「疾子ー、そろそろ学校行く時間よー」
「はーい」
私には身に覚えのない行動をしていることがある。
「やっぱり、やってある」
昨日、友達との通話に夢中でそのまま寝落ち。
学校の課題を何もやらずに今起きた。
だと言うのに課題は全て終わっていて。
お風呂も入って、スキンケアまでバッチリだった。
今日も私の顔にはニキビひとつない。
自堕落な生活を送っている自覚だけはあるのだが、ここ最近ずっとこんな感じだった。
楽はできているのだからいいのだけど、気持ち悪さの方だけが目立って。
こんな日が、物心がついた頃から周囲で起こる。
「お母さん、あたし昨日お風呂入ったっけ?」
「何言ってるのよ、ご飯食べた後入ってたでしょ?」
記憶がない。
ご飯を食べた記憶も曖昧で、けど入った事実は両親も知っている。
私だけが違和感を拭いきれない。
「でもおかしいといえばおかしいのよね。普段あんなにやかましいあなたが、やけに素直に私の言うことを聞くの」
「お母さんひどーい。私だっていい子にしてる時あるよー?」
「いつもそうだったらいいのにねってことよ」
私の知らない私は、とてもお行儀が良いと言うことだ。
「あ、そういえばプリント」
「もうもらってるわよ。授業参観でしょ」
渡した覚えはない。
けれどお母さんはお風呂に入る時にもらったと言った。
身に覚えのない、お行儀の良い私が差し出したらしい。
「うん、これる?」
今の時代はVRでの行き来が可能。
とはいえ、それによって忙殺されるサラリーマンが多く、私の両親も家族との団欒以外では忙殺されている。
なので実際にはリモート参加が多かった。
今の時代、生身で出歩きしないのでそれが普通になりつつはあるんだけどね。
「お母さんはいけるわよ。あなたのお友達を紹介してちょうだいね?」
「いいよ」
お父さんは難しいそうだ。
いっそ分身してしまえば、そんな風に考える人も少なくない。
脳の処理がそのパフォーマンスを維持できないので机上の空論らしいのだけど。
◇
「疾子君」
「あるぷちゃん」
学園内での親友でもあった。
やたらミステリアスで時代錯誤な物言いをする不思議ちゃんだが、意外に話が合うので今でも交友は続いている。
クラスの友達とは違って、どんなに荒唐無稽なお話でも茶化さず受け止めてくれる良い子なんだ。
「今日は随分とご機嫌だね、何かいいことでもあったかな?」
「なんだろ? 朝洗面所でニキビが一つも見つからなかったから?」
「それは僥倖だ。我々乙女にとってニキビは憎むべき怨敵だからね」
それは大袈裟じゃないかな?
実際にスキンケアに時間を費やした覚えのない私にはそう思ってしまう。
「おや、予鈴だ。では私はこれで」
「うん、またね」
私にとってはいつものやりとり。
そしてクラスでは、この前の小テストの発表があった。
ここ最近の私はそれを毛嫌いしている。
テストの前日に別のことで夜更かしをして、テスト時間中はずっと居眠りをしていた。
それでも結果は最良で。
きっともう一人の私がなんとかしてくれている。
だから素直に喜べないんだ。
「秋野はまた満点か。みんなも頑張るように」
「トキちゃんすごいねー」
「今度勉強教えてよ」
「いいけど、結構独特な覚え方してるからなー」
こういう時、本当に困る。
私が授業を受けていないことを知っているのは私だけで、みんなからは真面目に授業を受けているいい子ちゃんで通ってしまっている。
ありがたいんだけど、私を無視してそういうことをしないようにしてほしい。
ありがたいんだけどね?
そんな視線から逃げるように。
休み時間、私は決まって学園内の屋上に赴いた。
本物じゃない、データで作られた空を見上げて。
私は誰にも相談できない悩みを抱える。
クラスの誰にも打ち明けられない、そんな悩みだ。
そういう時決まって、あの子が来る。
「やぁ、奇遇だね」
「あるぷちゃん」
「今朝とは打って変わって今は随分と曇り空だ」
「お天気は晴れてるよ」
「君の顔色がって意味さ。すぐにも雨が降ってきそうだ」
どしたん、話聞こか? ぐらいのスタンスで。
あるぷちゃんは私の心にスッと入ってくる。
ずっと誰にも打ち明けられない怪奇現象を、彼女は噛み砕くように聞いていて。
一つの憶測を立てていた。
「それはそれは不思議な現象だね。ミステリーやオカルトの類でもない?」
「うん」
「と、なれば……君の中に眠っているもう一つの人格が動き出したとか?」
「えー、なにそれー」
「いいや、こちらの話さ。しかしあれだね、その存在のせいで疾子君の顔色はすぐれないと」
「そうなんだよねー」
打ち明けたら打ち明けたで、自分の心象が悪くなる。
不思議ではあるが、その不思議を手放す気は全くないのだ。
楽をして良い思いをしているのは、他ならぬ私だから。
「そういえば疾子君はVRMMOを遊んでいるね?」
「
親の容姿が優れていて、当の私も顔面偏差値が高い方。
容姿端麗はみんなの評価だけど、本来の私は全く身に覚えのない過大評価。
そんな学園とは違う世界で、好き勝手できるワンブリを私は気に入っていた。
ゲームの世界では、不思議とその怪奇現象は起きないから。
本当に寝る間も惜しんで遊び尽くした。
だから寝てる間に勉強もお風呂も、なんならスキンケアまでしてくれるその怪奇現象を手放せない。
悩みの一つではあるが、世話になりすぎてて、今後も世話になるつもり満々なのだ。
だからせめて、やる前にコンタクトが取れればいいなって。
そういう類の悩みなのである。
気持ち悪いとか、怖いとかじゃないんだよね。
意思疎通がしたい。
ただそれだけの悩み。
私が自発的にやったっていうんなら覚えてないだけで済むけど。
どうもそうじゃないみたいだしさ。
「そうかい、違うゲームを遊んでみる気はないかな?」
「違うゲーム? 今は別に考えてないけど」
なにを言いたいのか全くわからない。
でも、不思議と彼女の言動には耳を引き寄せられる。
「そうか。そういえば、君のご両親が出会ったゲームがあるらしいじゃないか」
「うん、うちの両親はゲーム婚だけど、どうしてあるぷちゃんがそれを知ってるのかな?」
「数奇な運命というやつだよ。かくいう私の両親もそこで出会ってね」
「なるほどー」
その運命的な出会いを果たしたゲームに私をご招待しようというわけだ。
でもどうして?
昔のゲームなんて現代っ子である私が遊んで楽しめるかな?
プレイヤーが大人ばっかりだと萎縮しちゃわない?
「実はそのゲームで、今の疾子君と同様の被害に遭ってるプレイヤーの記録があってね」
そんな話を両親から聞いた、と。
まるでその場面を見てきたかのように鮮明に語るあるぷちゃん。
だからって今の私の現象と当てはめるのはあまりにも荒唐無稽すぎない?
今なら冗談で済ませられるけど、彼女は真剣に私に話しかける。
「とりあえず、私はそこで待ってるから、一度ログインしてきてよ」
「わかったけど、面白くなかったらすぐやめるよ?」
「もちろん、それで構わないよ。ゲームアドレスを送るね。ログイン方法はご両親に聞いて。あ、ダイブ方法知ってる?」
「知ってるから! 今日のあるぷちゃん変だよ?」
やけに必死というか、そんなに私と遊びたいんならそういってくれたらいいのにさ。
でも、普段物静かな子のお願いを聞いてあげるのも親友の勤めか。
「ごめん、友達で『Atlantis World online』に興味持ってくれる子って少なかったから」
「だからって私の身の回りで起きてる怪現象を引っ張ってまで誘わなくてもいいじゃない。普通に誘ってくれたら遊ぶから、さ」
「うん、ごめんね。でも君の中のもう一人は絶対その方法で出てきてくれると思うからさ」
その方法が『スワンプマンバグ』
特定モブにキルされると、その後身に覚えのない行動を取ってることが多いそうだ。
厳密にはゲーム内でログイン権を勝手に使われて、行動を起こすらしい。
あるぷちゃんはそれで私の中のもう一人を連れ出すことができる。
意思疎通ができるかもしれないよ、といってくれた。
「じゃあ、待ってるね」
「うん、行けたら行く」
「それ、これないかもしれないっていってるようなものじゃないか」
「それだけ私とワンブリの絆は固く結び解けないのだ」
「じゃあ、来れたら色々案内するね」
「はーい」
ブツッ
突如世界が暗転する。
そして私は、一人しかいない屋上で目を覚ました。
なんだったんだろう。
「あ、トキちゃん。ここに居た!」
「あれ、リノっち?」
「授業始まってるのに出席してないから探しにきたの」
「え、嘘! 予鈴なってた?」
「なってたよー。またワンブリのこと考えてたんでしょ?」
「流石に私もそれ一辺倒じゃないよ。さっきそこであるぷちゃんと話しててさー」
「えっと、誰?」
リノっちは不思議そうに話しかけてくる。
ちょっと、私たちのクラスメイトで幼馴染で一緒に遊んでた……あるぷちゃんを忘れちゃったー?
そこまで言いかけて、違和感を覚える。
冷や汗が滲み出る。
「トキちゃん、大丈夫?」
リノっちの心配そうな顔。
私たちは幼馴染で、遊ぶときはいつも三人で。
そこにあるぷちゃんは居なかった。
あれ、記憶障害が起きてる?
ブツン!
何かの接続が解除されたような感覚があった。
その頃から、完全に意識が覚醒する。
「もー、お勉強頑張りすぎだよ。優等生のトキちゃんだから一限サボった程度じゃ成績落ちないとは思うけどさ」
「うん、ごめん」
私、誰と喋ってたんだっけ。
顔も、名前も思い出せない。
でも、言葉だけが鮮明に残る。
『Atlantis World online』
そこで、私の中のもう一人と出会えるかもしれない。
そして、名前も顔も思い出せないあの子とも、会えたりしそうな予感があった。
「リノっちはAtlantis World onlineって知ってるー?」
「お母さんが遊んでる古のゲームだよね?」
「なんだか私、急にそのゲームに興味が出てきちゃった」
「えー、ワンブリは?」
「一回だけ! 一回だけそっちにログインさせて」
「トキちゃんがそういうならいいけどさ」
私はその日の約束を断って、お母さんにそのゲームのログイン方法を聞くに至った。
そこから私は、今まで以上の不思議と遭遇することになった。