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第8話「日比谷初音という女」

「では、全面抗争の準備を進めますね?」

「はいちょっと待ってくださいね初音さん落ち着いてお願いします」

「全面抗争とは穏やかではありませんわ。ここは経済封鎖の方が現実的ですわよ」

「智美も時に落ち着け頼むから煽らない反発しない」


 ディアパピーズで集合して現状を説明すればなんともまぁなお二人さんだった。

 ニコニコしながら物騒な事言われるのは本当に怖いから勘弁して欲しいところだけども。


「しかしながら仁様? 鳴様が捕らわれてしまった以上、公的なルートを使っての非治安区域への出入りは難しいかと」

「だからこそ少しの混乱を発生させた上でどさくさに紛れてといった手段を取る必要がありますわ」


 正論だけどさぁ? いや、正論なのか? もう俺わっかんねぇや。


「事前の打ち合わせで言ってたメディレインを使って、非治安区域に収監されてる稀人の健康診断って名目は無理かな?」

「む……覚えていらっしゃいましたか」

「流石仁様ですわ」

「はい初音さんは手のひらクルクルさせすぎですわねこの裏切り猫、もとい蜘蛛さんめ」


 くすくすと着物の袖で口元を隠しながら笑う初音さんの姿はいい加減見慣れたよね。


 とりあえず有効な手段らしい。

 最初のお怒り表明は俺が冷静かどうかを確かめる小芝居って感じか。


「ありがとう。何にせよ場所は割れたんだ、五反田の非治安区域から始めると言えば動けるな」

「ですが仁様? 声明を出すと言いますか、表立ってこう動くぞと宣言するのは言うまでもなく不利を招きますよ?」


 ……まぁ、その通りなんだけど。


「結果的にかどうかはわからないけど、雨宮の筋書き通りではあるんだ。多分、今更だと思う」


 動かされた、とは思わない。

 メディレインの立ち上げだなんだって言うところまで台本通りだと言うのならまどろっこしすぎる。

 だからどちらかと言うのなら。


「どう動いても最後にはぶつかる様に、ですわね」

「ああ。絵を描いた雨宮自身の意向が強く反映されているはずだ、なら」

「……仁様の力を確認するためにも真正面からのぶつかり合いを望んでいる可能性が高い、ですか」


 少なくとも俺と雨宮だけで考えるのならだけどな。


 ただ、雨宮個人の力だけでここまで世相を巻き込んだ動きが取れるわけもない。

 当たり前に向田組自体の思惑だってあるわけだ、雨宮が向田組を利用したように、向田組が雨宮を利用した動きが。


「わたくしと初音さんが表だってメディレインと共に侵入、仁様は裏口から。これで如何でしょう?」

「あるいはそれしかないと言えますか。矢面に立ち愛しき人を支える、まさに本懐と言えますね」


 わー、おっとこまえー……じゃなくて。


「うふふ。そこで顔を顰めて下さったことで十分ですわよ、仁さん」

「無事に終われば、そのあとたっぷり可愛がってくださいね、仁様」


 あ、確定路線ですかそうですか……。


 いや、わかる。

 それしかないってくらいはわかるんだ。


 雨宮とのぶつかり合いまで俺は消耗するべきではない。

 素子の記憶に加えて鳴の救出、もっと言えばここで俺が敗北したのなら当たり前に初音さんや智美は厳しい立場に立たされることになる。


 だったら、何があるかわからない、雨宮じゃない向田組の仕掛けに対してはこの二人に任せるのがベスト。


 ……なんだけど。


「初音さん」

「はい。如何なされましたか?」


 自分が安心したいためって理由が大きいけれど、出来る事はやっておきたいという願いを込めて。


「あなたの能力を、教えてもらえませんか」

「……閨であれば」

「ちょっ!?」


 わざとらしく頬を染めながら言う初音さんではあるが、感情の匂いが羞恥ではない。

 つまるところ、ここでは明かせないということで。


「わかった。じゃあ、行きましょうか」

「……優しく、お願いしますね? これでも私、殿方と床を共にするのは初めてですので」

「仁さんっ!?」

「あー……いやまぁ、うん。智美、ちょっとだけ待っててくれ」


 こういう時どう言ったらいいのかわかんねぇよ……経験値くれ、経験値を。


 とりあえず、あんまりですわだの、いっそわたくしも一緒にとか叫んでる智美を気にしないようにして。


「ありがとう、ございます」

「いえ、こちらこそ。でも、もうちょっとやり方考えてもらえたら助かります」

「申し訳ありません。ですが、本当に閨での語らいとしても、私はばっちこいですよ?」

「ばっちこいって」


 素面に戻った初音さんに苦笑いを返して、場所を変えた。




「いやだからって本当に布団を用意する必要あります?」

「あります」


 力強く断言されてしまった。

 ご丁寧に二つの布団を引っ付けてさ、俺をどうしようって言うんですか本当に……捕食?


「懐かしゅう、ございますね」

「そんなに時間は経ってないんですけど、そう思ってしまいますね」


 何が懐かしいかなんてわざわざ言われなくてもわかっている。


 ここは初めて初音さんに会ったところだ。

 先生に連れられて、心臓がどうにかなるかと思うほど緊張……先生のおかげでそこまでだったかも。


「こういう形であなたと共にあるようになるとは想像していませんでした」

「今とは別の形で共にいる事になるように考えていたって聞こえますけど?」

「私の事を深くご理解下さって大変嬉しく思いますが……いけずです」


 美人が頬を膨らませるっていうのはなんともギャップがすごいけれども。


 きっと、初めてであったときは利用できるコマの一つにしてやろうくらいに思われていた。


「嫌な気持ちは、ないですよ。周りの人に成長しただなんだと言われますけど、自分ではまだまだとしか思えないですから」

「私を信頼するように仕向けられているように思えると?」

「そうだとしても笑って受け入れられる程度にはなりました」

「……もう。本当に、あなたはいけずになりました」


 日比谷初音という女性の素顔は可愛らしいと思う。

 今だから思うけど、こんな人が冷徹な裏社会であるべき仮面を被ることが信じられないとも。


 両方の顔を知った、知れた今だからこそこんな間抜けな事を考えられるんだろうな。


「ですが、丁度いいのかもしれません」


 不意に初音さんの雰囲気が変わった。

 いや、雰囲気どころじゃない犬歯が牙とも言える大きさになって口の外へと露出している。


「……ふざけてたべられるーとでも慌てたほうがよかったですか」

「うふふ。ではそれらしく布団の上に組み敷いた方がよろしかったですね」


 動揺は一瞬で済んだ。

 なんというか美人ってやっぱり得なのかもしれない、少々異形を取ったところでそれすらも美しいなんて思えるのだから。


「いつか、仁様には申し上げましたね。私は相手が稀人であるかどうかを知ることができると」

「ええ、覚えています」

「正確に言えば、私は稀人を捕えることができるのです。蜘蛛の巣で絡めとるかの如く」

「逆説的に、絡めとれないのであれば稀人ではないということですね」


 その通りと微笑みながら頷かれた。


 ……しっかし、絡めとるか。

 あぁ、そういえば裏社会を巣と張る蜘蛛と確か初音さんは名乗ったはず。


「ええ、ご明察のその通り。私の糸は裏社会に張り巡らされております」

「裏社会に生きる稀人、そのすべてを管理する黒雨会の長……なんともまぁ、文字通りだったと」

「管理、する必要がありました。社会における私たちは敗者であり、常より崖淵に在る存在です。そのような者たちが一時の感情で暴動に近しいことを起こしてしまえば、社会どころか世界に稀人のイスは無くなってしまいますから」


 明かされる裏側を前にして驚きは少なかった。


 だってそうだ、それ以上に。


「すみません、初音さん」

「? どうされました、急に」

「随分日和ったことを言ってしまいました。冗談でも信頼するように仕向けているなんて言うべきではなかったですね」

「……」


 こんなことを明かしてくれる理由なんて一つしかないだろうに、と。


「仁様」

「はい」

「やはり、あなた様を必ず旦那様にしますから」

「……たはは」


 ものすごく真顔で言われてしまったや、宣戦布告もかくやってレベルだ。


「その誤魔化し笑いはいずれ絶対にさせないようにすると致します」

「はい、覚悟しておきます」

「ともあれ、ですが。管理するとは文字通りそのままで、私が設定したラインを超えそうなとき知ることができる、そして――」

「感情か行動か……操ることができる、ですか」


 感情を抑えたままに話してくれたけど、漂ってくる辛さみたいな匂いのせいで遮ってしまった。


「……ありがとうございます」

「いえ、俺もありがとう、ですよ」

「……ふふ、もう。ですがその通り、私は糸で繋いだ相手を操作することができます。更に言うのなら、本人の力を超えた力でさえも扱わせることが可能です」


 力を超えた力、ね。

 抽象的な言い方だけど、抽象的にもなるか。


「扱えないような能力であっても……成長か進化した力でさえも、ということですか」


 無言で頷かれた。

 そして沈黙が流れる。


 俺の身体を、意志を。

 一時的にでも初音さんに委ねてしまえば雨宮に勝つ可能性が高まるぞ、と。


 つまりはそういうことだろう。

 同時に、今の俺じゃあ雨宮に届かないとも思われているということ、なのかもしれない。


「私は、あなたを失いたくありません」


 その上で、初音さんは自分に任せて欲しいと言っている。


 漂ってくる匂いは、真正面から見つめられた瞳は。


「初音さん」

「……はい」


 あなたのことが大切だと訴えていて。


「あなたが将来旦那にしたいと願っている相手は、その程度なんですか?」

「っ……」


 ここまで想ってくれていることは、掛け値なしに嬉しい。

 人生に三回来るらしいモテ期の一回目がこれとは喜ぶべきかどうなのかって話だけれども。


「も、ぅ……あなたという、ひと、はっ……」


 嬉しそうな、悔しそうな。


 そんな涙を流した初音さんに。


「大丈夫です。ちゃんと、帰ってきますから」


 笑って言うことができた。


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