目にも留まらぬ速さで水中を泳ぐ影を追って、ボクは全速力で運河を駆ける。
少し先の海中を、ルィンヴェルが泳いでいた。その速度は普段の比じゃない。
「殿下! ようやく追いつきましたぞ!」
そろそろ港から海へ出ようかという時になって、マールさんが合流してきた。
「アレッタ様に目をつけるとは……! おそらくオクトリア帝国の仕業に違いありません!」
「マール、証拠もないのに決めつけてはいけないよ」
「ならば、捕らえて聞き出すだけでございます!」
そう言って、マールさんは泳ぐ速度を上げた。
「ルィンヴェル、オクトリア帝国って?」
「隣国なんだけど、昔から仲が悪いんだ。最近は交流も増えてきていたんだけどね」
言うが早いか、ルィンヴェルもマールさんについていく。水中の二人が速すぎて、ボクはついていけない。
あの二人、本気を出したらこんなに速かったんだ……。
海面を走るという特性上、ボクは風の影響をまともに受ける。それは速度を出せば出すほど強くなって、加速を妨げるんだ。
「風の抵抗がなければ、もっと速く進めるんだけど……よし!」
ボクは少し考えたあと、大きく息を吸い込み、海中へと身を投じる。
全身を『海』に包みこまれた瞬間、ボクは海魔法を発動。局地的な潮の流れを発生させて、急加速する。
「うわぁ!?」
その速さは、海面を走る時とは比べ物にならなかった。あまりの速度に、ボク自身が驚いてしまう。
その拍子に口から空気が漏れてしまうも、なぜか苦しくなかった。
きっと、これも海魔法のおかげだろう……今はそう考えることにして、ボクは全力で前に進む。
「……ナギサ!?」
「ナギサ様!?」
すると、ものの数秒でルィンヴェルたちに追いついてしまい、二人は驚嘆の声を上げる。
「よくわかんないけど、ボク、海の中のほうが速く動けるみたい! アレッタを助けてくるよ!」
「相手は武器を持っているかもしれない。危険……!」
そんなルィンヴェルの声が聞こえた気がしたけど、ボクはアレッタを助けたい一心で水を蹴った。
そのままの勢いで水中を進んでいると、やがて前方に人影が見えてきた。
「ちっ……もう追いついてきやがったのか!?」
「まぁいい。兄妹まとめて捕らえるまでさ……あん?」
そこにいたのは、全身を鱗のような鎧で覆った三人の男性だった。
真ん中の背の高い男性が小脇にアレッタを抱えている。どうやら気絶しているみたいだ。
「兄貴のほうじゃねぇのか。何だお前は?
「ボクは人間だよ! アレッタを離して!」
「嫌だね。お前ら、やっちまいな!」
その男性は仲間の二人に指示を出すと、再び泳ぎだす。
追いかけようとすると、残った仲間がモリを手にボクの前に立ちふさがった。
あの鎧、見た目は重そうなのに動きは素早い。あれだけ泳ぐのが早いのだし、きっと何か魔法がかけてあるんだろう。
「どこの誰か知らないが、悪く思うなよ!」
「どいて!」
ボクは周囲の海水を操ると、武器を手に向かってきた二人を遠くへ吹き飛ばす。
四方を海水に囲まれているせいか魔力を集中させる必要がほとんどなく、強力な海魔法を容易く発動させることができる。本当に不思議だった。
「アレッタ!」
「……なにぃ!? あいつら、もうやられたのか!?」
それから追跡を再開。一気に距離を詰めていくと、リーダー格の男性は振り向きざまに目を見開いた。
「時間稼ぎにすらならねぇとは、使えない奴らめ!」
さすがにアレッタを抱いて逃げるとなると速度が出ないのか、彼は逃走を諦め、筒状の武器を取り出した。
「……スピアガン?」
ボクはそれを、過去に一度だけ見たことがある。
南方の島国で使われる漁の道具で、バネの力で針状の刃を飛ばして魚を突というもの。
刃に紐がついているので、回収も容易なのだ……と、旅の漁師さんが話していた覚えがある。
そんなものが、どうしてこんなところに?
「地上の連中が落とした武器だ。異海人のくせに、よく知ってるな」
「だから、ボクは人間だよ!」
「嘘をつくな。人間がこんな長い時間、海に潜れるかよ!」
言うが早いか、目の前の彼は引き金を引く。
海水を切り裂いて進んでくる刃は貫通力が高く、水圧の盾じゃ防ぎきれない。
ボクはとっさに体をのけぞらせて、ギリギリのところでその攻撃を回避する。
「えーい!」
そのまま伸び切った紐を掴んで全力で引っ張り、彼の手からスピアガンを強奪する。
「そ、その細腕のどこにそんな力が……!」
正直、ボク自身も驚いていた。自分の中から、これまで感じたことのない力が溢れ出ている気がする。
「アレッタを離して! さもないと撃つよ!」
「わ、わかった。離すから、命だけは」
奪い取ったスピアガンを構えて、ボクは叫ぶ。
銃口を向けられた彼は恐怖に顔を引きつらせながら、アレッタを開放。一目散に逃げ去っていった。
「アレッタ!」
ボクは水中に投げ出されたアレッタを抱きとめる。すると彼女は瞳いっぱいに涙を浮かべていた。
「アレッタ、大丈夫?」
声をかけるも、怯えた表情で口をぱくぱくと動かすだけ。どうしたんだろう。
『麻痺毒を受けたんです。体が動かなくて。声も出なくて』
その直後、ボクの頭の中にアレッタの声が響いた。念話だ。
『……怖かったです』
「うん。もう大丈夫だよ」
「ナギサ、アレッタ、無事かい!?」
その時、ルィンヴェルとマールさんが追いついてきた。
「なんとか助けられたよ。犯人は逃がしちゃったけど」
「いや、十分だよ。マール、賊の追跡は任せた」
「承知いたしました!」
ボクがそう伝えると、ルィンヴェルは一瞬安堵の表情を見せたあと、真剣な声でマールさんに指示を出す。
頷いた彼は猛スピードで泳ぎだし、一瞬で見えなくなってしまった。
それを見送ったあと、ルィンヴェルにアレッタを預ける。
「ああ……大丈夫。セイデンキウオの毒はすぐに抜けるよ。怖かったね」
おそらく、アレッタと念話で会話しているのだろう。ルィンヴェルは何度も頷くと、彼女を抱きしめてあげていた。
「ここは……島の北の海だね。ここからなら、僕たちの国が近い。今日のところはアレッタと一緒に国へ帰るよ」
それからしばらくして、ルィンヴェルは妹を抱いたままそう口にする。
「うん。今日は色々あったし、アレッタも自分の家で休んだらいいよ」
『ナギサお姉さま、ご迷惑をおかけしました。助けていただいて、ありがとうございます』
アレッタも多少落ち着いたらしく、念話でお礼を言ってくれた。
「ナギサ、本当にありがとう。それじゃあ」
「うん。またね」
二人が海の底へと消えていくのを見送って、ボクも帰路についたのだった。
◇
……そんな出来事から一週間ほどが経過した。
あの日以来、アレッタとルィンヴェルは一度もボクの前に姿を見せていなかった。
まだアレッタの体調が戻らないのかな……なんて心配しつつ、ボクは舟屋で夜の時間を過ごしていた。
ここのところ、ずっとアレッタと一緒だったし、舟屋の中がやけに静かな気がした。
どこか心地悪さを感じながら、ボクは
「……ナギサ様」
するとその時、どこからともなくマールさんが現れた。
「マールさん、こんな時間にどうしたの? ルィンヴェルたちは一緒じゃないの?」
ボクは立ち上がって、周囲を見渡す。そこには彼以外の姿はなかった。
「ナギサ様、本日はお別れの挨拶に来たのです」