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20.-③


「居ません。何処にも……」

「よし今度は、こちらへ廻れ」

「は」


 二人一組の警備兵は、一礼するとすぐに所定の位置へと駈けだして行く。

 テルミンは次々に集まってくる警備兵の報告を聞き、図面をモニター室の大きなデスクに広げながら、別の箇所を指示していた。

 普段の警備の人数はそう多くは無い。だが一声かければ、その数は数倍に膨れ上がる。その人員をもって、この複雑怪奇に絡み合った様式の詰め合わせの様な官邸を、これでもかとばかりに彼は捜索させていた。

 しかし結果ははかばかしくない。たった一人のねずみをいぶり出すだけなのに、何故こんならはかどらないのか。テルミンはやや苛立ちかけていた。元より睡眠が足りないことが、彼の神経をささくれ立てていた。

 そしてその時、彼の神経をより逆撫でするものが飛び込んできた。


『こんばんわこんばんわも一つおまけにこんばんわ。親愛なる総統閣下お元気であられましょうか。衛星光が綺麗ですね今夜は。同じ光を浴びてらっしゃるのでしょうか?』


 笑い混じりの、奇妙に響く声が、彼の耳に飛び込んで、頭の中をかき回す。切ってしまえ、と叫びだしたい衝動が、あった。


「どういたしましたか?」


 心配そうに、まだ若い警備兵の一人が彼をのぞき込む。ああいけない、とテルミンは思う。疲れや苛立ちを、彼らの前で見せる訳にはいかないのだ。大丈夫だ、と手を振って、彼は笑顔を作る。


「しばらく私室に居る。見つけたらすぐに連絡しろ」

「はい。ですが宣伝相閣下、一応お持ち下さい」


 兵士の一人は、彼に麻酔銃を差し出した。生け捕りにしろ、とヘラが命じたことから、テルミンは彼らにそれを持たせて捜索させていたのだ。


「判った。まず私が使うことはないだろうが」

「しかし」


 にっこりと笑い、テルミンはそれを受け取った。渡した兵士も、それにつられてにっこりと返した。

 だが部屋に入った途端、疲れが体中に押し寄せてくる。それは寝不足や日々の疲れの蓄積からだけではなかった。体中を襲う、無気力に近いものだった。

 あの帝都からの派遣員が帝都に戻ってからというもの、彼は慢性の寝不足に悩まされていた。全く眠りが無い訳ではないが、浅く、起きた時にひどい倦怠感を伴うもので、休んだ、という感触がひどく少ないものだった。

 そして夢をよく見る。

 それはひどく曖昧なもので、何をどうというものが、具体的に現れる訳ではない。いや、現れる時もあることはある。例えば彼の敬愛なる総統閣下。彼の親友。彼の女友達。その中で、テルミンは上手くものごとを回している、というイメージ。イメージはイメージだった。だから何をしている、という具体的なことではない。ただ「上手くやっている」という感覚だけがそこにはある。

 だが、「上手く」やって笑い合うそのイメージは、いつでも何処か薄ら寒いのだ。

 誰かが、居ない。

 それが誰であるのか彼は知っていた。そして呼ぼうとすると、目が覚める。手を伸ばす。だがその手は何にも触れることもなく、ただ夜の闇をかき回すだけだった。

 寝具をかき寄せ、自分自身を抱きしめてみても、何も変わる訳ではない。そしてただ、じっと朝が来るのを待つのだ。

 しかしどうやらこの夜は、そんな風に待つことはしなくてもよそさうだった。だが倦怠感は続いている。何とかしなくては、と彼は私室の隅の簡易キッチンへ立ち、専属のハウスキーパーが毎日用意しているコーヒーポットを火にかけた。半分も呑まないうちに取り替えられるそれが、無性に今は欲しかった。

 こぽこぽ、と音をさせて沸騰を始めたそれを火から下ろし、彼は胃に良くないな、とミルクを少し入れてかき回す。部屋中に、コーヒーの香りが広がった。両手でカップを持つ。口をつける。暖かい。

 ふう、と彼はため息をついた。


 その時だった。


 気を抜いたから、耳が敏感になったのだろうか。彼はふと、銃声を聞いた様な気がした。

 立ち上がる。それはどちらからだろう。耳を澄ませる。だが部下からの連絡は無い。

 再び、銃声が細く糸を引いて、彼の耳に飛び込んだ。

 まさか。

 テルミンはコーヒーを飲み干すと、かたんと音をさせてカップを置き、そのまま部屋の奥へと足を動かした。クローゼットの奥を開くと、ここ数日足を踏み入れなかった、湿った空気が漂う通路が開く。

 ヘラから返してもらった小さな懐中電灯で、足元を照らしながら、音のしたと思われる方向へと彼は足を進める。

 確かにこの方向だった。

 がしゃん、と何かが落ちる音がする。彼は肩を震わせる。窓ガラスが、落ちた?

 足を速める。灯りを消す。もうこの辺りなら、自分の足は慣れているはずだ、と彼は思った。

 そして視界が開ける。きらきらと、床が、衛星光にきらめいている。何故だ。ガラスの破片が、散らばっている。

 それだけでは、なかった。

 彼は自分の目を、疑った。

 誰かが、誰かに抱きついている。べったりと床に尻をついたまま。逆光でよく見えない。だが、その小柄で華奢で、特徴のある体つき。すんなりとした腕が、まっすぐ伸びて。

 あれは。


「何で、俺が泣いてたかって?」


 ヘラは腕をだらりと垂らしたままの相手に抱きつきながら言う。何かを、この誰かはヘラに言ったのだろうか、とテルミンは奇妙に乾いた感覚で考える。変だ、と思う。何で俺はこんなに平静に言葉をつないでるんだ。


「悔しかったんだよ。何でお前にずっと、こうしなかったかって。自分のふがいなさに、俺はひどく、悔しかったんだ」



 ああ、そうだったのか、とBPは思った。

 あの泣き顔は、そういう意味だったのか、と。予想だにしていなかった。

 相手は、そしてもう一度、唇を合わせてきた。先程とは違って、軽く、重ねるだけのものだった。彼はそれを避けることはしなかった。


「……避けないんだな」


 相手は首に手を回したまま、そうつぶやく。実際不思議だった。何故自分はこの手を振り解かないのだろう、と。確かに向かし相棒だったのかもしれない。だが現在は、自分達にとって、「敵」であるはずのこの相手を、どうして。

 それだけじゃない。あの相棒では無いはずなのに、自分はそれが平気なのだろうか。

 あの冬の惑星に居た時、それでもふざけて彼にキスの一つでもしようとした奴が居ない訳ではない。無論相棒の知らないところだ。だが、そのたび彼は、その相手にひじ鉄どころか、拳と蹴りの一つも加えたはずである。

 なのに。


「お前は誰なんだ」


 自分にとも、相手にともつかない質問を、思わずつぶやいている。すると乾いた、途切れそうな程の声が、それに答える。


「俺は、ヘルだ。お前が奴だというなら。お前の相棒で、友人で」

「お前は俺を好きだった?」

「ああ」


 彼は首を横に振る。そんな訳がない、と。


「だが事実だ。少なくとも、俺はそうだった。お前を守りたかった。俺にできることはしたかった。……お前が生きていれば、それで良かった」


 「赤」の内部で得た情報によると、かつてこの総統ヘラは、首相ゲオルギイの愛人だったという噂がある。仲間を売って、身の安全を買ったのだ、という噂もあった。BPはそれがにわかには考えにくかった。別段根拠というものはない。ただ何となく、考えにくかった。

 何となく。


「奴は、生きたいか、と俺に聞いた。俺は別に、と答えた。実際どうでもよかった。馬鹿馬鹿しかった。こんなところで足元をすくわれるとは思わなかった。一人だったら、何とかして脱出できると思っていた。奴は俺を拘束らしい拘束はしていなかったからな。だが奴はなかなか俺が強情だと判ると、こう言ったよ。『お前の相棒の命を助けたくはないか』」


 BPは顔を上げた。


「奴は交換条件を出してきた。お前の命は助ける代わりに、自分のものになれと言ってきた」

「そんな……」

「事実だ」

「それで――― そうしたというのか?」

「お前は今、生きているだろう?」


 そういうことだ、とヘラは付け加える。


「どんな姿になろうと、記憶を無くそうと、とにかくお前が生きていれば、良かった。それでどうなるかはどうでもよかった。生きてれば、何とかなる。いつか、何処かで会える。俺はそう思った。だから、奴の要求を呑んだ。俺は後悔してない。別に捨てて惜しいものは何もなかった。欲しいものも何も無かった。ただ、いつか」


 く、と目の前の相手は笑う。BPはその手が頬に触れるのを感じた。


「皮肉だよな。それでお前は俺の敵になるのかよ」

「……」

「あの時、奴の『特別のお達し』とやらで、『ザクセン』に最後に会った時、俺は馬鹿みたいにぼろぼろ泣いたよ」


 今の様に? 彼は思った。だが口には出さなかった。


「馬鹿馬鹿しくて、泣いたよ。何で、こんなことになるのなら、もっと早く……」


 ああまた、だ。彼はその乾いた感触に、そんなことを思う。


「だけど、お前、避けないんだな」

「俺は、避けていたというのか?」

「誰よりも、そういうことを、嫌がっていたくせに。戦場で、他の奴が、お前にちょっかい出そうとすると、たちどころに殴りつけたくせに」

「わからない……」


 最初から、あの相棒には、違和感は、無かったのだ。そんなものかな、と奇妙に納得していた自分が居たのだ。


「あの時、ひどくびっくりしていたくせに……」


 あの時?


「……あの時、お前……」


 つながった、と彼は思った。


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