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それじゃ、とリルは見送る二人に窓越しに手を上げた。
朝日の差し込む車中は、この街に来た時と同じ様に空いていた。
窓の外をしばらくぼんやりと眺めていると、彼の視界には、色の薄いマスターの髪を下からかき上げるドクトルの姿が映った。その手を避けるとも避けないともつかない、マスターの首の動きに、彼はふと顔が赤らむのを感じた。全くその様な気配は前日の食事の時には無かったというのに。
列車が動き出したのを見計らって、彼はポケットからメモを取り出した。そこには昨日話した「友人」の居場所を記してある。
「これだけは覚えておいてくれ、ヘルシュル」
ドクトルはいきなりの展開に唖然としていたリルに向かって言った。
「私は彼がそうであるとか無いとかは断言できない。あくまで似てる、と思っただけだからね。ただ、私達の知っている彼は、決して思い出したい過去を持っている訳じゃあない」
それは、と彼は問い返した。
「それが何であるか、は私達にも判らない」
「それに、思い出さない方が幸せってことも、充分あるんたぜ?」
判ってます、と彼はうなづいた。そうなったら仕方が無い。相手には、あくまでそのことは話さずにコンタクトを取るしかないのだ。ドクトルとマスターは、あくまで自分達から伝言があるから、と手紙をつけてくれた。それに何が書かれているかはリルには判らないが、会う口実にはなるだろう。
実際、リルにしたところで、このハイランド・ゲオルギイがもしも自分の記憶を無くしていた場合、いっそ忘れたままだった方がいいのではないか、と思わない訳ではなかった。何せ、自分が調べてきたこの青年の足取りは、どうにも重すぎたのだ。
リルがこの町に来る前に、訪ねたのは、ハイランドの大学時代のクラスメートの一人だった。当時の名簿を頼りに、一人一人当たっていたのだ。
クラスの人数は三十五人。結構な数だった。事前に連絡して、ハイランドのことを覚えているかどうか、ということを聞いた上で有望な情報を持っている者だけを当たったのだが、それでも十人がところ、「覚えてる」「フォートがあるよ」という答えが来たので、彼はそれに直接次々にと当たっていたのだ。
そしてその最後の一人の証言が、リルをずいぶんと落ち込ませたのだ。それで一気に疲れが出た。終電の時間もホテルの有無も調べる気力が無いほど、疲れが頭の先から足のかかとまで澱んでいた。
「妙な奴だったよ」
とその「クラスメート」は言った。
見たところ三十をいくつか越えていただろうか。地方の都市の建設関係の会社の設計部門に勤務しているらしい。年末には出来上がるだろう首府のスタジアムの話題をざっと流して、その下請けに自分の会社が入っているということを何故か誇らしげに語っていた。
「ハイランド・ゲオルギイなら確かに覚えているよ」
喫茶室一つない会社の応対のスペースで、紙コップのコーヒーを前に、クラスメートの男は腕組みをしながら、そう目的の話題を切り出した。
「けど俺はそう好きじゃあなかったな」
「そうなんすか?」
彼は意外そうに問い返した。
「まあねえ。だってさ、俺なんて、あそこに五浪してやっと入ったんだよ? しかも、実業出てるから、資格試験受けて入ったクチだし。それなのに、いい家の出で、いい学校出て、なおかつストレートに入るんじゃ、何か……なあ、って感じじゃないかい?」
「自分は、中等の予科から実業の専科に移ったクチっすから……」
「へえ。まあそれならマトモな方だね。俺はそういう奴の方が好きよ。でもまあ、実際、奴とちゃんと話した、ってことは残念ながら無いんだよ、俺も」
「そう…… すか」
「悪いな。ただ、フォートは結構あるよ。ほら、持ってきた。遠路はるばるの客先には、ちゃんと対応しろ、っていうのが家の会社のモットーでね」
へへへ、と男はそう言いながら、隠し持っていたフォートブックを取り出した。新入生歓迎行事なのだろう、2Dのフォートの中には、紙吹雪が舞っていた。
「ほら、その真ん中で踊りまくっているのが、ハイランドだよ」
「え」
リルは目を丸くした。フォートの真ん中には、それまでの映像で見たお坊ちゃまな格好の少年は何処にもいなかった。わざわざ皺だらけにしたような、軽い素材のぺらぺらしたシャツをきつそうに着て、胸元もはだけたまま、足を大きく上げて踊り狂う青年の姿だった。
「こ、れっすか?」
「そう、これ。他にも色々あるよ。あっちにもこっちにも居る」
実際そうだった。クラスメートの男の持ってきたフォートには、至るところにその姿があった。
踊っているだけではない。それまでの映像の中にありがちな、何処か後ろに一歩引いている様な部分は無く、必ずと言っていい程、フォートの真ん中で目立っていた。
「な、何か明るいですね」
「おおっ。明るかったよ奴は。まあでも今考えるとカラ元気って感じだったがなあ。だってさ、所詮たった三ヶ月かそこら、クラスメートだっただけなんだよ? それも、中等や実業じゃないぜ? 大学だよ? クラスなんて言ったところで、毎日そのメンツが集まる訳じゃあないんだよ」
「そうなんですか……」
「そういうものさ。でも奴はその中では目立ってたからさ。その経歴も、だいたい一番年下ってこともあったし…… 人懐こかったから、女子にも可愛がられていたなあ」
「は、はあ」
「何かそういうの、ってこっちから見たら、すげえ腹立つけどさ。でもまあ、奴には奴で色々あったんだろーなあ」
「と、思うんすが…… 三ヶ月?」
「実質、奴が学校に出てきたのはそんくらいさ。その後は、居るのか居ないのか判らない状態」
それは他の話を聞いた皆が口を揃えたことだった。目立つ、も可愛い、も一応耳にはしている。ただフォートまで揃えてくれたのは、この男が初めてだった。
「写真…… お借りしていいすか?」
「ああいいよ。後でちゃんと送り返してくれるならさ。別にいつも取りだしては見てるって訳じゃないし」
「それで、三ヶ月って」
「ああそうそう。三ヶ月くらいまで、そんなまあ、大学に来るにはがさつな格好で来ては授業も適当に受けてたんだけど、そのあたりから、ぷっつりと姿を消すんだ」
「消す」
「と言っても、たま~に姿は見るんだよ。何せ一度覚えさせられてしまったからさ、女子が別に聞いてもいないのに言う訳さ。『クレペル君~ハイランド君をさっき寮の近くの銀杏並木のとこで見たんだけど、今日はこっち来たの?』って感じでさ」
女の声音をまねしながら「クレペル君」は言う。
「でも、見たと言った女も、結局見ただけで、それ以上じゃないんだ。別に声をかけたって訳でもないし」
「と言うことは、失踪してからも、首府には居たってことすよね」
「と言うことかな。……えーと、そうそう、最後に見たって聞いたのは、奴が消えてから二年してからだよ。だから、俺達が三年に何とか進級できた頃かな」
「二年間、ずっと首府に居たってことすか?」
「居続けたかどうか、は判らないけどさ。……でもその年って、何か首府もごたついてたじゃないの。水晶街の騒乱とかあったしさ」
「目撃されたんすか?」
「運悪く、その時ちょうど田舎に帰ってたのよ! 残念だね」
「残念、ってことは、結構学生の間では、そういう動きがあったってことすか?」
「クレペル君」は紙コップのコーヒーをぐっとあおった。
「学生は、だいたいいつもそんなものだよ? 学生だからさ。そのちょっと前には、他の都市で、先生達が騒乱起こしそうになってとっつかまってる」
「その学校の中で、騒乱の派閥に入ってしまったってことは」
「可能性としてはあるね」
あっさりと答えた。
「実際、学校っていうのは、そういう騒乱の温床となっている場合が多い。これはもう、伝統のようなものだね。ま、俺はそういうの好かないから、何かありそうだとこーやって田舎に逃げてきたりしていたけど。急進的な奴は、それこそ地下に潜ったりしていたな。だから奴に関しても、そういう噂が立ったことがある。ただ、奴のオヤジがオヤジだろ?」
「ゲオルギイ前首相……」
「そう。あの歴代の首相閣下の中でも、特に在職年数が長いし、しかも一応対外的にも穏健路線でずっと帝都政府との間を保ってきた人だろ? そういう奴の息子が地下活動に走った、ってのは、たとえ噂でもちょっとな、って感じがあったんじゃないかな」
「地下活動に通じる様な人がいましたか?」
「いや、それは俺には判らない」
男は首を横に振った。
「ただ、水晶街の時に、ずいぶんと多くの学生も検挙されてるんだ。その中に混じったのかな、とも思ったけど」
「けど?」
「けど君、考えてみろよ。もしも奴が、本当にそういう地下活動に加わっていたとして、それで捕まったとしても、首相閣下の息子と判れば、少なくとも政治犯扱いにされると思う?」
あ、とリルは声を立て、ぶるぶると首を横に振った。
「捕まったら、確実にオヤジの元に送り返されるだろ? こうやって君らが探すことも無い。なのに今こうだってことは」
そこで手詰まりになってしまうのである。
「だから、本当に何かつまらん理由で何処かへ行ってしまったか、何かの事件に巻き込まれて死んでしまったか、そうじゃなかったら、本当に地下活動に加わってて、捕まらずに動いてる、っていうのが俺の意見だなあ」
意見を聞いた訳ではなかった。だが確かに男の言うことには、彼もうなづけたのである。
おごってもらったコーヒーの礼と、フォートを返す先の住所を聞くと、そのまま駅へとリルは向かったのだが、その時には気分はずいぶんと重くなっていた。
その話は、ゾフィーの言う「バーミリオン」の行動とも時間的にもだぶる訳だし、何か関係があると言えばありそうなのである。
だが結局、全てがその「水晶街」から手詰まりになるのだ。
ゾフィーが言う「バーミリオン」がハイランドとしたら、その「時々姿を現す」期間にその名前で行動する様になったとも考えられなくはない。だったら、それは一体、何処で、どうして。
紹介してくれたドクトルとマスターの「友人」はその謎を解いてくれるのだろうか。少なくとも、自分は解く鍵を見つけだせるのだろうか。
進む列車の震動に身を任せながら、リルは期待と不安の血中濃度が一気に上がるのを感じていた。