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だから、訳が判らなかったのだ。
ずっと、拘束されて、尋問を受けて、度重なる追求と、時には殴る蹴るの暴行。喋ることなど何も無い。それはそうだ。自分は何も知らないのだから。
ただ、そこに居合わせただけだったのだ。……相棒と共に。
だけど居合わせたのは偶然ではない。俺達は、呼び出されたのだ。普段あまりいい雰囲気ではない、その首府警備隊の若手士官達に。
自分達は、戦場のたたき上げだった。その腕を買われて、近年次第に力をつけていた反政府組織に対する実働隊として、相棒と共に、あの辺境、毎日が戦場の地から引き抜かれたのだ。
それは彼にとっては、結構な出世に最初は思えた。相棒同様、決して俺も裕福な出ではない。ただ、それでも軍隊に入れば、少しでも上を望める、と思っていた。
しかし実戦に強くなればなるほど、その期待は薄れていった。軍は自分達を、ただ利用しているだけじゃないか。
そうこぼす彼に、相棒の言葉はいつもあっさりと、乾いていた。だけど仕方ないだろ、と言う言葉の中に、あきらめと、そして居直りの様なものを感じて、いつも感心していた。強いな、と思っていた。
見かけでは、決して判断してはいけない、危険な相棒。もし本気で対戦したなら、自分は絶対に負けるだろう、と彼は思っていた。何故なら彼は、相棒は決して殺せない。
だからその相棒と共に首府警備隊に転属を命じられた時には彼は嬉しかった。素直に、嬉しかった。
相棒はやっぱり乾いた声であっそう、と言っただけだった。
そして相棒の反応の方が正しかった。
首府警備隊は、結局エリートの通過点の様な場所だった。実戦など参加したことの無い様な、士官学校出の連中が、真面目に勤め上げるとそこを抜けて、上の職場へと行ける、そんな通過点。そこで手を汚すことなど考えもしない連中の吹き溜まりだった。失望した。だが相棒はそんなものさ、と乾いた声で彼に言った。正しかった。
自然、その中に溶け込むことはできず、彼らは浮いていた。だが実戦において、彼らに勝てる者はいなかった。
それが、周囲の恨みを買うことになるとは、彼は気付いていなかった。相棒は気付いていなかったのだろうか? いや気付いていたのだろう。
気付いていて、ばーか、とその乾いた口調で奴らの背後から言っていたに違いない。声にしていなかったにせよ。
それが、連中の気に障っていたことだけが、彼も相棒もお互いに同じくらいに気付かずに。
自分達が馬鹿だったとすれば、それだった。
別世界の住人だと思っていたから、この「同僚」達にやがて関心を持つのもやめた。彼らはきっとこの首府警備隊の実戦部隊として飼い殺しにされるのだろう、と思っていた。
だが向こうにはそうではなかった。奴らはいつも足元をすくわれるのを恐れていた。ただそれに、彼らが気付かなかっただけだ。
そしてそれは、奇妙な形となって現れた。
ある日彼らは、ちょっとしたことで、部隊の「同僚」の一人といさかいを起こした。理由は簡単だった。相棒の美貌とも言っていい程の姿に、その姿で取り入ったのだろう、と悪態をつく者が居たからだった。
またいつものことだ、と彼は思った。
だが不思議なことに、その時、仲直りを向こうから申し出てきた。彼と、相棒の二人に。
奇妙には思ったが、そんなものだろう、と彼らは、誘われるままに官舎へと向かった。
だがそれが、いけなかった。
ものものしい雰囲気が、入った官舎の中に漂っていた。やあ、と向こうは愛想よく喋りかけてきた。
ひとことふたこと、言葉を交わすうちに、相棒の表情が変わってきた。高揚した視線。高揚した声。高揚した言葉。
「……こいつら、おかしい」
乾いた、小さな声が、彼の耳に飛び込んだ。それは彼自身も感じていた。酔っているのか、と当初は思った。愛想の良さも、言葉の調子も、明らかにそれは酔っている者のそれだった。
実際、彼らは酔っていた。しかしそれは酒ではなかった。
クーデターという夢に、酔っていたのだ。
そのための駒に、彼らが呼び出されたことに気付くのは遅くはなかった。だが、気付くのが少し遅かった。
いつ誰が何処で通報したのだろう? 夜が明ける前に、その場所は包囲されていた。
違う仲間じゃない、と言っても、問答無用で後頭部を殴られ、気が付いた時には、留置所の中だった。相棒の姿を彼は目で探した。だが見つからなかった。一緒に放り込まれた連中を、普段はしない、脅す様な口調で彼は問いつめたが、誰も知らない、と言った。
そして尋問が繰り返され、やがて相棒のことを訊ねる気力さえ失くなっていった。食事もろくに与えられない上に尋問。当然だろう、と彼は思った。もしも問われていることが事実だったら、自分達は殺されるためにその場に居るのだ。食事など与えられる訳がないだろう、と。だがそれでも尋問のために水くらいは与えられるのだろう、と。
そのまま自分は殺されるのだろう、と弱気にも彼は思っていた。身体も自分も、どうにもならない程、沈み込んでいた。
だが気が付くと、周囲には誰もいなくなっていた。
同じ房の中にも、隣の房の中にも、気配は無かった。
ぼんやりする意識が、ふと開く扉を認めた時、相棒の姿がそこにあった。
幻覚か、と思った。
だがその幻覚は近づいてきて、何も言わず、ぼろぼろと涙を流し、彼をにらみつけた。
そう、にらみつけたのだ。
相棒の涙など、それまで彼は見たこともなかった。だからこれは夢だ、と思った。
あの長く伸ばしているくせに、邪魔になるといつも束ねていたはずの髪を、どうしたのか、ゆらゆらと広げたまま、抱きついてくる。
だからこれは、夢だと。
そんな訳は無いのだ、と。
相棒は何かを言おうとする。だが何を言っていいのか判らない、という様に、口だけをぱくぱくと動かして。苛立たしげに首を横に振り。
何を言いたいのか、と彼は訊ねた。……と、思う。実際には何も言っていないのかもしれない。
だがその時、相棒は、一度、抱きついた腕を放すと、彼の首を抱え込んで。
あれは。
何故だ、と。
彼は、混乱して。
相棒は、走り去り。
ぼんやりと、行為の意味を理解しかねて奇妙に空回りする頭のまま、両腕を引き上げられ、身体が引きずられるのを感じて。
……そのまま麻酔をかけられた。
*
「……そういう、意味だったのか……」
BPはつぶやく。
記憶の処置は、「抹消」ではない。記憶の筋道を混乱させるものなのだ。
だから、「鍵」が誰もの中に残る。ただ、その「鍵」は、冬の惑星の収容所に住む人間には現れる訳がない。記憶の中で、最も強く焼き付いているもの。それが記憶の正しい筋道へとつながる最大の「鍵」なのだ。
そして彼の目の前には、その映像そのものが居た。
「鍵」は開かれた。
連鎖反応の様に、次々と、映像が彼の頭の中を流れていく。
だが無論、流れたからと言って、その全てをすぐに把握できる訳ではない。すぐにその意味を理解できる訳ではない。
だが、それが自分の記憶なのだ、ということだけは彼にも理解できた。あれが、自分の記憶なのだ。
そしてあの時、記憶をかき乱される最後の時まで、彼の中では、そうなのだろうか、という疑問が残った。
だからあの時、冬の惑星の収容所で最初にあの相棒が――― リタリットが自分を指し示した時、抱え込んだ時、くちづけた時、そんなものだ、と納得した。そういうものなんだ、と彼は納得してしまった。
ではそこに、この目の前の相手が居たなら?
BPは自問する。だが答えは出ない。納得した時にそこに居たのは、リタリットであり、ヘラではないのだ。
「お前、ヘル、俺を、そういう意味で、好きだった?」
「好きだった」
乾いた声が、耳に届く。そうだこの声だ、とBPは思う。
あの戦場で一緒に戦った仲間だった。他の皆誰もが散っていく中でも、二人で組んでいれば負けるはずは無い、と信じていた相棒だった。
ずっと一緒にやっていけると、そう思っていた相棒だったのだ。
「俺を、どうしたかった?」
「無茶苦茶に、してやりたかった」
「どうして?」
「判らない。でも、もの凄く、俺はそう思っていた。誰にもそんなことは思ったことはない。俺をどうかしたいと思った奴は幾らでも居たけど」
そうだったよな、とBPは思う。そしてそのたびに、この姿からは想像のつかない方法で反撃して、相手に二度とそんなことを言わせなかったのだ。
「本当に、そんなことをしたかったのか?」
「したかった」
そう言って、相手は再び彼の首を抱え込んだ。彼はかくん、と首を後ろに倒した。
上げた視界に、割れた窓が見えた。衛星の光が、流れていく雲に、とぎれとぎれになる。同じ首府の空の下に、あの相棒は居るはずだ。電波に乗せて、あの声を飛ばしているはずだ。やはり乾いているけれど、何処かの配線が壊れたような、奇妙に響く、あの声を。
なのに、のし掛かってくるこの相手の、むき出しの腕から伝わってくる、自分より少し低い体温をも、覚えている自分が居る。
判らなくなっている。
判っているのは、一つだけだ。結局自分は、この相手を――― 「総統閣下」を殺すことはできない。「相棒」を殺すことはできないのだ。どんな状況であったとしても。
そして彼が、そんな自分の中を素通しにしてしまうような、容赦無い衛星光から目を逸らした時だった。
彼は、思わず相手の身体を強く押し戻していた。
螺旋階段の上に、誰かが居る。
彼の視線の先に気付いたのか、ヘラもまた、その人影を認めた。そしてこうつぶやく。
「……テルミン、お前……」
その人影は、銃を構えていた。口を一文字に結んで、黙ったまま。
鈍い音が二発、その場に落ちた。