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16.-③

   *


 結局なかなか次のトロリーが来ないことに苛立って、リタリットは次の次の停車場が一番近い自分の部屋まで歩いてしまった。無論その横を、やがてトロリーが追い越してしまったのは言うまでもない。

 こんなことは幾度かあった。だけどそのたびに、横には相棒が居たから、家路はそう長いものには感じなかった。疲れて話すことも無い時でも、何となく、居るだけで良かったのだ。

 しかし、何故自分がBPに対してそう思ってしまうのか、判らない様な所が彼にはあった。直感だと言ってしまえば、それで終わる。直感だった。直感に過ぎない。

 最初にあの房で、マーチ・ラビットとやり合っているのを見た時に、何も考えること無く、欲しいと思った。その自分の感情には、従うべきだ、とリタリットはその時思った。間違っていなかった、と後になってからはずっと思っている。

 何が自分をそうさせるのかは判らない。だが、背中を押すのだ。何か、が。

 それが自分の失った記憶から来るものなのかも判らない。おそらくはそうだろう、ということは認めている。

 ではその失った記憶は、どうして。

 あの「赤」の代表ウトホフトは、失った過去がBPの背中を押すのだ、という意味のことを言っていた。そうだとしたら、自分が自分の直感でBPを欲しいと思ったと同じ様に、自分は相棒が総統ヘラと対峙したい、と思ったということは認めなくてはならない。認めるべきなのだ。

 だが、嫌なのだ。それだけなのだ。

 BPが、自分の手の中から居なくなるのが、どうしても、嫌なのだ。

 ふう、とため息をつきながら、リタリットはアパートに入る。

 疲れと、堂々巡りの考えが、ずっと身体から離れなかった。そんな時には、さっさと食事をしてさっさと眠ってしまうしかない。眠れば、それでも朝が来る。次の朝が来て、また工場にでも出向けば、何も考えずに仕事をしていられる。

 そんなことを考えながら、自分達の部屋のある三階の廊下にたどり着いた時だった。あれ、と彼は思わずつぶやいた。誰かが自分達の部屋の前に座り込んでいる。ポケットに手を突っ込む。その中には相変わらず何かしら入っている。敵だとしたら、すぐに攻撃ができる様に。


「アンタ…… うちに何の用?」


 座り込んでいるのは、何やら大きな荷物を横に置いた男だった。しかし反応が無い。おい、とリタリットは大声を出した。よく通る声が、廊下中に響く。はっ、と男は顔を上げた。そして次の瞬間、ひどくびっくりした様に、目を大きく開けた。


「……何だよ寝てたんかよ…… 人騒がせな。何の様だよ。オレ眠いのよ。ウチに用件あるならさっさと言いやがれなんだよ」

「あ、あんた、リタリットさんだよね」


 慌てて男は立ち上がる。その拍子に、荷物がバランスを崩して倒れる。妙にぼこぼこした袋だなあ、と見ていた彼はその中身が金属系のものであることに気付いた。


「そうだけど?」

「俺、ヘルシュル・リルって言います。あんたの友達から、伝言を預かってきたから」

「友達?」


 そう聞くと、彼は扉を開けた。それ一つで信用した訳ではない。だが、廊下でする話ではない。ただでさえ自分の声は大気を震わすのだ。雨が近い日など、耳が敏感な仲間の一人はお前の声は響きすぎるんだちょっと黙れ、とよく言われたものだった。



「いいんですか?」


 いいから、と言って、リタリットはリルを部屋の中に連れ込んで後ろ手に鍵を閉めた。


「そのヘンに座ってよ。誰? オレの友達って。たくさん居るから、わかんないのよ」

「あ、実はこれを。ドクトルKと、ムイシン駅前の店のマスター……えーと、そうそう、トパーズって呼んでた……」

「ドクトルと、トパーズ?」


 彼は差し出された封筒を奪い取り、びりびりとその封を切った。中には薄い紙が一枚入っていた。そして横目に相手の姿を見ながら、その文面にざっと目を走らせた。


「……ふうん、人を探してるんだ」

「え?」

「でも残念だね、オレ、アンタの探している様な黒髪黒目の男なんて知らないよ」


 作り置きのテーブルのそばの椅子に掛けながら、リルは目を丸くする。黒髪黒目には用は無い。そうか、とリルはとっさに判断する。


「そうすか、残念だなあ。ふう、これじゃまた、手ぶらで首府まで戻らないといけない……」

「首府の人かい? アンタ」

「ええ。仕事で、人捜してるんですが、何かいまいち上手くいかなくて」

「へえ。それは大変だ」


 リタリットの愛想が突然険悪なものから無関心に変わる。無関心になった時、それは人当たりのいいものと一見見えるものへと変化する。茶でもどぉ、と言って、既に手はやかんを掴んでいたりする。


「すいません。実はずっとあんたを待ってて、持ってきた食事なかなか食えなかったんすよ。ここで開いていいすかね」

「食事まだなのかよ? それはひでえ」


 誰のせいだ、という言葉はそこでは故意的に無視される。

 リルはがさがさ、とかちかち、という音を両方させながら、大きなバッグから「食事」の包みを取り出す。それは朝方、マスターが持たせてくれたチキンサンドの箱だった。ずいぶんな量がある様な気がしたが、好意は素直に受け取るリルとしては、とりあえずそのまま開いてみる。


「うまそーじゃん。でも冷えてんな。温めてやるから、オレにもくんない?」

「え? ああ、いいすよ。俺も多いと思ってたんす」


 サンキュ、とつぶやくと、リタリットは作りつけのレンジの中にそれを放り込み、数分で出した。


「あ、でもちょっと菜っぱがふにゃらんになってしまったかな」

「でも肉は暖かい方が俺も好きす」

「トバーズか? これ」

「ええ。持たせてくれて」

「奴がそうするのは珍しいんだ。ふうん」


 感心した様にうなづいて、リタリットはばらばらのカップに茶を入れると、どん、と相手の前に置いた。そして温かいサンドを掴むと、口に放り込む。


「何だよじろじろ見て」

「いや、食欲旺盛だなあと思って」

「オレ今さっき仕事から帰ってきたばかりなのよ……寄り道もせず健全にね。腹減ってるのはとーぜんでしょ」

「まあそうすね」

「けどさぁ、何でそんな奴、探してんの?」


 リタリットは指についたチキンのたれをなめながら訊ねる。リルはその時やっとドクトルが手紙にそう書いた訳が判った。下手に嘘はつかなくていい様に、自分の問いたいことを、対象だけ逸らさせてくれたのだ。リタリットが尋ね人を「黒髪黒目」だから気にしている、というのはすぐにリルにも見て取れた。


「俺の、好きな人が探してる人なんすよ」

「好きなひと。へー」


 リタリットは目を丸くする。


「尊敬してるんですよ。だけど、それだけじゃない」

「オンナ?」

「まあそうすね」


 リルはにっこりと笑う。間違いじゃない。


「そのひとが、昔知っていた人だって言うんすよ。ただ、そのひとを水晶街の騒乱の時に、見失ってしまった、って言うんす。で、自分には言いたいことがそのひとに対してあるから、どうしても探し出したいんだ、って」

「水晶街の騒乱…… っていつだっけ」

「今年830年ですよね。もう八年くらい前じゃなかったですかね」

「八年……」

「俺なんかは、まだガキでしたねえ。中等に入るかどうかくらいすか。あんたは、……学生くらい?」

「知らないよオレは。働いてたし」


 間違いではない。八年前。リタリットは頭の中から記憶を引っぱり出す。自分の記憶は、そのあたりから始まっているのだ、と。

 八年前、ライで、雪の上に数名と一緒に転がされた時から、自分の記憶は始まっているのだ、と。その時一緒だったのは、誰だったろう。ぼんやりとしている。

 その前の記憶と言えば。

 思わず目をつぶって頭を振る。


「どうかしたんですか?」

「……何でもねーよ」


 そう言ってリタリットは大きな口を開けてサンドイッチに噛みついた。


「それで、その八年前にそのアンタの女が見失った奴、なの?」

「はい。でも俺の、じゃないすよ」

「でもそうしたいんだろ?」

「したいすよ。でも無理すよ」

「何で」

「そういう人なんす。誰かに頼ろうって人でもないし」

「そうじゃなくて、アンタが好きかどうかっての」

「そりゃあ好きすよ。だけど、それとは別」

「何か別なんだよ」

「って…… 何、怒ってるんす?」


 リルは問い返した。リタリットははっとしてごめん、とつぶやいた。


「や、謝られても…… でも、そりゃ、そうできたら、一番いいですよ。好きは好きなんす。でも俺は、彼女が自由であることが一番好きだし」

「彼女が自由?」

「俺が好きな、そのひとは、俺が今の職場に入る前から、自分のその職場での地位のために、一人で戦っていた様な人すから。自力で掴んだその地位は彼女にとって、ひどく大切なもので、俺はそれを掴む過程の彼女の姿に、何かひどく、やられてしまったみたいなんすよ」

「それで、触れもせず? ジュンジョーだね」

「大人だって言って欲しいなあ」

「オトナ、ねえ」


 彼は床に視線を落とす。


「そういうのがオトナ、だったら、オレは間違いなくガキだよな」

「そうなんすか?」

「そうなんすよ!」


 くくく、とリタリットは笑う。えーと、とリルはつぶやく。

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