*
「別にそういうのを否定する訳じゃないけど。全く周りにいない訳ではないでしょ。特にこんな放送関係やっていて、俳優や歌手とか見てきてると。でもまだ当時あたしはほんの小娘だった訳だし、そういう刺激に弱かったのよね。理屈なしに気分悪かったのよ」
リルはうーん、と小さくうめく。それはもう感情や生理的な問題であり、どういうこともできないのだ。
「最悪なことに、ある朝、兄貴しかいないと思って昔の参考書を借りに行ったら、……見てしまって」
「……それは…… 最悪」
「おまけにその時、兄貴は寝ていたのに、彼は目を覚まして、にやにやと余裕ありげに見たりするから、もうあたしは腹が立って腹が立って」
「それで参考書は借りられたんすか?」
ゾフィーは苦笑しながらひらひらと手を振った。
「元々嫌だなあ、と思っていたのが、それで一気に嫌いになっちゃったのよね。声も聞きたくない顔も見たくない、半径10メートル以内には近づかないで状態、よ」
「……手厳しい」
「今思うと、何ってガチガチのお堅い娘だったんだなあ、と思うけど」
今だって充分ガチガチだ、とリルは言いそうになって、慌てて口を押さえた。
「で、あたしはそれ以来、兄貴にも何かそういう意味の嫌悪感を持つ様になっちゃって、話すことも無くなってきたのよね。丸一年くらい」
「それは……」
彼は苦笑する。
「そんなこんなしているうちに、あたしは放送局に潜り込むことができて、仕事が忙しくて、面白くて、何か家に帰る時間がすごく減っちゃって、兄貴やその友人達のことなんか、考える余裕も無くなった訳よ」
「まあそうでしょうね」
自分の少し前の立場を彼は思い返す。おそらくは彼女はもっと厳しい状況だったのだろう。
「でも、そんなある日、ものすごく久しぶりに兄貴や兄貴の友達と顔を合わせちゃったのよね。何か妙に人が多いな、と思って」
「どのくらい居ましたか?」
「そうね、だいたい七~八人ってとこかしら。母親は、いつもの溜まり友達だ、って言っていたから、その頃には、その人数が溜まっている様になっていたらしいの。ただ、母親の話だと、勉強の会に聞こえていたみたいね。あのひとも学校は実業の予科で止めているような人だから、兄貴達の話が何であるかは理解できなかったと思う」
「お父さんは?」
「親父はその頃、首府にはいなかったのよ。ちょっと離れた都市で工場主任か何かやっていたから」
ああ、と彼は大きくうなづく。
「―――偶然だったとは、思うのよ。だけど……」
「けど?」
「たまたま、夜中にトイレに立つことって、あるでしょ?」
「え? ああ、ありますね」
「物騒な話が、聞こえてきたのよ」
「え?」
「物騒な話。リル君何だったと思う?」
何って、と彼は腕を組む。
「その、騒乱の計画……」
違うわ、とゾフィーは首を横に振った。
「ねえリル君、あの水晶街の騒乱は、何で起こったと思う?」
「何で?」
「あれは、結果よ」
「結果?」
「ある計画があって、それを実行寸前まで行って包囲されたからあの騒動が起きたのであって、騒乱自体が目的じゃあないのよ」
「―――って、そんな話、聞いたことが無いすよ?」
「そりゃそうよ。その部分は発表されてないもの。公式には」
報道は上辺、と彼はゾフィーが言った言葉を繰り返す。
「そ。報道は上辺。あくまで当時、報道機関は、あれを『ただの大規模騒乱』として片づけたわ」
「じゃあただの、じゃなかった」
「違うわ」
「レベカさんはその失敗したほうの計画を…………」
ええ、とうなづきながら、彼女はデスクについた手を組んだ。
「あの時、彼らは、暗殺計画を立てていたのよ」
「あ」
んさつ? と思わずリルは大声を立てそうになったので口を塞いだ。
「そんな無謀な」
「無謀だと思う? だって、結局ゲオルギイ首相は暗殺されたのよ? ……犯人はその場で射殺されたけど」
「無謀では、無いと?」
「計画さえ上手く運んでいたらね。ただ、その時は上手く運ばなかったのよ」
「で…… でも」
自分の声がやや震えているのが彼にも判る。
「でも?」
「そこには、ヴァーミリオンも居たんでしょ? 彼はハイランド君だとしたら、……それは父親の暗殺計画ってことに」
「―――とあたしも当初思ったのよ」
そう言ってちら、と彼女はやや上目づかいでリルを見た。
「当初」
「その時、聞こえてきたと言っても、扉ごしよ? 誰がそこに居たか、は判らなかったわ」
「とすると、ハイランド君――― ヴァーミリオンは、その計画には参加していなかった?」
「らしいの」
「だけど、何で」
「そこが上手く判らないのよ。まあ当時から、急進派が暗殺を考える、ってのはよくあった話よね」
「ええ。過去の資料を見ても、ゲオルギイ首相の暗殺未遂はずいぶんとたくさん。実行されかかったことも資料にはあったし」
「そして実行されてしまった。でも、学生がやるには、相手は大きすぎると思わない?」
「思うっす。だけど、学生の間は、気付かない、ってことではないすか?」
「ええ、それはあると思う。彼らは頭は回るけど、その視界が狭いってことはあるからね。だから計画が起こったことは、問題じゃないのよ。問題は、どうしてそこに、ヴァーミリオンが参加して『なかった』か、ってことなの」
リルは足を組み、あごに手を置いて、うーん、とうなる。
「彼は反対していた」
「とも考えられるわ。じゃあそれは何故かしら」
「そこがよく判らないすよね。……そう、よっぽど頭良くて、……いや、頭良くなくていいす。視野が広ければ」
「暗殺計画を立てても、失敗すると知っていたから? そもそもが反対していたから、兄貴達は、彼をその計画には入れなかった、ってことよね」
「だと思いますね。でも、その時ハイランド君は、確かまだ、レベカさんのお兄さんより一つ下じゃなかったでしたっけ」
「そうよ。兄貴より一つ下だったわ。その頃ずっとそういう関係が続いていたのかは…… 見たくもなかったけど、判らないけど……」
「そんな学生が――― ハイランド君は確かに頭はいいだろうけど、よくそんな見通し立てましたよね。いや、それとも父親の警備の厳しさを知ってたってことすかね?」
「そうかもしれないけど。でも、その頃ヴァーミリオンはハイランドの名前を出していなかったはずよ。だったらそういう理由で反対はできない。とすると―――」
「だいたい何で、朱色なんすか」
それは突然だった。だが、根本的な問いかけだった。
「そうなのよ」
ゾフィーは大きくうなづく。
「そもそもが何でそんな名前なのか、というのがずっとあった訳よ。あだ名というより、それってまるで」
「コードネーム」
「よね」
二人は声を低めた。
「彼が、何かの組織から派遣されて、オルガナイズする様に指令を受けていた……とも考えられますよね」
「あたしもそれを考えてたわ。ただ、証拠はない」
「俺達が今話してることなんて、全部証拠無いみたいなことすからね。だいたいもう八年の昔のことなんだし」
「そうよ。だけどその八年前のことがずっと引っかかってるんだから、仕方が無いのよね」
「レベカさん」
「忘れてしまえたら、楽なのよ。だけど、あたしは――― 何かね、途中から、彼らが計画からヴァーミリオンを外してる、ってのは気付いていたのよ。だけどそのことをずっと彼には言わなかった。滅多に会わなかった、っていうのもあるけど、言いたくなかった、というのもあったわ」
「それゃあなたは聞かなかった、ということもあり得た訳だし」
「でも知っていたのよ。それは事実よ。そしてある日、放送局に居るあたしをわざわざ訊ねてきて、彼聞いたのよ。兄貴の行方を」
「行方?」
「さすがにそれはあたしにも寝耳に水、だったわ」
「ということは、お兄さん、家にいなかった?」
「母親はその時、大学の会活動の合宿だと聞いていたらしいわ。間違ってはいないわね」
くす、とゾフィーは笑う。
「あたしは嫌な予感がした。だから言ってやったわその時。『知らないの?』って」
「知らない、と彼は答えた」
「そう。顔色が変わったわね。慌てて飛び出して、何やら知っているところを調べまくったらしいわ。でも何か彼は結局ずっと見つからなくて、そう、……あの当日よ」
「当日…… って、水晶街の」
「正確には、前日。どうしても見つからないから、頼む君の知っているところ、心当たりを教えてくれ、ともう、こんな風に」
ゾフィーは手を伸ばし、リルの両のの二の腕をがっちりと掴んだ。
「両腕掴まれて、願い倒されたのよ。さすがにその時には怖かったわ」
「で、言ったんすか? 居場所」
「その時のあたしに判ると思う?」
彼女は唇を噛みしめた。
「全く。皆目見当が付かなかったわよ。するとヴァーミリオンは、新聞を見せてくれ、ともの凄い剣幕で言ったのよ。慌ててあたしは事務所から取ってきて見せたわ。彼は首相のその日のスケジュールの欄を見ると、飛び出して行った。あたしはそれを追いかけた。地下鉄の駅へと彼は走って行った。最寄りの駅じゃなかったわ。わざわざ地上を通って、官邸に一番近い――― 中央図書館前、まで彼は行ったのよ。走れない距離ではなかったけど、結構足で行くとあるわね。彼は途中で道に置いてある自転車を勝手に持っていったわ。そしてもの凄いスピードで駈けだした」
「あなたは?」
「あたしはこの放送局の自転車を借りたわ」
やっぱり自転車なのか、とリルは苦笑する。
「彼の背中を見失わない様に必死で漕いだわ。もう汗がだくだく。でもそうこうするうちに、その行く先で、ひどい音がしたのよ」
「ひどい音?」
「爆発音よ」
と、その時、ぴー、という音が二人の前のモニターのスピーカーから響いた。
その音に弾かれた様に二人がモニターを見ると、画面には、それまで映っていた深夜ショウの画像は無く、砂嵐が飛び交っていた。
「放送終了時間、ってこんな早かったかしら」
「や、そんなことないすよ。俺時々画面確認してたけど」
『……深夜の電波にその虚しい心を癒していると思いこんでる少年少女老若男女の諸君おはようこんばんわ。はじめましてどうも!』
不意に、そんな言葉が雑音に混じって飛び出してきた。はっとしてゾフィーもリルも顔を上げる。
『電波にIDは不要。遠い場所から君達虚しい人々に捧げるこの放送、ああ何てお久しぶりなのでしょう!? 本日のライの大陸南西地帯K15ブロックの天候は晴れ。晴れ。晴れ』
「海賊電波だ!」
「まさか」
「まさか、じゃないですよ! それにこれ……」
「そうよ、これ……」
リルとゾフィーは顔を見合わせ会う。ゾフィーは背中がすっと冷えるのを感じる。リルは思わずヴォリュームを上げる。
「リタリット君、の声だ……」