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20.-②


 かび臭い、とBPは階段の裏手の隠し扉を開けた瞬間に思った。

 一方が集団で陽動作戦を取っている間に、隠し通路に忍び込んで、総統の私室を狙う。

 それが今回の作戦の単純な形だった。無論、陽動が四人で済むとは思っては、BPも思ってはいない。何はともあれ、ここは「官邸」である。警備の量も半端ではない。

 侵入する時にも、ラルゲン調理長の情報をもとに、調理資材関係の搬入路と倉庫の抜け道をたどった。さすがにそこは、警備の対象外だったらしく、……簡単とは言わないが、巡回する兵士の目を軽く逸らさせただけで、何とか入り込むことに成功はした。

 BPはそこから単独行動に入った。

 だが元々彼は、一人で侵入することを主張していた。その方が、動きが取りやすいし、なおかつ被害も少ない、と考えていたのだ。確かに彼らは裏活動を何かとして居たことはあるらしいが、実戦経験の量が、自分とは違う。……と、彼は感じた。

 記憶では無い。「知識」が、銃を手にした途端、自分のすべき行動を、決定するのだ。その「知識」が、こんな作戦には、少人数であればある程いい、と主張する。

 だが「赤」も「緑」も、それは駄目だ、と主張した。

 自分の行動は、試されている。BPはそれに気付いた時、渋々ながらも了承した。

 だが。

 嫌な予感がした。

 先程から、何の音もしていない。少し前、この通路に入り込むまでは、何かしらの音がしていた。足音。騒ぐ声。銃声。号令。

 なのに、この通路に一歩入った瞬間、それが、まるで無かったことの様に、ひっそりと辺りは静まりかえる。空気の色も違う。明かり一つ無いその通路の壁に、彼はそっと手を当てる。ひんやりと、冷たい。

 目をそっと伏せて、耳を澄ませる。


 こんなことが、以前にもあっただろうか? 


 彼は自分の中の細い細い糸をたぐる。蜘蛛の糸の様に、細いそれを、切らさない様に、そっと、ゆっくりたぐっていく。

 冷たい壁。湿った空気。かび臭い通路。

 ライから戻ってから、実戦に数度出たことはある。だがそれは、大概が街路やビルの中だった。陽の光の中ではないが、決して暗い中で行う戦闘では無かった。

 だが確かに、こんな暗闇の中で、自分は息を殺して、敵の気配をたどっていたことがあった、と彼は思う。

 敵。

 そう、気配が、この大気の中にはあった。それは、彼のむき出した腕の上をぴりぴりとかすめていく。


 ……何処だ?


 彼は内心つぶやきながら、ゆっくりと足を進めていく。

 広い通路ではない。だが足元が見えないくらいに暗い通路だから、彼は側の壁に手を当てて、ゆっくりと進んでいく。

 ふと、やがてその視線の先に、ぼんやりと光の様なものが見えた。


 何だろう?


 青白い光が、ぼんやりと壁の灰色を浮かび上がらせつつあった。道が曲がっている。腕に感じる違和感にも似た感覚が、次第に強くなってくる。

 光の在る方へ。彼は近づいていく。

 そして突然、目の前が開けた。


「……なるほどね」


 声がその空間に響いた。

 乾いた声だった。

 誰かが居る、と彼は思った。確かに居る、と。

 だがその「誰か」の姿は、逆光で見えない。

 大きな高い窓が、その突き当たりにはあった。その窓から差し込む衛星の冷たい青白い光が空間を満たしていた。だが窓を背にして、その聞き覚えのある声の持ち主の顔は、見えない。

 聞き覚え。政見放送で。聞こえてくるラジオで。

 その姿がそこにあった。たった一人で。

 そのつと伸ばされた手には、銃が。

 彼もまた反射的に銃に手を伸ばした。

 だが、撃つのではなく、まず身を伏せた。

 頭上を鋭い風が過ぎる。音はその後に続く。伏せたまま彼は、引き金を引いた。素早い動きで相手は避ける。かしゃん、と軽い音を引いて、窓ガラスの端が割れた。

 立ち上がると彼は、数回引き金を引いた。その度に、相手は素早く身をかわす。光の具合で彼にとって死角になる部分に入り込んでくる。


 確かにこんなことがあった。


 彼は頭の半分で思った。


 そして、こんなことが得意な奴が。


 その一瞬のスキが、彼の動きを鈍らせた。

 すっ、と死角の闇の中から、相手は伸び上がってきた。

 BPは銃を向けようと思ったが、相手の方が一瞬早かった。

 両手が、彼の手の中の銃を突き上げていた。弾丸が、窓ガラスの真ん中に命中した。派手な音を立てて、ガラスが弾けた。


 落ちる―――


 何が、という訳でない。ただ、落ちる、と思った。

 だが、落ちたのは、自分の身体であることにBPが気付くにのは、やや時間がかかった。

 何が起こっているのか、彼にはすぐには判らなかった。

 自分が相手の銃で撃ち殺されるだろうことは予想できた。だがその気配は無い。

 相手の両手は塞がっている。

 自分の両肩を押さえ込んでいるから、塞がっているのだ。


 何でこんな力が。


 華奢そうな腕。あり得ない。

 そしてその時、相手の顔が、はっきりと見えた。衛星光に半分照らされた、その顔の輪郭が、くっきりと判った。


「……お前は」


 総統ヘラ・ヒドゥン。

 まず彼は思った。あの並んだポスターの中で、一枚、くっきりと鮮やかなその顔を浮かび上がられたその顔。

 何度も繰り返される中央放送局の政見放送の中、政府公報のCFの中、どんな俳優も歌い手も顔色を無くしたというその整った顔が、目の前にある。

 だが一方、彼の中で奇妙な映像が、オーヴァラップする。


「誰だ」


 彼はつぶやく。


「お前は、誰だ?」


 それは、長い髪だったはずだ。ゆらゆらと、長い髪を揺らせて、上目づかいに自分を見上げた。ひどく悔しそうな顔で、ひどく悲しそうな顔で。

 どうして、と彼は再びつぶやく。

 だって。

 ぼとん、と水滴が、自分の頬に落ちるのを、彼は感じていた。

 一滴ではない。ぼたぼたぼたぼたと、幾つも、幾つも、水滴は、自分の上に落ちてくる。

 一体これは何処から落ちてくるのか、と彼は不思議に思う。確かに目の前の相手から、流れているものなのだけど。

 相手の大きな目から、流れて落ちてくるものなのだけど。

 じゃあこれはあの映像の続きなのか、と彼は、ふと考える。

 だから、彼は、その時に聞いてみたかった言葉を投げた。


「何で泣いているんだ?」

「お前が馬鹿だからだ」

「そうなのか?」

「そうだ。大馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。救いようも無い馬鹿だ」


 そして相手は自分の上にのし掛かったまま、首を抱え込む。

 やはりあの映像の続きに違いない、と彼は感じる。でもそれはおかしい。一体今はいつで、ここは何処だ。


「……や…… めろ……」

「止めない。お前にあの時、何で何もできなかったんだ。俺は一体何をしてたっていうんだ、ザクセン」


 その名前は、と聞こうとした。

 だが出来なかった。

 呼吸が塞がれる。これは相棒のものではない。柔らかい感触が、口を被い、柔らかな舌が、その間から侵入してくる。これは違う、相棒とは。


「……や…… めろ!」


 彼は思い切り背中に力を入れて、起きあがった。手に力を入れて、相手の身体を押し戻した。


 がちゃん。


 金属が床に落ちる音がした。それが銃だということに気付くのに、少しばかり時間がかかった。

 手に取ろうとする。だが相手の足がそれを蹴り飛ばす方が早かった。

 どちらの手にも銃は無い。そしてどちらも、体勢が崩れている。ある意味互角。

 だが相手からは、殺気が感じられない。

 BPは戸惑った。一体こいつは何を考えている?


「なるほどやっぱりお前はライへ送られたんだな」

「何?」


 乾いた声は彼に対して、会話を求めていた。少なくとも、BPにはそう聞こえた。


「そして全く忘れてしまったんだな?」

「だから何を」

「全てを。お前がお前である全てを。そして俺のことも」

「お前のことも?」

「忘れてしまったんだろう?」


 くくく、とヘラは笑う。


 一体誰だと。


 相手は自分のことをザクセンだと呼んだ。では本当に、この「総統閣下」は、あの「赤」のメンバーが言った、「アルンヘルム」だというのだろうか。

 だがその名前を口にするのは、彼にはためらわれた。


 違う。俺はそう呼んでいたのではない。


「何で……」


 そして無意識に、そんな言葉が彼の口から流れ出していた。一度顔を両手で被い、息を詰め、ゆっくりとその手を顔から引き剥がす。

 どうしてそう言おうとしているのか、自分でも訳が判らない。だが。


「何で、お前……」


 相手は自分の目の前で、くくく、と笑い続けている。何だよ、とヘラは笑いながら問いかける。


「何でお前、泣いてるんだよ、―――ヘル」


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