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第63話 山神様

 細い道を抜けると木々に囲まれた広場が見えてくる。


 僅かに差し込んでいた月明かりも、高くそびえる木が遮っていていよいよ視界が悪い。


「足元、気をつけろよ」


「うん。ありがと」


 後ろを歩く玲奈に注意しながら前に進んでいくと、広場の奥に祠がある。ここ最近、町に広まっているおまじないのせいか、お供え物が幾つか置かれていた。別段、いつもと変わりない風景だけれど、風に揺られてざわりと音を鳴らす木の葉が不思議と、異様な空気感を作り出していた。


「おまじないで人が来ることが増えたせいだと思うんだけど、最近ゴミが落ちてることが多いんだよね。お願い事を叶えてもらおうっていうのに、そういうことをするのはどうかと思うんだけど」


 ぶつぶつと言いながら玲奈が落ちているゴミを拾う。俺の近くにも落ちていたので、それを手に取って一箇所に集めた。もともとゴミ拾いをするつもりはなかったのでゴミ袋を用意していない。帰りにまとめて持って帰ろう。


「さて」


 そして、ようやく俺達は祠の前にやってきた。

 俺もこの場所には何度か足を運んだことがある。けれど、一度だって山神の声は聞こえていないし、もちろん会話に応じてくれたことなんてない。さっきの言い方的に、玲奈もそれは同じなのだろう。


「……」


 俺はあまり神頼みとかしないので、こういうときにどうすればいいのか分からない。


 ちらと玲奈の様子を覗ってみると、彼女は彼女で俺の方を見ていた。なので、ばっちりと目が合ってしまう。


「あ、ごめん」


「なんで謝るんだよ」


 頬を赤くして、あははと笑う玲奈にツッコミを入れる。

 つい最近、告白をしてきた女の子のこういうリアクションはどうにも反応に困るな。玲奈も無意識にやってしまったのか、困ったように笑うだけだった。


「さて、どうしたもんか」


 なんとなく変な空気になってしまったので、俺はわざとらしく話題を振る。


 玲奈も俺の言葉の意図を察してか、それに乗ってきた。


「そうだね。とりあえずここで山神様でも呼んでみる?」


「二人で?」


「もちろん」


 そんな子どもの頃に近所の友達の家の前で名前を呼ぶみたいなことを、この歳になってしなければならないのか。でも、なんでもとりあえずはやってみないと正解にたどり着かないだろうしな。


 今は四の五の言ってられない。とにかく、思いついたことはすべて消化していこう。


「分かった。それでいこう」


「じゃあ、あたしがせーのって合図を出すから、山神様お返事くださいって言おうね?」


「そういう感じなんだ」


「他になにかいい案あるなら採用するけど?」


 別にケチをつけたつもりはないんだけど、そういうふうに聞こえたのか、玲奈はわざとらしくむすっと頬を膨らませながら訴えかけてきた。別案なんてないので、俺は大人しく彼女に従うことにした。


「それじゃあいくよ、せーの!」


 彼女の合図で俺と玲奈は声を合わせて山神様に呼びかける。


 正直言って、まあどうせ無理だろうし次の手はどういうのでいこうかなあみたいなことを考えながら唱えたわけなんだけど、その瞬間、さっきまでとは違う空気感が一瞬この場に広まったような気がした。


 言葉にするのは非常に難しい、微妙な感覚。


 ここにいる俺だからこそ感じ取れたもので、霊感を持った人が墓地を歩いているときに感じるゾワッとする感覚に近いのかもしれない。もちろん俺には霊感なんてものはなく、もしかしたら気のせいだったりするのかもしれないけれど。


「なんか、変な感じした?」


 隣にいた玲奈もなんとなくは察したらしい。

 二人が同時に感じたのであれば、それは本物に違いない。


「ああ、なんとなくそんな気がしたけど」


 俺と玲奈がその異様な空気感に違和感を覚えたとき、大きな風が吹いた。


 びゅうと風が吹き、俺達を見下ろす木々がザザザと揺れた。夏だというのに妙な肌寒さを感じ、ぶるっと身震いしてしまう。田舎町の夏夜は冷えるのは確かにそうなんだけど、それにしてもここまでではない。


 その時だった。



『私の名前を呼ぶのはお前らか』



 どこからか、声がした。

 右からか、左からか、もしかしたら上だったかもしれない。あるいは脳内に直接響くような、不思議な声だった。この場には俺と玲奈しかいない、そして発した言葉から察するに声の主はおそらく……。


「山神?」


 ごくり、と喉が鳴る。

 思わず漏れ出た言葉に反応するように、びゅうと再び強い風が吹いた。ガサガサと木々が揺れ不穏な音を奏でる。どこかから正体不明の動物の鳴き声が聞こえた。まるでお化け屋敷で起こるような怪奇現象に息を詰まらせていると、次の瞬間、巻き起こった砂埃に視界を奪われた。


 何が起こっているんだ?


 込み上げてくる不安を必死に抑えながら、俺はなんとか目を開く。


「……な、ん」


 言葉が詰まって上手く発音できなかった。

 それは目の前の光景に驚いてしまったからだ。


「様を付けないか。私はこの山の神様だぞ」


 今度はハッキリと聞こえた神様の声。


 それもそのはずだ。


 目の前にその姿がハッキリと見えているのだから。幽霊のようにぼやけているとか、おばけのように一瞬だけ見えたとかそういうのではなく、堂々とそこにいる。そしてその姿は、化け物のように悍ましいものではなく、神様というには少し威厳の足りないような子どもの姿だったのだ。


 白く長い髪。

 身長は一五〇センチに満たないくらいだろうか。顔が見えないように狐のお面を被っていて、着ている着物と不思議とマッチしている。


「あ、あなたが山神様?」


 震える声でそう言ったのは玲奈だ。


 こんな状況に初めて遭遇したようで、動揺しているのが見て取れる。まあ無理もない。俺だって目の前の非現実な現実に混乱している。


「その通りだ。そちらの娘は礼儀がなっているようだな。さすが、白石の娘」


 まるですべてを見通しているような言葉だった。

 玲奈を白石の娘だということを認識しているし、何なら白石家という存在を認知しているのも驚きだ。

 山神の登場に動揺し、動きを止めていた玲奈だったが、ハッと我に返った彼女は慌てた様子で口を開く。


「あ、あの! 訊きたいことがあるんです!」


 自分に意識が向いたことを好機と思ったのか、玲奈が焦った様子で一歩前に出た。


 タイミングを逃した俺はとりあえずここは彼女に任せてみることにした。山神も玲奈に視線を向け、彼女の言葉を待っている。しかし、お面のせいで表情が見えない分、不気味ではある。


「なんだ?」


 優しさはない、どこまでも冷たい声色が返ってきて玲奈は一瞬たじろぐ。


「あたし達の友達が山神様の力で苦しんでいるんです」


「……」


 玲奈の言葉に山神の反応はない。


「どうにかして助けてあげたい。その方法を教えて下さい」


「私の力によって苦しんでいる、か。その人間の名は?」


「双葉、閑」


 躊躇うように閑の名前を口にする玲奈。

 名前を聞いても山神の反応は変わらない。覚えていないのか、それとも覚えている上でノーリアクションなのか。分からない。


「双葉、ねえ。つまりそいつは、私の呪詛を受けた末裔か」


「覚えてるのか?」


「神を舐めるでない。まして、この私との契約を破った人間のことを忘れるはずがないだろう」


 俺の言葉に変わらぬ調子で答える山神。

 しかし、さっきまでよりもずっと、言葉に冷たさが増したように感じた。


 まるで一言一言が真冬の風のようで、肌に触れるたびに冷たく、痛く、容赦なく痛みを与えてくるような。


「苦しみから解放してあげたい。無責任にお願いをするつもりはありません、どうすればいいのか、その方法を教えて下さい」


 真剣な声色。

 揺れる瞳が山神に向く。


 お面の奥にある瞳もまた、玲奈に向いていた。ぶつかる視線に緊張感が走る。


「そもそも、その方法はあるのか? それとも、閑はもうこのまま……」


 その言葉の先を口にするのは躊躇ってしまい、俺は語尾を濁す。

 少しの沈黙を作っていた山神が、小さな息を吐いた。


「教えてあげるよ。白石の娘と、それと久しぶりに見た姿に免じてね」


「久しぶりに見た顔って?」


 白石の娘というのは間違いなく玲奈のことを言っているはずだ。

 だとすると、久しぶりに見た顔というのは俺のことを言っているのか?


 久しぶりってどういうことだ。俺は山神と会ったことがあるのか? いや、どれだけ記憶を辿っても、そんなものは俺の中にはない。


「双葉家の人間は私との契約を破った。差し出すべき対価を支払わずその場から逃げ出した。その罪を償うというのであれば、その時支払うべきだった対価を私に捧げるがいい」


「それは当時の双葉の人間の命だろ? 分かってるはずだぞ、その人はもういないんだ。だから、差し出すことはできない」


「もちろん知っている。その人間は私の呪詛によって死んだのだからな」


 ひどく冷たい言葉が、俺の言葉に被せられる。

 表情は見えていないのに、悪寒が走るほどの冷酷さを感じた。


「そうではない。私が言っているのは、あの時あの人間が差し出すべきであったものというのは、つまり『一番大切なもの』だ」


「一番……」


「大切なもの……」


 俺と玲奈は山神の言葉を小さく漏らした。

 山神は願いを叶える対価として、自分の一番大切なものを対価として要求した。


 そして、その双葉家の人間にとって最も大切だったものというのが自分の命だったということだ。


 そして、自分の代ですべてを終わらせようと試行錯誤し、その結論にまでたどり着いた閑の母――遥さんにとって一番大切なもの。


 それは、閑だった。


 差し出せるはずがなかった。

 一番大切な人を救おうと、すべてを終わらせるために必要だったのが、閑の命だったのだから。



「そうだ。そうすれば解放してやろう。私は鬼ではなく、神だからな」

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