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15.-③


「好きなだけ食えばいい。手伝ってもらったこれと言った礼もできないしな」

「……え、でも俺は泊めてもらっていた訳だし」


 それに、実際この何も考える暇もない程の忙しい三日間というのは、自分の気持ちをずいぶんリフレッシュさせたことにリルは気付いていた。


「あの類のバイトの日給は、普通宿代と食事代をさっ引いても多少残るさ。だけどまあ、今回の奴らからの取り立ては、も少し後になるしなあ」

「遠慮するんじゃないよ、リル君」


 カウンターの中からマスターが声を掛ける。


「ドクトルKが『超繁忙期』だってこと知っていて、君をわざわざやってしまったのは、こっちにも責任があるんだからさ。もう閉店している訳だし、好きなもの作るよ」

「……そ、それじゃ御言葉に甘えます」


 実際最初にこの店にやってきた時にも、殆ど感動する程料理は美味かったのだ。

 ここぞとばかりに彼は、コース料理の様にあれこれと品名を並べ、最後にはデザートのゼリーとコーヒーまでつけた。さすがにドクトルも目の前で苦笑してはいたが、決してそれは怒っているものではなかった。


「それにしても、いい食べっぷりだなあ」

「え?」


 彼は顔を上げる。よく見ると、ドクトルの皿は、最初のサラダの半分しか減っていない。手には細いパスタを巻き付けたままのフォークが握られていた。


「あ、すいません……」

「いやそうじゃなくて。何となく、友達を思い出すからね。ちょっと楽しくなってしまったんだよ」

「友達、ですか? マスター?」

「俺じゃないよ!」


 カウンターから声が飛んでくる。ほら違う、とドクトルも笑った。


「あいつじゃなくてね、別の友達」

「あ、別の……」

「昔一緒にわいわいと騒いだ連中なんだけど、結構今はあちこちに散らばっているんだ。当時は何やかやとあって、忙しかったなあ、とも思うけど、何ってこと無い、今でも私は忙しいじゃないか」

「はあ。その友達さんたちが、食いっぷりが良かったんすか?」

「良かったねえ。何というか。何せあの頃は……おっと、昔話に興じると、歳をどんどんとってしまう」


 彼は思わず苦笑した。


「まあ私のことはいいさ。君は、ヘルシュル、何でここに来たんだい?」

「確か君、カメラとか持っていたね。映像関係の仕事か何か?」

「あ、一応、これでも放送屋す。はい」


 何となく彼はそう言いながら恐縮する。


「へえ。じゃあ、もしかして、仕事で取材のためにあちこち?」

「あちこちって言うか……まあ、人捜しなんすよ」

「人捜し」


 ドクトルとマスターは顔を見合わせる。


「どんな人? それは企業秘密?」

「いや、人捜しの番組なんだから、とりあえず知ってるか知らないか、に関しては、秘密も何も無いんすよ。ただもう、思いっきり手詰まりになっちゃって」

「手詰まりねえ」


 ドクトルはフォークを置いて腕組みをする。


「一体どんな人物を、君、追いかけている訳?」

「うーん…… ちょっと名は言えないんすが、こういう人なんす」


 リルはそう言って、ウォレットから一枚のカードを出した。それは局でビニルコーティングした、ハイランド・ゲオルギイのビデオから取り出した映像の一枚だった。ドクトルはそれを見ながら前髪をかき上げ、目を細めた。


「……ずいぶんぶれているね」

「いや、これは映像から取ったもんすから。元々その映像も、あまり大きくはなくて。やっとここまで引き延ばしたすよ」

「俺もちょっと見せて、K」

「ほら。汚すなよ、トパーズ」


 そう言ってカードはドクトルの手からマスターの手へと渡される。ぴく、とマスターの眉が一瞬上がった様に、リルには見えたが、すぐに横を向いてしまったので、見間違いかもしれなかった。


「ずいぶんといいとこの坊ちゃんみたいだなあ」

「いいとこの坊ちゃんすよ。かなり。……だけど、ちょっと複雑な家庭環境に育って、途中で消息が掴めなくなってるんすよ」

「複雑な、ねえ。私は興味があるな」

「何でもかんでもお前は研究対象に見るんじゃないよ?」

「ひどいなトパーズ。今更そんなこと私がすると思っているのか?」

「今更というあたりにお前の人間性が出るんだよ。だけどリル君、確かに俺も興味あると言ってもいいかい?」


 にんまりとマスターも笑う。仕方ないな、とリルはカードを戻してもらいながらつぶやいた。


「具体的なことは、ちょっと言えないすよ?」

「構わないさ。私が興味あるのは、その『いいとこの坊ちゃん』が家庭環境のせいでぐれていく過程なんだから」

「そういう所が悪趣味だって言うんだよ」


 ふふん、とドクトルは笑った。それを見て彼は思わずこうつぶやいた。


「仲がいいんですね……」

「よせーっ!! こいつはただの悪友だっ!」


 マスターはそう言って、頭を抱えた。


「まあああいうのは放っておいて、君の話が聞きたいなあ」


 ドクトルは再び食事を再開しながら、にこやかにそう言った。はあ、とリルはうなづく。


「……まあ、とりあえず俺も、その尋ね人の足取りを追ってみたんすよ。生まれた家とか、学校とか……」

「それで?」

「何つか、実にいい子、だった訳で」

「いい子、ねえ。そういう子が失踪する訳だ」

「いや、まだその時は失踪している訳じゃないんすよ。そうすね、その地元の中等の本科を卒業して、首府の中央大学にストレートで入った後なんす」


 げ、とマスターは肩をすくめた。中央大の難しさは、この地方においても、非常に有名な事実らしい。


「嘘だろ……」

「な、何か本当に頭のいい子だったんだね」

「ええ。ただ、確かに元々頭はいいんだけど、それ以上に、本人の努力って奴が凄かったらしいですよ。中等の時の教師の話が運良く聞けたんすが、何か痛々しいくらいに一生懸命だった、ということだったし」

「へえ」


 マスターはカウンターから出てきて、丸椅子を持ち出すと、二人の横に座った。

「……おいトパーズ、そんなところに居て、ちゃんと彼の最後のゼリーとコーヒーまで出してくれるんだろうな」

「コーヒーは後で俺も呑みたいし、ゼリーはずっと冷蔵庫の中にあるよ。それより俺、その話すごく興味湧いてきたんだけど」

「は、はあ……」

「話し終わったら、三人で熱いコーヒーを呑もうな」


 何に浮かれているのか良くは判らないのだが、とりあえずは、話してしまったほうがいいらしい、とリルも気付いたらしく、食事を口に放り込みながら、話を続けることにした。


「でまあ、何でそんなに一生懸命なのか、ということなんすが、その話を聞いた教師…… 結構ずっと、その彼をある学科専門で何年も教えていたって言うんすね。それが、ある時ちょっと調子悪かったことがあって、総合試験で、確か、政治経済一般が少し悪かったんすね。でも無論、その彼の悪い、だから、普通の生徒よりは格段にいいんすが」

「ちょっとそこまで来ると嫌味だねえ」

「でも当人は大真面目で、何かその結果を滅茶苦茶に引き裂いたとかどうとか。何かそれで気になったその教師が聞くと、父親に申し訳が立たない、って言うんすよ」

「父親あ?」


 マスターは露骨に眉を寄せた。その下の金色の瞳が、光線の加減か、ぎらりと光った様にリルには感じられた。


「まあその父親ってのが、かなり社会的に地位のある人だと、思って下さいよ」

「でもそれはなあ…… かなりのそれは、ファザーコンプレックスじゃあないのかい?」


 ドクトルは目を細める。


「かも、しれません。どうもその父親っていうのが、その彼の三つ下の妹ばかりをよく可愛がっていた様で」

「まあ父親にとって娘っていうのは可愛いものだからなあ」

「お前そんなこと判るの?」

「私が知る訳ないだろう」

「とにかく! 推測ではあるんですが、その、何もしなくても可愛がられる妹、という存在があるせいなのか、その彼は実によく努力していたそうなんすよ。けどそうしてもそうしても、何も変わらない状況、という奴に」

「次第に絶望していった?」

「―――かまでは判らないすが。ともかく、そんな風にして積み上げた成績でストレートに入った中央大なんすが、これが、何やら、入学して三ヶ月で行方が知れなくなってるんす」

「三ヶ月。家出……と言うには、もう家を離れている訳だし」

「かどわかされた、というには、ガキでもないだろうし……」

「ええ。だから、何か事件に巻き込まれたか、それとも自発的に行方をくらましたか…… とにかく、このあたりからいきなり行き詰まるんすよ。で、俺、とにかく首府の中央大の、当時同じクラスだったらしい人達をずっとここのところ、尋ね歩いてたんす」

「で、こんなとこまで」

「大変だったねえ……」


 今更の様に二人はうなづいた。


「まあ別に、尋ねるのも歩くのもいいんすよ。まだ若いから。だけど、この手詰まり、って奴には…… かなり俺、疲れちゃったんすよね。情けなくも」

「いやあ、情けなくはないさ」


 マスターは、丸椅子を一度くるりと回した。


「袋小路にはまった様な気分の時ってのは誰だってあるもんさ。実際そういう時ってのは、何でそんな状態にあるのかさっぱり判らなくてさ。すぐそこに出口があったとしても、それが見えないんだ」

「言うねえ、君」

「言えるだろ、K」


 ドクトルは軽く眉と口元を上げた。


「でも君、ヘルシュル、この青年…… 今は青年だよね、絶対。彼を探し当てたら、どうするつもりなんだい? 君は放送屋だろう? お涙ちょうだい番組に仕立てる気かい?」

「いえ」


 彼はぱっと顔を上げた。


「実際のところ、この仕事に関しては、俺にそれをわざわざ頼んだ人が、見つかっても上に報告はしなくてもいい、って言ったんすよ」

「何だいそれは」


 マスターは即座に問い返した。


「口実なんす。仕事、っていうのは。本当は、その彼、を探したい人が居るんすよ。俺は、その人のためだから、と思って動いている訳すが」

「女性?」

「いい女ですよ?」


 にっこりとリルは笑った。


「ああ、好きなんだね」

「ええ」


 ドクトルの問いに、彼は大きくうなづく。


「あんなに動揺したあのひとを見たのは初めてでしたから、どうしても探してやりたくて」

「って、じゃあ、その女性の恋人だったとか何とか、っていうんじゃ」

「いや、それだけは、無いそうです」

「それだけは、ね」


 何だかな、とマスターは再び肩をすくめた。


「それじゃあ、ヘルシュル、もしも、その人物が、現在はその自分の過去を覚えていなかったら、どうする?」

「え?」


 思いもかけないドクトルの質問に、一瞬何を言われているのかリルは判らなくなった。


「それは?」

「例えば、その行方不明になった時に、何か事件に巻き込まれて、記憶を無くしてしまって、それで親元にも連絡もできなくなったとか」

「ああ、それもありますよね」

「そのまま新しい生活をずっと続けてきたとしたら、―――もう何年経っているのかな? この彼がいなくなってから」

「つまりさ、リル君、そういう場合、無理に過去を突き付けるのはどうかな、とこいつは言っている訳だけど」

「ああ……」


 リルはようやく判った、という様に大きくうなづいた。


「ええ、無論本人らしいと思う人だったら、対応はかなり慎重に行こうと思ってます。その頼んだ人も、もし自分や自分の回りの人のことを忘れている様だったら、それはそれでいい、と言ってましたから」

「ふうん。それは確かにいい女だな」


 そしてドクトルはちら、とマスターの方を向く。視線が交差する。マスターはうなづき、立ち上がるとカウンターの中へと入って行った。

 やがてコーヒーの香りが店内に漂い、マスターはトレイの上に、大きなカップに入ったコーヒーと、ミルクと砂糖を業務用の入れ物のまま持ってきた。リルはそれを受け取ると、どちらもやや多めに入れた。


「本当に、いい食いっぶりだったよなあ」


 マスターは何も入れないコーヒーをすすりながらつぶやく。ああ、とドクトルもうなづく。


「そのいい食いっぷりだった奴なんだけど、何かちょっとこの彼氏に似ていた様な気がするんだけどね」


 思わずリルは立ち上がっていた。


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