理やりに起こすから、な? 恨んで、くれるなよ?」


 寝ぼけまなこの奥にある、恨みがましい視線が見たいよ。

 あと五分って言ってくれるあんたの声が聴きたいよ。


 しょうがねぇなぁって、言わせてほしいよ。


「……先生」


 待ってくれていた先生に声をかければ小さく頷いてくれた後、吊るされていた点滴の中に薬が流れ込んでいく。


「素子……」


 ぽた、ぽた、と。

 狼稀人だからだろう、点滴袋から栄養剤に混じった薬が落ちていく音が聞こえる。


 まだ、変化は見られない。

 随分と瘦せこけてしまった顔の色も特別変化は見られない。


 ただ、待つ。

 何かあればすぐに動けるように、心だけを備えながら、ただ待つ。


「大丈夫、大丈夫だからね、仁」



 やっぱり、来てくれて良かった。

 どれくらいそうしていたか、肩に優しく手が置かれた。

 待つって言うのは大変だ、どんどん心が重くなっていく、焦ってしまう。


 振り向くことはできない、素子から目が離せない。だから心の中でありがとうと言っておいて。


「……ん」

「もとこ?」


 不意に、音になってない掠れた声が小さく耳に響いた。

 瞼が震えた、握っていた手がぴくりと動いた。そして。


「ぁ……ぇ」


 素子が、目を覚ました。


「もとこっ!!」

「落ち着きなさい!!」

「う――わ、悪い。ありがとう、鳴」


 反射的に立ち上がって飛びつこうとしまった身体を鳴が声で止めてくれた。


 ……危ない、弱っている素子に突っ込むなんて、何考えてんだ、いやでも。


 素子が目を、覚ました。


「う、あ……」


 自然と涙が出た。

 止められないし、止めようとも思わない。


「こ、こ……は」

「病院です。どうしてここに居るか、わかりますか?」


 身体を起こそうとしたのか、握ったままだった腕が少し動いたけれど。


「あ、れ? ちから、はい、らない」

「寝ておられた時期が長かったので、大丈夫焦ることはありません、落ち着いて下さいね」


 あぁ、素子が動いている。

 それだけで、もう、何も言えなくて。


「それで、長野素子さん」

「は、い」

「ここに居る経緯は、覚えておられますか?」

「……わ、から、ない、です」


 しわがれた声だ、覚えている声からは遠くにつきもしない。

 それでも、素子だ。素子が話している、動いている、生きている。


「素子、もと、こぉ……」

「……え」


 みっともなく泣きっぱなしで、名前を呼ぶだけで精一杯な俺に。


 あぁ、そうだ、素子だ。

 優しい目だ、温かい目だ、俺の大好きな素子が、俺を見てくれた。


「だ、れ……?」

「……ぇ?」


 だと、言うのに。


「ゃ、め……はな、し、て」


 弱々しい力にも関わらず、握っていた手が解かれた。


 ……う、そだ。


「ゃ、ぁっ……!」


 そのまま、精一杯、なのか。

 俺から離れようと、身を捩って、大した距離があるわけでもないのに、素子との間にものすごく高い壁がある様に思えて。


「も、素子さん? 覚えて、ないの? あなたの弟でしょ……? ねぇ! 長野仁よ!? 大切な、弟じゃないの!? ねぇっ!?」


 ……なんでお前が取り乱すんだよ、それ、俺の役割じゃねぇ?


「ゃ、め」

「やめないわよ! やめたくないわよ! だって、仁がっ! どれだけじんがっ!」


 あぁ、でも助かった。

 代わりに取り乱してくれたから、なんか落ち着いた。


「鳴、落ち着いてくれ」

「っ!? なんで!? なんでアンタが落ち着いてるのよ! こんなの、ないっ! こんなのってないじゃないっ! だって――」

「ありがとう。鳴のおかげだって、言ってるんだよ」

「――くっ」


 すべてが解決する、なんて思っていなかった。

 解決して欲しいと希望があったのは確かで、裏切られたのも確かだけど。


「先生」

「……はい」


 虚勢を張れ、今ここでこそ、覚悟を示せ。


 絶望する必要なんて、ないのだから。


「メディレインと連携して、予後を頼んでいいですか? また、甘えてしまうことになるんですけども」

「もちろんです」


 大丈夫、そう、大丈夫だ。


「大丈夫だよ、鳴」

「……あにがよ」


 今一番つらいのは誰だ? もちろん素子だ。

 目を覚ましたら急に身体が動けなくなっていて、最初に見たのが怪しげな稀人で。


「まだまだ終わりじゃないってことさ。ここで終わりになんかしない、してやらない。だから、大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるように、やれることなんてまだたくさんあるのだから。


 あぁ、それでもこれだけは言おう。


「おはよう、素子。次はちゃんと、メシ用意しとくから勘弁してくれな」

「ぇ……?」


 目を覚ましてくれて良かった、生きてくれて良かった。

 未来を共に歩けるかはまだわからないけれど、それども繋がったから。


「……そうだな、確かにこれは強くなるかもしれねぇや、雨宮。やっぱりどうやら、決着はつけないとダメみたいだな」


 予想はされていたんだろうな、どうなっても向き合う必要はあるってこういうことか。


「精々首を洗って待ってろ、覚悟しとけよ……!」

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