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「あれ、まだ居たのか?」
はっとしてテルミンは、その声に振り向く。そこには、図面を再び巻き戻したスペールンの姿があった。
「そんな訳はないよな。偶然って恐ろしいってことか。……あれ?」
眼鏡のふちをくっと押さえると、スペールンは改めて彼の顔をまじまじと見つめる。
「……何だ? 俺の顔に何かついているか?」
「いや、何か妙にお前、テルミン、綺麗に見えてさ」
「は?」
彼は少なからず自分の内側が動揺するのを覚えていた。
「ふうん」
ちら、とスペールンは彼が歩いて来た方向に目を移す。
「空いた時間に、女連れ込んだりしていないだろうな? 私室があるのをいいことに」
「な…… そんなこと!」
ふふ、とスペールンは腕を組んで、意味深に笑みを浮かべる。
「まあ別に、俺は、宣伝相閣下の素行がどうでも、知ったことではないがね。だが、宣伝相閣下、にはちょっと頼みがあるんだがね。建設相の俺としては」
ちょっと付き合ってくれないか、とスペールンはそのままテルミンを手招きする。断る理由も無いので、彼はそのまま建設相の後について行った。
「ほら、これが今度の新しい計画だ」
会議室の一つが空いているのを確かめると、スペールンはその机一杯に、抱えていた何枚もの図面を広げた。
「これは……」
「凄いだろ」
テルミンは顔を上げた。机の反対側で、煙草に火を点けながら、スペールンは目を細めて笑う。
「……凄いな。だけど、馬鹿げている」
「ふうん?」
「現在の首府改造だけでも、莫大な予算があてられている。今現在その外側に大規模な都市計画を持ちかけるのは、無謀じゃないのか?」
「予算か」
くっ、とスペールンは笑う。
実際、その図面に描かれた都市計画は、広大なものだった。首府を中心とした半径100㎞の同心円内のドーナツの実の部分が、統一された調子の建物と、地下を利用して整備された電気・ガス・水道等の公共設備、共同住宅、広場、公会堂、そして道路に駅。
それら自体は、それまでに使い尽くされたパターンのものであると言える。だが、それらが統一された規格で、首府のデザインと呼応した形で作られるとしたら、話は別である。
テルミンは、背中がぞく、とする。そしてスペールンは続ける。
「だったら、ライの開発にもっと力を入れればいい。あんな、囚人達だけに任せておく採掘じゃなく、もっとシステマティックに。民間企業の手を入れさせてもいい。あの惑星の鉱産資源の量を、テルミン、お前も知ってるだろう?」
「知ってはいる。だが無くとも充分この惑星は自給自足体制はできている。それに、あれはどうする?」
「パンコンガン鉱石か?」
ふう、とスペールンは煙を吐き出した。
「ああ」
「俺には判らないんだがな、テルミン」
「何がだ」
「何でアレをもっと有効に利用しない?」
「何だって?」
机の上にどん、と腰掛けると、スペールンは腕を前の方についた。そしてぐっとテルミンの方に身体を突き出す。
「要するに連中は、アレが無くちゃ困るということだろ? 俺は理由までは知らないがな。向こうがその発掘を命じているのは確かだが、逆にこちらがアレを逆手に取って、連中の喉元にまで近づいてやることだってできるだろうに」
「スペールン、お前……」
「まだるっこしいんだよ。前の首相も、今の政府も」
「……政府の一端に居るお前が何を言ってる」
「そうさ、俺は一端だ。一端に過ぎない」
そう吐き出す様に言うと、スペールンはにやりと笑った。
「今はな」
テルミンは次の言葉を見失った。この男は一体。この男を見いだしたのは、自分と総統ヘラであるが、下手をすると。
「何てぇ怖い顔してるんだ」
スペールンは再び煙を吐き出すと、あははは、と大声で笑った。テルミンはその煙を煩そうに手で扇ぐ。
「安心しろよテルミン。俺はそう簡単には、下手な気は起こさないさ」
「だが、事情さえあれば何かするつもりだというのか?」
「お前の言いぐさの方がよっぽど怖いよ。いや、お前と言う人間の方が、よっぽど怖いだろうに。俺みたいな建築馬鹿より。そうでなくて、一介の、将官でもなかった軍人が、宣伝相などという役割についている?」
「それは……」
「まあいいさ。動機とか時期とか、そんなものは誰が何処でぶち当たるかなんて、それこそ運任せのようなものだ。だが俺はそれだけで行きたくはないね」
そしてくるくる、とスペールンは一度広げた都市計画図を丸め直す。
「これは俺の、一世一代の夢さ。この首府を中心として、何処にも無かった、巨大な計画にのっとった都市を星系中に作り上げる。お前じゃないが、一介の建築家だった俺がここまで来てるんだから、それは全く可能性の無い夢じゃないだろう?」
テルミンは黙った。誇大妄想と、この男の言うことを片づけてはいけない。何と言っても、自分という、先例があるのだ。
「何とか言ったらどうだ?」
相手の言葉ではっとテルミンは我に返る。
「……お前の構想は素晴らしいものがあるさ」
言葉を探す。無論この男は馬鹿ではないから、思い切った行動を、すぐさま取る様なことは無いだろう。
「だが、物事には順序というものがあるだろう? 鉱産資源の開発にしたところで、一朝一夕にできる訳じゃない。だいたい最近やっと、調査隊が帰ってきたばかりじゃないか」
「調査隊か」
くっ、とスペールンは笑い、煙草を近くに積んであった灰皿の一つにこすりつけた。
「だがその調査隊の報告を、お前読んだことがあるのか?」
「お前はあるのか?」
あるよ、と当たり前のことの様に建設相は答え、腕を組む。
「あれで三年間も、じっとあの惑星にへばりついていたかと思うと、俺だったら連中に給料払う気はなくなるぜ。だがお前があの調査隊のチーフにやった地位ときたら」
「お前の建築馬鹿といい勝負だ」
「俺の分野とは違う。建築は相手あってのみ動くんだ、テルミン、判るか?」
ばん、とスペールンは壁に手をついた。
「どんな建築物もな、スポンサーってものが必要なんだよ。どれだけ建築家が、頭の中で素晴らしいものを作り出したとしても、それを現実にするには、金が必要なんだよ! これも!」
スペールンは壁を平手で叩く。
「これも! これも! 全てが、自分の意志だけじゃできないんだよ! たとえば小説書きは誰も見てくれなくとも作品を作ることができる。絵描きは夜中に絵をこっそり描いてクローゼットの中に溜め込み、それでも芸術と言えることはできる。詩人は空に向かって言葉を吐き出し、作曲家は歌を口ずさむ、それだけで芸術って奴を形にすることはできるさ。だけど、建築だけは、駄目だ」
「……」
「後世に偉大な建築家と呼ばれる様な奴らって言うのは、結局とんでもない後ろ盾がある奴らさ」
「……まさかお前は」
「ふふん。それこそお前の言うとおり、段階が必要だろうさ。だけど、それが最大の夢さ俺の。そのためだったら、俺は『その時』を待ち望むだろうさ」
「……スペールン、それは、現在の総統閣下に対する反逆の意志があると見ていいな」
「ふうん? 俺を今、拘束しようとするのか? テルミン。お前にはそれが可能だな。表には出ずとも、現在の政権はお前にある様なものだからな。総統閣下という最大のスポンサーを抱えてな。だけど、お前にゃできないさ」
「……」
「何故なら俺は、まだスタジアムの完成を宣言してはいないからさ。どれだけお前が周辺都市計画に反対しようが、現在進行中の首府改造計画は俺の手の中にあるんだぜ?」
「喋り過ぎだ、スペールン」
「おっとこれは失礼。だがあいにく俺は、こういうところで本心を言うってのが好きでね」
それは知っていた。この性格が、現在の総統ヘラにも興味を持たれた部分なのだ。
「予定通り、スタジアムは新年の祝賀祭には間に合うのだろうな? 建設相」
「無論。その時には最上級の内装で、我らが愛しの総統閣下をお迎え致しましょうか。その時には、我ら閣僚が勢揃いで。無論科学技術庁長官も、その中に正装して立っていただきましょうか」
スペールンはそう言うと、丸めた図面を元の様に抱えて、部屋の扉を開けた。押しつぶしたはずの煙草の火はまだ燃え尽きていなかったらしく、一筋の煙を部屋の大気の中へと拡散させていた。