*
「……まだ信じられない」
「信じられない、と言ったところで、僕達が体験したことは、事実だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そうですね、とケンネルはうなづいた。事実を事実として認めること。それが研究者の資質として存在する以上、ケンネルはそれを夢だ幻だ、と都合よく解釈することができなかった。
「あれは、事実だった」
「そう、そしてあなたは、それを待っていたんだ」
ジオは黙ってうなづいた。
*
ゆらめきは一瞬だった。
だがその瞬きする程度の間に、視界は全く違うものになっていた。
少なくとも、そこには雪は無かった。
いや、雪どころではなく、何も、無かった。
少なくとも、ケンネルには、そう見えた。
「何……」
「判らない」
ジオもまた、何が起きたか判らない、といった表情を浮かべていた。
「予測していたんじゃないですか?」
「何かが起こる、とは予測していた。だけど、どんな事態が起こるかは予測はしていなかったよ」
辺りはまばゆい程の光に包まれていた。足元を見ても、そこには影が無い。四方八方、至る所から光が満ちあふれ、合わせた手の間にも、互いの影が写ることも無い。
「……浮いてるみたいだ」
ケンネルはつぶやく。だが足元には、確かに何かを踏みしめている、という感覚はあった。
「少なくとも、実体はある訳だな」
「どういう意味ですか」
「いや、もしかしたら、既に肉体は無いのかな、なんて考えたりもしたのだけど」
怖いことを言う、と彼はつぶやいた。
しかし二人の中には、不思議と恐怖感は無かった。
それはこの辺りに満ちている光の色のせいかもしれなかった。穏やかな、霧の中にも似た乳白色の光。雪の白とは違い、その光は二人の肌の上に暖かみを感じさせた。
……どのくらい経ったのか、彼らには判らなかった。互いに話す言葉は通じるのだが、他の音がさっぱり耳に飛び込んで来ない。何処かへ行こうと思うにしても、この霧のような光の中では、動いた所でどうにもならない、という感覚をケンネルに起こさせていた。
それに、とケンネルはジオを見る。
何かを待っている様なその顔を、じっと見る。
!
不意に、ケンネルは耳を塞いだ。
耳の中に、甲高い音が鋭く飛び込んできた。思わず彼は目を閉じる。両手で耳を塞ぐ。
頭の中にまで、その音は突き刺さる。
「……ジ…… ジオ!」
うっすらと目を開けると、ジオもまた、その場にうずくまって目と耳を塞いでいた。
たが回復するのは、そちらの方が早かった。いや、回復はしてはいなかったのかもしれない。ジオは意を決した様に目を開くと、こう言ったのだ。
「誰だ!」
あ、と彼は声を立てた。今度は頭だけではない。光の細かい針が、彼らめがけて何処からか放たれた。ケンネルは細かすぎて痛みと感じない程の痛みが、一気に身体全体に突き刺さるのを感じた。それだけではない。その光は、身体の中を通り抜けていく。通り抜ける時に、するりとした感触を一つ一つ身体の中に残していくのだ。
彼はどうしようも無い感覚に震えた。
しかしそれでも目を見開いた。ジオがそうしているというのに、ケンネルは自分だけうずくまっている訳にはいかなかった。
そして次の瞬間、彼は自分自身への説明に困った。
ぱん、と音がしてもおかしくないくらいの衝撃が、頭の中に直接弾けた。
何だ、とケンネルとジオは顔を見合わせた。
明らかに、自分のものでは無い考えが、自分の中に流れていくのを二人とも感じていた。だが、その考えが、さっぱり言葉として解読できないのだ。
テレパシイというものは、二人ともそれなりに知っていた。だが、それは表層の言語化された意識を飛ばすことだ、と解釈されることが普通である。
それを「普通」と呼ぶなら、その時二人の中に走ったものは、「普通」ではなかった。
映像が、恐ろしいスピードで流れていった。
それは、彼らの知っている色では彩られてはいなかった。奇妙にアウトラインだけがくっきりと浮き立つ様な映像が、ぐいぐいと一つ一つ迫る様な感触で、頭の中を通り抜けていく。強烈な色に、彼は思わず胸が悪くなる。
だが、次第にその一つ一つの映像が、判りやすいものに変わってくる。いや、理解できる範疇のものがその中に映ってきたのだ。
あれは。
……
どのくらい経ったのだろう?
気が付いた時、二人は岸壁の前に倒れていた。
しかし体温がそう失われていないところから、気を失ってからさして時間は経っていないことは容易に考えられた。
二人とも、何から口を開いたものか、という様に顔を見合わせた。
自分達の中に流れたものは、言葉で説明のできる様なものではないのだ。かろうじて言うなら、それは「流れ」。
意味の理解できない音のつながりが、波長の違う視覚を持った大量すぎる映像が、ほんの僅かな時間の中で、自分の中にそそぎ込まれた。それはそれまでの自分の蓄えてきたものを押し出してしまうか、と思われるくらいの大量のものだった。
ケンネルは頭をぶるん、と振ると、唇を噛んだ。
そして先に口を開いたのは、ジオの方だった。
「……ケンネルチーフ」
「チーフとは呼ばないで下さいよ……」
「あれは…… 歴史だった……」
「歴史…… ですか…… そう言われてみれば、そうかもしれない……」
「あれは、……でも、ここの歴史じゃ、ない……」
え、とケンネルは顔を上げた。
「ここの歴史じゃ、ないって?」
ジオはうなづいた。
「信じられない…… だが、あれが真実だとすると……」
厚い手袋をはめた両手が、一度大きく自身の頬を両側から叩く。ばふん、と乾いた音が、音一つしない雪の中で、奇妙にケンネルの耳に大きく響いた。
「地層は…… その惑星の歴史を……」
「違う、ケンネルチーフ、これはここの歴史じゃあない。この惑星ではありえない」
「どうしてそう、言い切ることができるんですか!」
ケンネルは思わず声を荒げていた。
「それとも、あなたにはあの映像の意味が、判るというんですか!」
ジオは顔を歪めた。それはそれまでケンネルが見たことの無かった表情だった。彼は――― 彼自身は、映像の意味を総体的に理解することはできなかった。浮き出す個々の映像一つ一つならば、まだ多少解釈の仕様がある。そこには人間が居た。人間らしいものが居た。乾いた大地があった。見たことのない草木があった。
そう、確かにこの惑星じゃあない。ケンネルでもそれは理解できる。
では何処なのだろう。
「……どうしてこれがここに在るのか、僕にはそれを説明できない。だが……」
「だが?」
「……僕は、あの顔を、知っている」
「あの顔?」
「あの映像の中に、一人の人物が出てきた。見間違えたかと思ったが…… 直接入ってくる映像に間違えるも間違えないも無いじゃないか。現に今だって、僕はその部分をくっきりと思い浮かべることができる」
「それは」
ケンネルは口ごもる。
通り過ぎた光景は、確かに、残っているのだ。通り過ぎて、無くなってしまった訳ではない。確かに、自分の中に、幾つかの映像をくっきりと焼き付けたままなのだ。ただそれがどういうものなのか、理解できないだけで。
「誰なんです? それはあなたのパーソナルな部分なんですか?」
「いや違う。あれは記憶じゃあない。知識の方だ。僕が直接会ったとか、個人的に知り合いというものじゃない。だけど、僕は確実にその姿を知っているんだ」
「だから」
「ケンネルチーフ、あなたは帝都へ出向いたことがあるか?」
「へ?」
急にそこへ話が飛んだことで、ケンネルは思わずとぼけた声を出してしまった。そしていいえ、と慌てて答える。
「でしょうな。アルクの人間はそこだけでほぼ全て完結しているから、帝都に用事があることはまず、無い。それにアルクでは、帝都や、帝立大学に留学したところでハクがつく訳ではないだろうし。だけどおそらく、僕はそのどちらかに行ったことがあるんだろう。そしておそらくは、その時に、その姿を見たんだ」
「……だから……」
「皇族だ」
短い答えだった。だがその答えは、ケンネルから一瞬呼吸を奪わせるのに充分だった。
「無論、今現在の皇族じゃない。……と、思う。今の様な、帝都の、全てが完備した様な場所じゃない。あれは。もっと…… 厳しい自然の中で生きてたような……」
「ってことは、ジオ、あなたは」
ジオは目を伏せて口ごもる。
「あれが、アンジェラスの鉱石だ、って言うんですか?」
*
「……さすがに俺も、言葉として理解しても、意味を理解するには、多少の時間が要りましたよ」
「そうだね、そして僕等の様な予備知識の全く無い者にとって、確かにあれは、強烈だろう。あの映像を受け止めようとしても、頭に一度に入れることのできる量を遥かに越えているだろう。危険な賭けだった、と今になってみて思うよ」
「でも、後悔はしてない」
ああ、とジオはうなづいた。
「あれがどうアンジェラスから移動してきたのかは判らない。ただ、現在の帝都を支配する皇族や血族の方々、の出身のアンジェラス星域には、帝都政府の力により、永久封鎖がされているんだが、その理由はよく判ったよ。そしてもう決して、そこに行くことはできないことも」
ケンネルはそうですね、とうなづいた。
「彼らは、帝都へ移り住んだ後、母星を破壊したんだ。この存在を隠すために。そしてその欠片が、何処をどう通ったのか知らないが、遠く離れたこの惑星へと落ち、冷たい大地の中でひっそりと息をひそめていた。あの鉱物生命体は」
「……俺は、あの後あなたがくれた結論を全部信じたくはない。できれば、信じたくはないんだ。だけどフアルト助教授、あなたが言うのなら、俺は信じずには居られないんだ。判ります? 影響を与える、というのは、そういうことなんですよ」
「……」
「だから、あなたの目論みも、できる限り協力します。科学技術庁長官の俺に、あなたは何を望むんですか?」
ケンネルは、普段まず誰にも聞かせない様な鋭い声を恩師に向かって浴びせた。恩師だから、浴びせた。
そして、その恩師は、その時極上の笑みを浮かべた。