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21.時間が、無いのだ。-①

「……死んではいない、って…… テルミン!」

「頼むからひとまず手を貸して。いくら薬が効いているからって、こんな寒いところに放り出していい訳が無い」

「当たり前だ!」


 ケンネルは慌てて、もう一人をも、そのトランクから引きずり出す。だがそちらには見覚えは無かった。黒い髪、黒い服の、見覚えの無い男。

 まさか、とケンネルはつぶやく。


「テルミン、まさか、こいつは」

「先輩は、知っていた? 知っていたよね。ヘラさんに聞いて。彼のずっと待っていた相棒のことを」

「……」


 ケンネルは目を見開いた。


「そうか、こいつが……」


 力を無くした二つの身体を、ソファの上に横たえると、それを見下ろす形で、二人はその脇に立つ。


「だけど何で、ここに居るんだ?」

「俺が撃った」

「テルミン!」

「官邸に侵入者があった。……明らかにあれは、『総統閣下』を暗殺するための集団だった。陽動するための連中は、ヘラさんが主に片付けた。このひとは結局俺なんかよりずっと強い。そして容赦が無い。……だけど、本当、そいつらはあくまで陽動で…… こいつが、本命だったらしい」


 そう言ってテルミンは、ちら、と横たわる黒髪の男を見る。


「だけどそれがどうして、ヘラさんの相棒だって、気付いた? お前」

「抱きしめてた」


 ぽつん、とテルミンは言う。ケンネルもまた、息を呑む。


「明らかに、何度か銃を撃ち合った跡があるのに、俺が行った時、あの官邸の、隠し通路の一角で、ヘラさんはこの男を抱きしめてた。くちづけてた。……泣いてた」

「泣いて」

「それだけで、判るってものじゃないか?」


 確かに、とケンネルもうなづく。そんな、あの人物が涙を流す様な相手というなら。

 自分自身と引き替えにしても、生かしておきたかった相手ならば。


「それで、テルミン、お前はどうしたいんだ?」


 ケンネルは乾いた声で訊ねる。


「逃がしてやりたい。何処とも知れない場所へ」

「無茶だ」

「無茶は判ってる。時期だってまずい。だが、あまりにも、この男は危険だ」

「だったらとっととお前の権限で、ヘラさんの気が付かないうちに逮捕して消してしまえばいい」


 ぞく、とテルミンは背筋が悲鳴を上げるのが判る。


「先輩」

「俺だったら、そうするかもしれないよ」


 テルミンは黙って首を振った。だろうな、とケンネルはつぶやき、肩をすくめる。


「お前は、そういう奴だよ、テルミン。政治家は似合わん」

「俺だって、そう思うよ。ただ、このひとが……」


 このひとを、あの場所から引きずりだすことができるなら、自分は何でもできたのだ。良心の呵責も、全て飲み込んで、似合わない役割を演じることができた。

 このひとのためなら。


「でも、俺は、見間違えてた。結局このひとの望みは、そんなところにあったんじゃない。このひとはただ、相棒が生きていて欲しかったから、あの場所を選んだだけだったんだ」


 握りしめた両手の上に、伏せた顔から、ぼとり、と水滴が落ちる。


「だったら、俺ができるのは、こんなことしか無いじゃないか」


 ケンネルは何も言わずに、起き抜けの乱れた髪をかき上げた。そして後輩が、濡れた拳で自分の顔をぬぐうのをじっと見る。ふっとその足は、彼を置いて、階段を上がる。しばらくして降りてきたその手には、煙草と灰皿が握られていた。

 一本を口にくわえながら、ケンネルは後輩が落ち着くのを待つ。火をつける。一息吸う。だが煙が眠っているヘラの方へは行かないように、明後日の方を向いている。

 その煙草が半分を過ぎたあたりで、ようやくテルミンは揺れる口調で口を開いた。


「ごめん。泣くつもりはなかった」

「気にするなよ」


 ケンネルは煙草を灰皿に押し付けた。そして後輩のすぐ前にまで近づく。


「テルミン」


 そして後輩の名を呼ぶ。それはそれまでの長いつきあいの中で、初めて聞く、重々しい口調だった。そのやや高めの声には不釣り合いな程の口調だった。


「全ての後始末をするつもりがあるんだな?」

「もちろんだ」


テルミンは即答した。その胸に、微かな、甘い痛みが走る。


「それでも、お前は、このひとを逃がしてやりたいんだな?」

「ああ」

「俺はもしかして、この男を、途中で放り出して、ヘラさんをさらって逃げるかもしれないよ。それでも?」

「それでも。先輩はそんなことはしないでしょ?」

「どうかな?」


 ケンネルは苦笑する。


「たとえそうだったとしても、俺には、先輩しか、頼れるひとは居ないんだ。今は、もう」


 あの派遣員の姿が頭をよぎる。だがスノウはこの地にはいない。遠い帝都の空の下のはずだ。戻ってくる、と約束した。だけど自分は。

 あの腕の中は、とても暖かかったと思うのに。


「それに、先輩でないと、頼めない理由があるんだ」

「何?」

「あれを、動かしてほしいんだ」

「あれ?」

「依頼したもの。出来てはいるはず」


 ケンネルは眉をひそめた。


「出来ているのでしょう? 彼のダミーは」

「できてはいる。だけど、駄目だ」

「何で。こういう時のための、ダミーでしょう?」


 首を横に振る。ケンネルは壁に背をもたれさせた。


「確かに、姿形は、充分だ」

「と言うと?」

「いつの時代のクローン研究もそうだったんだが、人間はメカニクルとは違う。脳はそう簡単なものじゃない。身体は育成できたとしても、脳はそうもいかない。本当だったら、そんな短期間での育成は、同じ姿になることは無いんだ。同じ遺伝子だったとしても、成長過程における外的要素が異なれば、出来上がる姿形は違う。まあうちの研究所の場合は、彼の姿を作ることを目的にしているから、姿は、何とかできる様にした。だが、その中に知性はない」

「いい。要らない」


 テルミンは即座に言い切った。


「むしろ無い方がいい」

「だけどそれで、彼を総統の座から下ろすまでの期間、保つのか?」

「半月保てばいい」

「半月」


 あ、とケンネルは思わず声を立てた。


「スタジアムの新年祝賀祭まで保てばいい。それまでで充分だ」

「テルミン、お前……」

「後始末は、つける。それが、俺が彼に見てきた夢の代償だ。……つけが回ってきたんだよ。俺は、それを払わなくちゃならない。俺が陥れてきた政治家達にも、俺達が殺したあのゲオルギイ首相にも」

「は、自己満足だね」


 腕を組み、ケンネルはもう一本と煙草に火を点ける。


「そうだよ、それは判ってるさ」


 自嘲気味に彼は笑う。


「それに先輩、いつから煙草を吸い出した?」


 ケンネルの手が止まる。


「聞いたよ、ヘラさんから」

「パンコンガン鉱石のことか?」

「ああ。確かにあんなものだったら、先輩が吸わなかった煙草を吸う様になっても仕方が無いね」

「エネルギー源にはならないさ。俺達の手に負えるものじゃない」


 そしてふう、と煙を吐き出す。


「だから、そっちの研究には気を入れなかったんでしょう?」

「判っていた?」

「長いつきあいだから」


 くす、とテルミンは笑う。

 その笑顔に日射しが降り注ぐ。ケンネルは目を細めてそれを見る。既に陽の光が、高い窓から入り込んでくる時間になっていた。


「そろそろ俺、行かなくちゃ。先輩、必要なものを俺が仕事につく時間までに考えて。俺はそれを宣伝相名義で急いで操作しなくちゃならない」

「判った。それから後で、ダミーを連れて行くから、目立たない場所を指定してくれ」


 テルミンはうなづいた。

 そしてちら、とソファに横たわったままのヘラに視線を投げると、そのままくるりと背を向けた。

 ケンネルはしばらくその場から動かなかった。


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