朝になった。クレイに見送られながら、ローラとヴェルデはクレイの屋敷を後にする。
「師匠、いろいろとありがとうございました」
「いや、こちらこそありがとう。ヴェルデがローラ様を目覚めさせてくれたと知ることができて、私もなんだかホッとしたよ。……ローラ様」
クレイがローラに声をかける。
「あなたが、私の弟子であるヴェルデと共にこの世界を生きていこうと思えるようになって本当に良かったと思っています。あなたには幸せでいてほしいと、百年前のあの日からずっと思っていました。……今後、何があってもヴェルデのことを信じてあげてください。ヴェルデほどあなたを思っている人間はいないでしょうから。そして、あなた自身の気持ちも尊重してあげてください。あなたの人生はあなたのためのものです、それをどうか忘れずに」
クレイはジッと優しく、深い眼差しをローラに向ける。その瞳はこれからの未来の何かを垣間見ているようだが、ローラにはそれが何なのかはわからなかった。
「ありがとうございます。クレイ様が私のためを思ってかけてくださった魔法で、私は辛い現実から逃れることができました。そして、ヴェルデ様と出会うことができました。私の幸せの一部を作り出してくださったのはまぎれもなくクレイ様です。本当にありがとうございます」
そう言って静かにお辞儀をするローラを、クレイもヴェルデも感心した顔で見つめていた。
「あなたは、本当にどこまでも純粋なのですね。私はあなたに恨み言のひとつやふたつ言われてもおかしくないと思っていました。でもあなたはそんなことを言わず、むしろお礼をするだなんて」
「……恨み言は、ヴェルデ様がティアール国で全て受け止めてくださいました。言うべきことではなかったのに、それでもこんな私を受け止めてくださったんです。それだけで、私はもう十分救われたのだと思います」
少し遠慮がちに微笑むローラを、ヴェルデは頬を赤らめながら愛おしそうに見つめている。そして、クレイはそんなヴェルデを見て苦笑し、ローラに視線を移して少しだけ寂し気に微笑んだ。
「あなたには本当にかないませんね。……ヴェルデが少しうらやましいです」
◇
ローラとヴェルデを乗せた馬車は、クレイの屋敷を離れていく。ヴェルデは馬車の窓から外を見て微笑んだ。
「行きの馬車でも思っていましたが、まさか、ローラ様とこの景色を一緒に見ることができるだなんて思いもしませんでした」
クレイの屋敷、そしてその周辺はヴェルデにとっては故郷のようなものだ。ローラもヴェルデの視線につられて窓の外を眺める。
(なんて自然豊かで美しいのかしら。それに、ヴェルデ様はとっても嬉しそうで私まで嬉しくなってしまう。……ティアール国にいたころはエルヴィン様と馬車に乗って国内をまわったこともあったけれど、馬車の中でもエルヴィン様はいつもつまらなそうだった)
ヴェルデは視線を窓の外とローラと忙しそうに移しては嬉しそうに話をしている。ふとエルヴィンのことを思い出して心が陰りそうになったが、ヴェルデを見ているとそんな陰りもすぐに晴れてしまう。
「ローラ様?どうかしましたか?」
ふと、ローラの様子に気が付いてヴェルデが心配そうに尋ねた。ヴェルデはいつだってローラのほんの些細な変化にも気が付くのだ。
「いえ、ヴェルデ様が嬉しそうなので、私まで嬉しくなると思って」
静かに微笑みながらそう言うと、ヴェルデはジッとローラを見る。
「……でも、それだけではないのですよね?」
きっと、この人には嘘はつけないのだろうなとローラは軽く苦笑して、窓の外を眺めた。
「昔のことをふと思い出したのです」
「……エルヴィン殿下のことですか?」
「そう、ですね。エルヴィン様ともこうして二人で馬車に乗ってティアール国を旅したことがありますが、いつもエルヴィン様はつまらなそうでした。そのことを思い出して少し気分が落ち込みそうになったのですが、ヴェルデ様を見ているとそんな気持ちもいつの間にか無くなっているのです。不思議ですね」
ふわっと嬉しそうに笑うローラに、ヴェルデは胸がぎゅっとなった。
「あなたの心の陰りを消すことができたのならよかったです。……なんなら、エルヴィン殿下との思い出全てを消し去ってしまいたいくらいなのに」
最後の方はローラに聞こえないほどの小声だったので、ローラはきょとんとしている。
「いえ、あなたの中にできる思い出は全て俺で構成されればいいのにと思っただけです。それに、これからそうしていきますから。一緒にたくさん思い出を作っていきましょう」
ローラの両手を優しく掴んでヴェルデは微笑む。その微笑があまりにも素敵で、ローラはくらくらしてしまった。
(ヴェルデ様はこんな美しいお顔でさらっとそんなキザなことを言ってのけてしまうのだから、油断ならないわ……!)