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第3話 受け止める

「どちらへ行かれるのですか?」




 そう聞かれて、ローラは目を泳がせ口を開くがすぐに閉ざす。まさか、誰かに見つかるなどとは思いもせず、うまい言い訳が思いつかない。そもそも、人の気配など全く感じなかった。どうして見つかってしまったのだろうか。




「あ、あの、月があまりにも綺麗だったので、散歩をしようかと……」


「そんな恰好で散歩は危なすぎます。それに裸足ではないですか。散歩をするのであれば上に羽織るものと靴を用意しましょう。私なら魔法でお出しできます」




 ヴェルデがそう言って優しく微笑むと、ローラはヴェルデを見てからゴクリ、と喉を鳴らし、後ずさりをする。そしてそのまま一目散に走り出した。




「!!!」




 ヴェルデが追いかけすぐにローラの腕を掴むと、ローラは腕を引っ張ってほどこうとする。




「離して!」


「駄目です、あなたをそのまま行かすわけにはいきません!」




 暴れようとするローラを、ヴェルデは必死に取り押さえ、抱きしめた。ヴェルデの腕の中でローラは暴れていたが、次第に静かになった。そしてヴェルデの腕の中で、すすり泣く声がする。




「……して、どうして、私のことを起こしたの?どうして?私はどうして起きてしまったの?」




 顔を上げ、両目から涙をポロポロとこぼしながらヴェルデを見て訴えるローラ。その姿にヴェルデは絶句した。メイナードの頼みだったとはいえ、ローラを目覚めさせたのはヴェルデだ。その本人に、ローラはなぜ目覚めさせたのかと涙ながらに訴えたのだ。




「お願い、死なせて。私は生きてる価値なんてないの。この時代に生きる意味なんてないの。お願い、お願いだから……」




 そう言って、ローラはヴェルデの腕の中でフッと気絶する。恐らくはずっと眠れていなかったのだろう。緊張の糸が切れて意識を無くしてしまったようだ。




「ローラ様……」




 ローラを抱き止め、ヴェルデは苦しそうにつぶやいた。













(……ここは……?)




 瞼をあけると、そこには天井が見える。確か自分は屋敷から抜け出そうとしていたはずではなかったか。そう思いながらローラは視線を横に向けると、そこには悲しそうな顔でローラを見つめるヴェルデの姿があった。




「あなたは……」


「気を失われてしまったので、失礼とは思いましたが私の部屋までお連れしました」




 ローラがゆっくり起き上がると、目の前には見慣れない部屋が広がっていた。どうやらヴェルデがこの国にいる間滞在している部屋らしい。気絶した後、運ばれてふかふかのベッドに寝かされていたようだ。




「……申し訳ありません。あなたに迷惑をかけてしまいました」


「いえ、ローラ様が謝る必要はありません。当然のことをしたまでですから」




 ヴェルデは優しく微笑むが、その微笑には少し悲しさと苦しさが入り混じっているように思える。




(私は、この人にとても酷いことを言ってしまったわ)




 錯乱していたとはいえ、自分を目覚めさせてくれた相手に対し、なぜ起こしたのだ、死なせてくれと言ったのだ。こんなにも失礼で酷いことがあるだろうか。ローラは自分のしでかしたことの重大さを今になって思い知り、恐ろしくなった。




 そっとヴェルデを見ると、ヴェルデはその視線に気づいてまた優しく微笑む。銀色の髪をふわりとなびかせ、アクアマリン色の澄んだ瞳を持つ優しそうな、若く美しい青年。白い花の刺繍がほどこされた紺色のローブが、彼の美しさを一層引き立たせているように思える。




 隣国の魔術師と言っていたが、こんなに若い魔術師が百年も眠っていた自分を目覚めさせたことに驚く。そして、そんな若い青年にあんな酷いことを言ってしまったのだと、ローラはまた自責の念にかられていた。




「私は、あなたに大変失礼な……いえ、とても酷いことを言いました。本当に申し訳ありません。謝って済む話でないことはわかっています、でも……」




 ローラが言いよどむと、ヴェルデは首を横に振って静かに口を開いた。




「いいんです。言われて当然です。あなたはそれだけ苦しんだのでしょうから」




 そう言って、ヴェルデは静かにローラの手を優しく掴んだ。それは、ローラが目覚めたその日、回復魔法を施すためにしたことと同じ動作で、ローラはその時のことを思い出して胸が高鳴ってしまう。




「起きたら百年も経っていただなんて、本来であれば信じられないはずです。それでもあなたは我々の話を聞いて、自分のことよりもまずエルヴィン殿下と国のことを気にかけた。私もメイナード様もそのことに驚き、なんて健気な方なのだろうかと思いました。そんな美しい心の持ち主であれば、目の前の現実に戸惑い、錯乱するのは当たり前です。そもそも、百年も眠っていたことを簡単に受け入れられるはずがない。我々ももっとそのことに気を配るべきでした」




 静かに、心の底にふわりと響き渡るような優しい声。ヴェルデの言葉を聞きながら、ローラは心の中が暖かくなるのを感じ、じんわりと目頭に涙がにじんでくる。




「どうか、私に話してくださいませんか。あなたの戸惑いや苦しみを、私も知りたいのです。それに、それがあなたを目覚めさせた私のすべきことだと思っています」




 最後の一言に、ローラはハッとしてヴェルデを見つめる。




「大丈夫。何を言われても私は全て受け止めます。気持ちがわかるなどと軽率なことはもちろん言えませんが、それでも、受け止めることはできると思っていますし、受け止めてみせますよ」




 ね、と優しく微笑みながらヴェルデは自分の両手でローラの両手を包み込む。その暖かさに、ローラは心がだんだんとほぐれていくようだった。そうしてゆっくりと口を開き話始めた。




「……最初は、信じられなかったのです。目覚めてすぐの時はただエルヴィン様のことが心配で、無事だと知って本当に嬉しかった。でも……」




 静かに、思い出すように話すローラを、ヴェルデは優しく見つめ耳を傾ける。




「百年も眠り続けていただなんて、信じられなかった。ついさっき、エルヴィン様を庇って魔法を受けたと思っていたのに、目覚めたら百年もたっていただなんて、ありえない。でも、目の前にいたあなたたちのことは見たこともなかったし、部屋だって全く知らない場所だった。サイレーン国とティアール国が同盟していることも信じられないし、とにかく、何もかもがわからなかったのです」




 話が進むごとに、どんどんローラの声が震えていく。そんなローラの手を、ヴェルデは優しく包み込み、ローラを見つめていた。




「メイナード殿下がくださった歴史書を読むうちに、私は本当に百年も眠っていたんだと思い知らされました。何度確かめても、エルヴィン様は他の方と結婚して、この国はその後も繁栄していった、歴史書にそう書かれているのです。もう、私のいた現実は過去のものになっている。エルヴィン様も、家族も、友人も、出会った人たち全てが、見てきた景色全てが、もう、はるか……遠い、昔に、無くなって……私だけが、ここに……」




 ローラはポロポロと涙をこぼし、嗚咽をもらす。そんなローラを、ヴェルデは静かに抱きしめた。




「わ、私だけが、こうして、こ、こに、いて、でも、ここに、私を、あのころの、私を、知っている人は、誰も、いない……エルヴィン様も、もう、いない、の……生きていても、私は、これから、ずっと、ひとりぼっちで……」




 泣きながら、苦しそうに言葉を紡ぎだす。そうして、ローラは今度こそ本当に泣き出した。ヴェルデの腕の中で、震えながら呼吸を乱し、苦しそうに泣いている。そんなローラを、ヴェルデは強く抱きしめることしかできなかった。





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