洞窟から帰って来ると、クレイが夕飯の支度をしていた。
「お帰りなさい。もうすぐ夕飯が出来上がりますから、それまでお風呂にでも入ってきてください。ひとりずつでも、二人一緒でも構いませんよ」
「師匠!」
机の上には、美味しそうな料理がたくさん並んでいる。
「これを、クレイ様が一人で?」
「ずっと一人身なので必然的に料理の腕前は上がります。それにずいぶんと長生きしていますからね」
「その間にもいろいろな女性と親密な関係になって、料理もその人たちから教わったんでしょう。一体レパートリーがいくつあるのか」
ふふふ、と笑うクレイに、ヴェルデが野次を飛ばす。一体クレイの実年齢はいくつなのだろうとローラはクレイを不思議そうに見つめていた。
クレイの作った料理はどれもこれも美味しかった。食後のハーブティーを飲みながら、クレイが静かに話し始める。
「ローラ様、歴史書などでエルヴィン殿下のその後については把握なさっていますか?」
突然、過去の婚約者の名前が出てきて、ローラはびくりと肩を揺らす。
「……ほんの少しだけ。読んでいるうちに気がめいってしまい、あまりちゃんとは読めていません。ですが、ティアール国が現在も問題なく繁栄しているのは、エルヴィン様をはじめ代々の王家の方々がきちんと国を治めたからなのだろうと思っていました」
ローラの返答にクレイは顎に手を添えてふむ、とつぶやく。
「確かにティアール国は繁栄しています。ですがそれはエルヴィン殿下のおかげではなく、当時の第二王子であるゲイン様のおかげです」
クレイの言葉にローラはじっとクレイを見つめる。
「エルヴィン殿下は、あなたが眠りについた後、すぐに新しい妃をもうけて子供を産ませています。エルヴィン殿下の行為に異を唱える者が少なくありませんでしたが、エルヴィン殿下は聞く耳を持たず、さらにその後は財政を圧迫させ国を窮地に立たせます。それを良しとしないゲイン様の一派がゲイン様と共にエルヴィン殿下を王位から引きずり下ろしました」
まさかそんなことが起こっていたとは信じられず、クレイの話にローラは驚きを隠せない。
「私はいつの間にかあなたが公の場にいないことを不思議に思っていました。ですが当時、敵対し始めていた隣国のことですので詳しいことは何もわからず、きっと魔法の効果もあって、あなたはどこか別の場所で幸せに暮らしているのだろうと思っていたのです」
苦笑しながらクレイは話す。
「エルヴィン殿下は失脚した後、断罪されました。妃となったご令嬢とその子供は、国から追放されたそうです。事実を知って……少しは、気が晴れましたか?」
ローラをジッと見つめながら、静かにクレイは聞く。ヴェルデも心配そうにローラを見つめた。
「……気が晴れたかどうかは、正直わかりません。エルヴィン殿下のことを思い出すと体はこわばりますし、胸が苦しくなります。でも、少しずつ、あの頃のことを過ぎ去った昔のことなのだと思えるようになってきました。きっと、ヴェルデ様と一緒にいる今に夢中になれているからだと思います」
ローラの言葉に、ヴェルデは目を輝かせた。
「そうですか、それならよかった。もう、大丈夫ですね」
クレイがそう言うと、ローラは静かに微笑みうなずいた。
「それではそろそろ休みましょうか。あ、お二人は同じ部屋でいいですよね?それともローラ様、今夜は私と一緒に寝ますか?」
「師匠!」
「ははは、冗談が通じない弟子だなぁ」
「あなたが言うと冗談に聞こえないんですよ!」
ヴェルデがむきになると、クレイは笑いながらそういえば、と懐から何かを取り出した。
「あなたたちはまだ体を重ねていないようですね。ローラ様、ヴェルデに不満でも?」
「ち、違います!不満だなんてそんな」
どうしてまだ体を重ねていないとわかったのだろう。規格外の魔術師であるヴェルデの師匠ともなれば、やはりそんなこともわかってしまうのだろうか。ローラが恥ずかしさのあまり赤面していると、クレイがヴェルデに懐から取り出した小瓶を手渡す。
「そうですか。ヴェルデ、もしもの時はこれを使うといい」
「何ですかこれ、嫌な予感しかしませんけど」
「ふふふ、夜の営みに使うとすごくいいものだよ」
「いりません!」
◇
客室に通されると、そこにはセミダブルのベッドがひとつだけだ。いつも一緒のベッドに寝てはいるが、ヴェルデの屋敷では寝室にあるベッドはクイーンサイズ。セミダブルでは一緒に寝るといつもより距離が近い。
(ど、どうしましょう、一緒に寝るとなるといつもより近くて緊張してしまう)
ローラがベッドを眺めながら固まっていると、ヴェルデは近くにあったソファに腰を掛ける。
「ローラ様はベッドで寝てください。俺はここで寝ます」
「えっ、そんな……!」
「いつもより狭いベッドでしょう。ローラ様も窮屈になってしまいます。大丈夫、明日には屋敷に帰りますし、一日くらいソファで寝ても平気です」
にこっと微笑むとヴェルデはソファに横になり、ローラに背を向けた。そんなヴェルデを見て、ローラは少し寂しさを感じる。
「ヴェルデ様……一緒に、寝てはくださらないのですか?」
ローラの言葉に驚き、思わず飛び起きて振り返ると、ヴェルデはローラの顔を見てドキリとする。その顔は寂しそうな苦しそうな、それでいて何かを求めるようなそんな複雑な表情だった。
「ローラ様……まいったな、正直に言います。そんな狭いベッドで一緒に寝たら、俺が我慢できなくなってしまいうんですよ。言っている意味、分かりますよね?」
ヴェルデの話を聞いて、ローラはハッとして顔を赤らめる。一緒に寝ているときはローラを気遣って何もしないが、考えてみればヴェルデは我慢してくれているのだ。
ローラ次第なのだろうが、いつかは、ヴェルデとそういうことになるのだろうか。
ヴェルデを見つめるとヴェルデは微笑みながら首をかしげた。
(ヴェルデ様と……ってキスだってまだしていないのに!というか、私はヴェルデ様とそういうことがしたいの……?)
もしそうなったとしたら。考えてみると別段嫌な気持ちにはならない。むしろ、なんとなく嬉しいような気がしてローラは胸が高鳴った。
「ローラ様?」
ヴェルデが聞くと、ローラは顔を真っ赤にしてすぐに恥ずかしそうにうつむいた。そんなローラを見て、ヴェルデは両手で顔を覆って言う。
「そんな可愛い顔しないでください!本当に耐えられなくなる!」
ヴェルデは静かに深呼吸すると、ソファから立ってローラに近寄った。
「でも、その様子だと嫌がられているわけではないみたいですよね。今は遠慮しておきますが、そのうちローラ様の心を完全に落としてみせますから。楽しみにしててくださいね」
耳元でそっと囁くと、頬にちゅっと口づけた。突然のことに固まるローラを見ながら、おやすみなさいと微笑んでヴェルデはソファに横になった。