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第64話 不確かな記憶

 言いたいことを告げると、山神は俺達の前から姿を消した。


 祠の前に取り残された俺と玲奈は唖然とし、立ち尽くす。

 目の前で繰り広げられていたことが現実だったのか分からなくて、もしかしたら二人で同じ夢を見ていたんじゃないかと思えるくらいに不思議な出来事で。


 けど、全部が現実で、確かに起こっていた事実だ。


「紘くん……」


 玲奈の口から漏れたのは風に吹かれて消えてしまいそうなほどか細い声だった。驚きをまだ飲み込めていないのか、起こったことを受け入れて不安なのか、様々な感情がその声色からは読み取れた。


「今日は帰ろう」


「えっ」


 いろいろと考え、俺はその結論を出した。

 山神は、閑の一番大切なものを差し出せば呪いから解放すると言った。神様であるあいつが嘘をつくとは思えない。だって、もしそれが嘘なのだとしたら、山神は双葉の先祖と同じことをすることになるから。


 だから、山神の口にしたことはすべて真実なのだろう。


 そうだと仮定して話を進めると、まず一つ確定的な進展として閑を救う方法が明らかになった。これは非常に大きいことだ。俺達がこれからするべきことが明確になったのだから。これまでのように不明瞭で不確かな暗闇の中を闇雲に進む必要はなくなった。


 自分たちのしていることが正しいのかどうかさえ分からない、という不安から解放されたのは本当に大きい。


 けど。

 同時に問題も見つかった。


 問題というか、そもそもの話というか、つまりどういうことかというと、俺にできることはもうないということも、明らかになってしまったのだ。


 閑が一番大切にしているものを差し出しさえすれば、彼女は呪いから解放される。


 そのスタートからゴールに、俺の介在する余地はきっとない。例えば閑の一番大切なものが苦労して手に入れるものだとしたら、俺は彼女の為にどこへだって行くし、なんだってする。俺にできることがあるのならば惜しみなく動くだろう。


 でも一番大切なものなんて、だいたいにして想像できる。

 それがもし自分の命だった場合、結局は手詰まりなんだけど。その場合はなんとか山神を説得するという仕事がまた浮かんでくるのだろうか。


「今の俺達にできることはもうないだろ。山神はいなくなった。するべきことは分かった。次にするべきことは、閑に一番大切なものが何かを訊くことだ。だから、今日はもうなにもできない」


 俺の言っていることに納得したのか、玲奈は何も言ってこない。


 しばし、俺の顔を見つめていた彼女は悲しそうな目をして顔を伏せた。考えていることは何となく分かる。きっと同じことを思っているんだろうし、多分俺も同じような顔をしているんだろう。


「ねえ、紘くん」


「なんだ?」


 ぽつりと呟かれた玲奈の言葉に反応する。

 彼女は未だ地面を見つめ続けたまま、さっきのようなか細い声で言葉を紡いだ。


「双葉さんの一番大切なものってなんだと思う?」


 やっぱりだ。

 閑の大切なもの次第で、俺達のすべてが詰んでしまう問いかけ。


「何なんだろうな。例えば、玲奈の一番大切なものってなんだ?」


 ありきたりな問いに、彼女は数秒考え込んだ。


「……なんだろう。ぱっと思いつくのは、やっぱり自分の命なんだと思う。みんなそうだよね」


「そうだな。普通はそうだと思う」


「あとは家族とか?」


「だな」


 閑の母である遥さんはそうだった。

 もし彼女の一番大切なものが自分の命だったとするならば、それで閑を救うことができるのならば躊躇いなく自らの命を差し出しただろう。けど、それにはそもそもの矛盾がある。自分の一番大切なものを二番目に大切なものの為に差し出せるだろうか。差し出した時点でそれは大切なものの順番が変わってしまっている。


 差し出せないから一番大切なのだ。


 差し出している時点で、それはもう一番ではない。


「もし、双葉さんの一番大切なものが自分の命なんだとしたら……」


「生きたいと思ってるんだ。多分、そうなんだと思うけど」


「だったら、どうすることもできないんじゃ……?」


「だな。そのときは山神様に土下座でも何でもするしかないんじゃないか?」


 俺は暗い空気を誤魔化すように笑ってみせた。

 今ここでどれだけ考えても仕方がない。結局は閑に訊くしかないのだ。


 もしもの話は、そのもしもが現実になったときに考えよう。


「あ、夜も遅いし帰ろうぜ。家族の人が心配してるぞ」


「そ、そうだった」


 すっかり忘れていたそうで、玲奈はハッとした顔をした。

 もともと散歩くらいの気持ちで家を出たのだから、親にもそう言っているはずだ。それが一時間も二時間も帰ってこないとなるとさすがに心配するだろう。それに気づいた玲奈は、仕方ないという様子で歩き始めた。俺もそれに続く。


「遅いし、家まで送ろうか?」


 そう言うと、玲奈はかぶりを振った。


「ううん、大丈夫。この辺に不審者なんかいないし、それに、紘くんは双葉さんのところにいたほうがいいよ」


 優しい笑みを浮かべて、玲奈は心の奥からじんわりと温かくなるような声色でそう言ってくれた。俺はそれに頷き、「ありがとう」と一言だけ返しておく。


 それでも一応、山の麓までは見送ることにした。


「山神様の言葉の中でもう一つ気になったことがあるんだけど」


 会話が途切れたところで、タイミングを窺っていたのか玲奈がそんなことを言う。俺は視線を彼女に向けて、言葉の先を促した。


「山神様、紘くんに『久しぶりに見た顔』って言ったよね?」


 俺がずっと引っかかっていたことを、彼女も気にしていたようだ。


 しかし残念なことに、俺はそのモヤモヤを晴らす答えを持っていない。


「言ってたな」


「あれってどういうことなんだろ。普通に考えれば、紘くんが一度会ったことあるってことになるけど」


 玲奈の想像は最も妥当なものだ。けど俺は、それに難しく唸ってみせる。


「ただ、俺にはそんな記憶ないんだよな」


「お父さんとかが会ったことあるとか?」


「それだと久しぶりに見た顔って言い方はしなくないか?」


「高校生のときのお父さんと今の紘くんが瓜二つなんじゃ?」


 それは可能性としてはゼロではないかもしれないけど、でも限りなく低いだろう。なぜなら。


「でも山神は玲奈のことを白石の娘って言ったり、閑のことを末裔って言ったりしてた。なのに、俺だけを見間違えるとが思えないんだよな」


 二人して唸る。

 この問題も今のところは迷宮入りだ。


「紘くんが忘れてるだけなのかな」


「子供の頃に三日月町に来たことはあるし、そうなのかもな」


 そんな話をしていると、三日月広場のバス停に到着した。


「えっと、じゃああたしは帰るね。送ってくれてありがと」


「いや、ありがとうはこっちのセリフだよ。玲奈がいてくれて本当に助かったよ」


「……力になれたなら、良かったよ。心配だから、また様子を見に来てもいいかな?」


「ああ。また力を貸してくれ」


 俺の言葉に強く頷き、彼女は家路へとついた。

 玲奈の姿が見えなくなるまで見送ったあと、俺は一人で三日月山を登る。


「……」


 久しぶりに見た顔、か。

 山神の言葉が頭の中をぐるぐると回る。しかし、どれだけ考えても、やっぱり俺の頭の中に山神と顔を合わせたという記憶はなかった。

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