「百年、眠り続けていた……?」
眠り姫ローラが目を覚ましてから二週間が経った。
それまでローラには、詳しいことは何一つ伝えていない。ローラに過度なショックを与えないため、目覚める前のこと、当時の状況を聞かれてもうまい具合にはぐらかし、今日までなんとか持ちこたえてきた。
ヴェルデの回復魔法のおかげもあり、ローラの体調はぐんぐん回復し、ようやく詳しい話ができる状態にまでなっていた。そして、ついにローラが百年も眠り続けていたことを話したのだ。
「あなたは当時の第一王子であるエルヴィン殿下を庇って魔法をその身に全て受けました。そのせいであなたは今まで百年もの間、ずっと目覚めることなく眠り続けていたのです。長い年月の間、我が国ではあなたを目覚めさせようと何度も試みましたができませんでした。ですが、ようやくこうしてあなたを目覚めさせることができた。それもこれも、サイレーン国の筆頭魔術師、ヴェルデのおかげです」
サイレーン国という言葉を聞いた瞬間、ローラは明らかに驚愕の眼差しをメイナードに向けた。
「どうして、どうしてサイレーン国の人間がここにいるのです?我が国とサイレーン国は敵対していたはずではありませんか」
「それは、昔の話です。今では同盟を結んで良好な関係を築いていますよ」
メイナードの話に、ローラは信じられないようなものを見る目でヴェルデを見た。そんなローラを、ヴェルデはやや苦笑して見つめ返す。
「あなたにとっては不本意かもしれませんが、どうか私のことは警戒なさらないでください」
ヴェルデがそう言うと、ローラはハッとしてにうつむく。そしてすぐにまた美しいアメジスト色の瞳でヴェルデをジッと見つめた。
「いえ、私こそ失礼なことをしました。国同士が良好な関係を築いているのであれば、それは喜ばしいことです。それに、あなたは私を目覚めさせてくださった恩人です。感謝するならともかく、警戒するなどと。申し訳ありません」
深々と頭を下げるローラ。そんなローラの姿に、ヴェルデもメイナードも感心したようにローラを見つめた。
「ところで、私は百年も眠っていたとのことですが、……あの後、エルヴィン様や国は、どうなったのですか」
ぎゅ、とドレスの裾を握り締め、ローラは静かに尋ねた。
「順を追って説明しましょう」
ローラがエルヴィンを庇い眠りについた後、犯人探しが行われ犯人は無事捕まった。ローラが目覚めるまで他に妃はとらないと宣言したエルヴィンだったが、それを国が許すわけもなく、その後ローラに代わる妃があてがわれ、無事に結婚、子供をもうけて幸せに暮らした。
「その後も血筋は問題なく受け継がれ、現在、私がこの国の第一王子として王位継承権の第一位を持っています」
そう言って、メイナードは深々とお辞儀をした。
「そう、でしたか。エルヴィン様はお幸せになられたのですね。この国も、今日まで無事に続いて……よかった、本当によかった」
静かに、だが心の底から安堵したような声でローラは呟き、メイナードへ笑顔を向けた。その笑顔は嬉しそうなのにどこか寂しそうで、両目にはうっすらと涙が浮かんでいる。その顔を見たヴェルデは胸が苦しく、押しつぶされそうだった。
「この国の歴史について知りたいのであれば、近いうちに歴史書をお渡ししましょう。あくまでも歴史書ですので確実なものではありませんが、参考にはなるかと思います」
「……ありがとうございます」
「それで、あなたの今後の処遇についてですが。あなたは過去ではありますがこの国の王子の妃となるはずだった方であり、この国にとっては本当にかけがえのない大切な方です。本来であれば私の正妃に、と言いたいところですが、私はすでに婚約者がおります。……もし側妃でも構わないというのであれば、あなたを妃としておむかえすることができますが、いかがでしょうか」
メイナードの言葉に、ヴェルデもローラも驚いた顔をする。確かに、ローラの身分と功績を鑑みれば妥当な提案だろう。だが、ヴェルデはなぜか胸の奥がモヤモヤとして仕方がない。
「少し早急すぎるのではありませんか。ローラ様は目覚めたばかりです。そんなことを言われても戸惑うだけでしょう」
「もちろんそれはわかっている。だが、目覚めて回復している以上、いずれ考えなければいけない問題なんだ。……すぐにとは言いません、ただ、頭の片隅にはおいておいていただけますか」
メイナードが優しく微笑むと、ローラはメイナードを見つめ、どこかあきらめたような表情で静かにうなずいた。
「わかりました。お心遣い感謝します」
◇
メイナードから話を聞いて以来、ローラは日に日にやつれて行った。食事はろくに取らず、部屋の外にも出ず、誰かが話しかけても静かに微笑んで頷くだけだ。ローラを目覚めさせた張本人であるヴェルデは、メイナードからローラを気にかけるようにと言われていたが、日に日にやつれていくローラを見て気が気でなかった。
「まるで死に急いでいるようにしか思えません……」
ヴェルデが苦し気にメイナードに言うと、メイナードも神妙な面持ちでうなずく。
「彼女が一体何を考えているのかはわからないが、良い精神状態でないことだけはわかる。目覚めたら百年も過ぎていて、何もかもが無くなり、何もかもが変わってしまっているのだから、当然といえば当然だろう。ヴェルデ、申し訳ないが彼女のことを今以上に気にかけてくれないか。何かあってからでは遅いからね……」
そして、恐れていたその日はやってきた。
月の明りだけが辺りを照らす真夜中。静まり返った屋敷の中を、ひとりの女性が裸足のまま、静かに歩いている。玄関を出て、屋敷のゲートをくぐろうとした、その時。
「どちらへ行かれるのですか?」
まさか声をかけられるとは思っていなかったのだろう。ビクッと大きく肩を揺らし、怯えるように振り返ると、そこには困ったように微笑むヴェルデの姿がある。そして、ヴェルデの瞳に映るのは、寝間着姿のまま裸足でどこかへ行こうとするやつれきったローラだった。