どのくらい泣いていただろうか。ヴェルデの腕の中で泣きわめいていたローラはようやく落ち着きを取り戻したようで静かになっていく。そんなローラの顔を、ヴェルデは静かにのぞき込んだ。
「ローラ様、大丈夫ですか?」
「……ええ、だいぶ落ち着きました。すっかりあなたの優しさに甘えてしまいましたね。でも、おかげで心が軽くなりました。本当にありがとうございます」
そう言ってふんわりと微笑むと、ヴェルデと目が合う。そのあまりの近さに、そういえばヴェルデに抱きしめられていたのだったとローラは気づき、思わず赤面して体を離そうとしたが、ヴェルデは両手をローラの肩に置いて静かに話し始めた。
「ローラ様、ひとつご提案があります。……私と一緒に、サイレーン国へ来ませんか」
「……はい?」
ヴェルデの提案にローラはきょとんとするが、ヴェルデは真面目な顔のままだ。
「あなたはこの時代にご自分が生きる意味はないと言っていました。恐らくこの国にいても辛いだけでしょう。それなら、いっそのこと私と一緒に我が国へ来て心機一転、新しい生活をしてみませんか。この国にい続けるよりもローラ様にとって良いと思うのです」
突然のことにローラは目をぱちくりさせ、首をかしげる。この美しい青年は一体何を言っているのだろうか?
「……私があなたの国にあなたと一緒に行くことに、あなたに何のメリットがあるのでしょう?私のような人間を自国へ連れて行くことは、あなたにとってはむしろマイナスになると思いますよ。それに、メイナード殿下がそれを許すとも思えませんが」
ローラの言葉に、ヴェルデはふむ、とひとつうなずいたがすぐに笑顔になった。
「そうですね、メリットが無いとお思いになるかもしれませんが、全く無いわけではありません。あなたは百年も眠り続けていたが全く老化していません。それに、私はあなたを目覚めさせることはできましたが、あなたにかかった魔法がどのような魔法で、なぜあなたが眠り続けることになったのか、完全に解明できたわけではないのです。ですが、魔術師としてどうしてもその原理が知りたい。あなた自身を使ってそれを解明したいのです。そのために、一緒に来て解明の手伝いをしていただきたい」
ヴェルデは優しく微笑みながらさくさくと言葉を並べていく。
「それから、ローラ様には私の婚約者になっていただきたいのです」
「は、ええ?」
婚約者、という言葉を聞いた瞬間、ローラは素っ頓狂な声を上げた。自分でもそんな声が出るとは思わなかったのだろう、驚き顔を赤らめて口を両手で塞ぐ。そんなローラを見て、ヴェルデは楽しそうにクスクスと笑った。
「ははは、驚くのも無理はありません。婚約者、といっても婚約者のふりをしていただくだけです。自分で言うのもなんですが、私は見ての通り器量よしです。しかも我が国では群を抜いて秀でている魔術師なので、言い寄って来るご令嬢が後を絶えません。ですが、私は国のために魔法の研究に没頭したいので、女性に興味がありません。ですので、女性避けのために婚約者のふりをしていただきたいのです」
確かに、ヴェルデはとても美しく妖艶な見た目をしている。メイナードもかなりの器量よしだが、それに負けず劣らずの見た目。しかも百年も眠っていた人間を起こすことのできる魔術師なのだ。実力も相当なものなのだろう。人気があるのはうなずける。
「メイナード殿下については……そうですね、あなたを目覚めさせた褒美としてあなたをいただく、と提案すれば文句は言われないと思います」
なんとも頭のきれる人だ。いつから考えていたのかわからないが、ここまで筋の通った話をされると反論の余地がない。ローラが唖然としてヴェルデを見つめていると、ヴェルデは畳みかけるように言葉を発する。
「メイナード殿下はあなたを側妃に、とおっしゃっていました。あなたが側妃になれば、残りの人生をこの国に縛り付けられることになるでしょう。好きでもない男の側妃となり、生きる意味のないこの国に一生縛り付けられるか、私と一緒に別な国に行き新しい人生を歩むか。どちらがよろしいですか?」
ヴェルデは有無を言わさない笑顔でローラに告げる。それを聞いたローラは、少し考え込んで静かにため息をついた。この魔術師の言うことは自分にとってかなり魅力的な話だ。この話を蹴ってしまえば確実にメイナードの側妃となり、この国で一生を終わらせることになるだろう。
メイナードが嫌なわけではない。ただ、この国にいることは正直言って耐えがたい。ここにいるだけで昔を思い出し、もう二度と会えない大切な人たちのことを思って胸が苦しくなるだろう。
それに、正妃になるご令嬢のことを考えると、突然目を覚ました女が側妃になるなど意味が分からないだろう。もし正妃となるご令嬢がメイナードのことを本気で好いているのであれば、その人に嫌な気持ちをさせてしまうかもしれない。
ローラはヴェルデの顔をジッと見つめる。ヴェルデはアクアマリンのような美しい瞳をローラに向けて優しく微笑んでいる。吸い込まれそうなその美しい瞳に、ローラはなぜか胸が高鳴った。
(な、なぜ胸が高鳴るのかしら、胸を高鳴らせている場合ではないのに)
高鳴る胸を打ち消すかのように、ローラはコホン、と一つ咳をしてヴェルデに尋ねる。
「……あなたはそれで本当にいいのですか?時間が経ってから後悔してもどうしようもないのですよ」
「ええ、もちろんです。それに後悔などしません。これはあなたを目覚めさせた私のすべきことだと思っています。もちろん、義務感で言っているのではありませんよ、私は自分の意志で言っているのです」
ヴェルデの芯のこもった言葉と表情に、嘘は見当たらない。ヴェルデの言葉に、ローラはついに意を決した。
「……わかりました。あなたの申し出をお受けします。こんな身ですが、あなたのお役に立てるように頑張りますので、よろしくお願いいたします」
そう言って静かにお辞儀をするローラを見て、ヴェルデは両目を見開いてから心底嬉しそうに微笑んだ。その微笑みを見た瞬間、ローラの高鳴っていた心臓がさらに激しさを増す。
(この方の微笑みはとんでもない破壊力ね……!多くの女性が放っておかないのもうなずけるわ)
ローラがヴェルデに思わず見惚れていると、ヴェルデが嬉しそうにローラの片手を取る。
「ありがとうございます。あなたのことはこれから私がどんなことがあっても守り抜きます。そして、幸せにしてみせますよ」
そう言って、ローラの手の甲に優しくキスをする。
(な、な、な!?)
突然のことにローラの顔が一気に赤くなる。そしてヴェルデはそんなローラの顔を見てまた嬉しそうに微笑んだ。