「お前の一番大切なものって……俺、なのか?」
その言葉を口にすると、部屋の中に沈黙が起こった。
閑は逸らしていた目をもう一度こちらに向けたあと、顔を俯かせた。そのせいで彼女の表情が見えない。本心が読めない。気持ちが分からない。
カチ、カチ、と掛け時計の秒針が時を刻む音がいやに大きく聞こえる。
それをかき消すように大きくなっていくのは自分の心臓の音だ。それは正解に辿り着いたという高揚感もあるのだけれど、もしも本当に、閑の一番大切なものが俺なのだとしたら、それほど嬉しいことはない。
そういうドキドキでもある。
ごくり、と生唾を飲み込んだ。緊張している。
「なあ、閑」
あれ。
ちょっと待ってくれ?
これって、もしも彼女が肯定すれば実質告白になるのではないだろうか。
だってそうだよな。一番大切なもの、というか人が俺ということは、つまりはそういうことだろうし? それはもう好きを通り越して愛していると言っているようなものではないだろうか。
だとしたら、それは良くない。
何が良くないって、女子に告白させるなんて言語道断という意味で良くない。告白は男からハッキリとするのが本来あるべき形ではないだろうか。いや、まあ、玲奈に告白をされているので既に格好悪いんだけど、あれは想定外な話だし、それに対して今はあの時とは状況が違う。
そして。
告白を先延ばしにすると考えていた時とも、状況が違う。
俺がそんなことを考えている間、彼女もきっと自分の中で何かしらの葛藤があったのだろう。様々な考えを巡らせ、そして一つの決意をしたのかもしれない。その証拠に、閑は何かを口にしようと意を決した表情で顔を上げたのだ。
だから。
「やっぱ、ちょっと待って」
俺は慌てて彼女を止めた。
その行動が想定外だったらしく、「へっ?」と小さく声を漏らした閑は目を丸くする。
そりゃそうだ。さっきまで答えを急かしていた相手が急にそれを止めてきたのだから当然である。
「な、なによ?」
「やっぱり先に俺が話をしたい」
こうしよう。
まず俺が自分の気持ちを、閑のことが好きだということを正直に話す。
その上で彼女の答えを聞こう。もしこれで勘違いだったら、もう仕方ない。人生最大級の恥を抱えてこの先も生きていこうと思う。もう怖いものなんて何も無いな。
「なんで急に」
閑は戸惑いの表情を浮かべる。
「いろいろ考えた結果、そっちの方がいいと思ったから」
むむむ、と俺の顔を睨んでくる閑。
以前のような威圧感はない。これもまた、俺の勘違いかもしれないけれど、恨めしそうな表情から窺えるのはまるで飼い主に甘咬みするペットのようなもので、それはつまり、この状況すらも楽しんでいるようで。
「私が先に言うわ。答えを急かしたのはあなただし」
「答えるのを渋ってたのはそっちだろ。だから、俺が先に言ってやろうとだな」
「恩着せがましい言い方ね。なら結構よ、覚悟は決まったから私が先に言うわ」
「だから、ここは男を立てろって言ってるんだよ」
「言ってないでしょ。むしろ、レディファーストという言葉を学習なさい?」
バチバチ、と視線を交わす。
なんかこれもう、お互いに分かっているんじゃないかと思えてくる。
閑は閑で、俺が言おうとしていることを理解した上で、自分から言いたいと言っているようだ。
「じゃんけんするか」
「……そうね。このままじゃ埒が明かないし」
妙な展開になってきたことは薄々どころかガッツリ感じているけれど、もう引き返せないところまで来ているのでこのまま突っ走る覚悟を決めた俺であった。閑もそうなのだろう。顔がもうムキになっているときのそれである。意外と負けず嫌いというか、頑固なんだよな。
「いくぞ」
「ええ」
なんで告白する順番をじゃんけんで決めてるんだ、俺達は。
そんな考えを振り払って唱える。
「じゃんけん!」
「ぽん!」
俺の手はグー。
彼女の手はパー。
この勝負、双葉閑の勝ちである。
ここは勝つのがマストな展開だろうが。なんてこのしてくれてんだ、神め。
「私の勝ちね?」
ふふん、と誇らしげな顔を見せる閑。
さっきまでのシリアスな空気はどこへ行ったんだ。ずっと言い淀んでいた彼女も、どこへ行ったのやら。
「……勝負は勝負だからな。仕方ない」
ここで駄々をこねようものなら、もうずっと決着がつかないだろう。勝負の結果は受け入れるしかない。
「じゃあ、私が言うわよ」
こくりと俺は頷いた。
きゅっと唇を結んだ閑の表情には、さっきまでの柔らかさがなくなっている。この一瞬で緊張が体内を巡り巡ったらしく、カチカチに固まっていた。つり上がった眉、潤み揺れた瞳、そして紅潮する頬。
体勢を直し、足を曲げてぺたんと座った彼女がまっすぐに俺を見る。
閑の緊張が俺の中に侵入してきたと錯覚するように、俺の心臓もバクンバクンと激しく動く。
「私の一番大切なもの。それは、あなたよ……紘」
彼女の手が俺の頬に伸びてくる。
視線だけでそれを追っていると、やがて頬に触れ、優しく撫でられる。
これはあれかな、キス的な展開だろうか。ちょっと早くないですかね。いや全然嫌じゃないし、むしろ嬉しいんだけど、でもまだ俺の気持ちを伝えていないし。でも閑が近づいてきたら受け入れるしかないよな。据え膳食わぬは何とやらって言うし、彼女に恥をかかせるわけにもいかないし。
うん、そうしよう。
来たら、受け入れよう。
「だからね」
次の瞬間。
俺の頬に触れていた手は離れ。
慈愛に満ちたような笑みを浮かべ。
彼女は口を開く。
「約束して。絶対に、勝手に山神様のところに行ったりしないって。私の為に、命を差し出すようなことはしないって」
俯き、そして再び顔を上げたとき、彼女の瞳には覚悟が宿っていて。
「あなたを犠牲にして得る未来なんて、私はいらないわ」
一番大切なものは差し出せない。
結局のところ、この結末だけは変わらないのだ。
だって。
差し出せないから、一番大切なものなのだから。
けど、彼女がそう思うように。
俺だって、閑のいない未来なんていらないんだ。
それくらい、今の俺にとって彼女は大切な存在になっていた。
けど。
だとしたら。
どうすればいいんだろう。
俺と彼女、二人が進める未来は本当にないのだろうか。