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三十七話「そよ風」




 ――感じるそよ風を、私は愛していた。




「………」


 いつも自由に飛び、緩やかなその旅の中で、沢山な物を見て回れるのだから。

 私はそれを見て、幸せそうだと思った。

 でも、それは大人なっての意見だ。

 子供の頃の私は――。


「ねぇケニー。この本読んだ?」

「それは……あー読んだよ。あのヒロイン可愛いよな」


 私とケニーは、物凄く仲が良かったと思う。

 大人になり、人との関わりを経験してからも感じる。

 それは、純粋無垢な友情だった。


「兄さん兄さん」


 一応私は長女だが。年齢的にはケニーのほうが年上だ。

 だから、そう呼んでいた。

 その時の私は、活発だったと思う。

 不自由なく育ててもらったからだろう。

 元気で、明るく、みんなと仲良くしていた。


「この本読んでよ!」

「うーん?いいよ」


 ウキウキとしながら、そう言ってケニーの膝の上に乗せてもらった。

 ケニーはそのまま、私の頭の上で囁いて。

 それを聞きながら、物語を理解するのが楽しかった。

 いつの間にか寝てしまうときもあった。

 ケニーにはそれなりに懐いていたから、私はいつも彼の膝で寝ていた。


「私も魔法使いになりたいな」


 と、本の魔法使いを見ながら言った。


「いいじゃないか。なってみようよ」

「そしてねそしてね。魔法使いになって、優しい人と結婚するの!!」

「そうか。いい将来の夢だな」

「……んふふ」


 幸せだったと思う。

 別に恋愛感情などではないが。

 信用している兄の膝で寝れるのは。

 どこか安心できて、どこか心が休まった。

 だから私は、いつもケニーと一緒にいるのが好きだったんだ。



――――。



「貴族はいいものじゃないぞ。エマ」


 と、お父様は言った。

 お父様と話す時があった。

 それはカール兄さんが剣の師匠のもとで暮らし始め。

 ケニー兄さんは最近何かの勉強を始め、部屋に籠もる事が多かった時だった。


「どうして?」

「自由じゃないからだ」

「じゆう?」

「いずれわかるさ。でも、それが悪な訳じゃない」

「………」


 私はその言葉を、当時理解できていなかった。

 でも、その言葉を聞いて。

 どこか印象深く根付いたのは。

 貴族と言う道への、偏見だった。


 当時読んでいた本も、貴族が悪いことをする本だった。

 自分が貴族だからって、そうゆう小説を読ませないとかはお父様が許さなかった。

 みんなにみんながなりたい道を進ませる。

 それがお父様の心情だったと思う。


 そうゆうことで、私の心に。

 貴族はかっこ悪い者として印象づけされた。

 実際はそうではなく、責任がある重大な役割だ。

 各地を収め、人のために足を運び、悪口とか聞いてもへこたれない。

 それが本物の貴族だった。


 だけどそれは、私が貴族と結婚したからこそ知った事だ。



「エマ」


 そうケニー兄さんに呼ばれた。

 だから私は走った。

 ――――っ。

 すると、そよ風がその場に流れたと思う。

 兄さんに駆け寄る時に感じたから、気持ちが良かった。

 だけど同時に。

 そのそよ風の間を突っ切って、流れを自分で断って、兄さんに飛び込んだ。



「――――――」



「僕さ。貴族になりたいんだ」

「………」


 誰にも言わないでねと、前置きをされた事だった。

 そうケニーは告白してきた。

 ふと、そよ風が突風に変わった。

 温かい風が冷えて、私の口は言った。


「そんなの、現実的じゃないよ」

「……え」

「そんなのなんにもカッコよくないし、名誉でもないし」

「………」

「だから兄さんは、冒険者とかになって」

「――――」

「私と一緒に……」


 そして、子供ながらに気づいた。

 気がつかされた。


 一筋の、雫が流れていた。

 ふわりとして、曖昧なその存在は。

 思わず、私の印象に深く刻まれた。

 そして。


「……え」


 それは、ケニー兄さんの。

 涙だった事に、遅れながらも気づいた。


「………」


 涙を見たのは、多分初めてだったと思う。

 人が泣いた姿を見るのは、それが初めてだった。

 この家は強い人ばっかりだから。泣くなんて無かった。

 ずっと友情を育んでいたその絆に。

 亀裂が入った音がした。


 今思えば。

 きっと、ケニーは意を決してその事を伝えたんだと思う。

 お父様も知らなかったその事。

 それを初めて誰かに伝える大事な時間だった。


 そして私は。

 ケニーの夢を全否定した。

 それは泣く。泣くに決まっている。

 ケニー兄さん視点の私がどんな人間なのか知らないけど。

 きっと可愛い長女で、兄妹として信用し愛していたと思う。

 それを、私が否定した。


 だからと言ってその場で私が肯定と言うのも違ったと思う。

 それはただ流されているそよ風と同じであり。

 私の意思など、含まれていないからだ。


 だから、どうしようもなかった。


 どうしようも、なかったんだ。


 そう思っていたから。

 私はケニーに、謝らなかった。

 それが、今後30年と言う長い年月を縛り付ける。

 ある種の【呪い】になった。



――――。



 ケニーが怯えていた。

 そこから半年経ったある日。

 私とケニーはほとんど喋らなくなっていた時の話だ。


 ケニーが白い毛布を全身に被りながら帰ってきた。

 何事かとケニーに聞こうとしたけど、その日からケニーは自分の部屋に閉じこもった。


「………」


 後で使用人に聞いたところ。

 見学に行っていた牧場で事件に巻き込まれたらしく。

 その時の出来事のせいで今みたいになったと言う。


 詳細は詳しく聞いていないが。

 どうせケニーの事だから、また一歩貴族に近づいたと思っているんだろうなと考えていた。


 だけど、違った。

 その日からケニー兄さんは家に引きこもった。

 全員の会食のときも部屋から出てこなかった。




 その事件が起きてから、次にケニーの顔を見たのは4年後だった。

 私も思春期に差し掛かり、ケイティの世話をしながら街へ買い物をしている時だった。


「………」


 見てしまったのだ。

 たまたま家へのショートカットで入った路地で。

 ケニーが、人を殴っているのを。


 その姿は、もう貴族なんて諦めた様だった。



――――。



 そのことをお父様に報告すると。

 ケニーが部屋に籠もりっきりではなく、窓から街へ抜け出していた事が判明した。

 そこでお父様はケニー世話を焼いた。

 何度もケニーを説得しようとした。

 だけど、何やっても上手く行かなくって。


「……なによ」


 結局、私が魔法学校へ行く時になっても兄さんは出てこなかった。


 今の私が当時を語るなら。

 正直私をぶん殴りたい。

 だって、兄さんを傷つけたのは私なのに。

 なに被害者ヅラしてんだよって。

 でもその時の、自分を曲げたくなかったと言うのは今でも残っているし。

 それは味方をしてくれた時もあった。


 でも、息苦しかった。

 当時の私でも息苦しかった。

 だから目を背けた。

 『もしかしたら私のせいでこうなったのかもしれない』

 と言う。今更遅い考えを胸に押し込めて。


 当時の私は、というか今の私も。

 ケニーの心情が分からない。

 もしかしたら、私があの言葉を言わなければ。

 ケニーは今頃貴族になっていたかもしれない。

 もしかしたら、私がケニーの夢を肯定していたら。

 私は、流される人間になっていたのかもしれない。


 分からないから、考えてしまう。

 分からないから、全て自分のせいだと思ってしまう。


「……あ」


 私がそれに気がついたのは。

 ベイカー家の嫁として向かい入れられ。

 その当主と喋っている時だった。


「面白いじゃろ」

「……そう、ですね」

「背景を見れば、知れば。見方も感覚も全て変わってしまう。

 それが人間だ。それが人間であり、それが人間の正義なんだよ」


 その言葉を聞いて。

 私は思わず、ケニーの背景を考えてしまった。

 見ようとしなく、理解もしようとしなかったあの兄の背景。

 だけど、既に遠い場所に住んでいる私からしたら。

 それはもう、物理的にも精神的にも遠いものになってしまった。


 そんな中。

 その知らせが届いた。


『グラル・ジャック死去の知らせ』


 その手紙を見て、たまたま近くに居たケイティとイアンと共に。

 私は馬車を走らせた。


 パカパカ。そう馬が走っていた。

 そんな中、私は考えていた。

 あの家に帰るんだ。きっとまだ引きこもっているケニーとも会う事になる。

 そう思うと、緊張した。

 変な汗が出るくらい、緊張した。


 だって彼の目から見たら。

 あの時否定した貴族に、今の私はなって居たからだ。

 見方を変えてしまえば、それは彼から貴族と言う夢を奪ったと言い換えてもいい。

 彼が、今の私を見たら。

 何を思うのだろうか。


「姉さん?」

「……どうしたのケイティ」

「具合が悪そうだけど」

「……あ、あぁ。大丈夫よ」


 怖かった。

 だけど、いずれやらなきゃいけない事だったと思う。

 私が家に帰った時。

 どうなるか分からなかった。

 だから、その心配で胸がはち切れそうになった。

 だって。

 もしかしたら。

 私が彼の人生を壊してしまったかもしれないんだ。


 沢山の謝罪をしなきゃいけない。

 多くの物を土足で踏み潰していたのかもしれない。


 だから、ごめんなさいを。



――――。



 ケニーに、子供が居た。

 それを知ると、どこか安心した。

 少しだけ垣間見えたケニーの背景を見て。

 私はどこか、勝手に安心してしまったのだ。

 可愛い子だった。

 見た目だけで、ちゃんと育ててあげていると知った。


 だけど、そんな束の間。



「……エマ姉さんも、改めて言うよ」

「っ……」



「――俺は、来年には死ぬ」



 魔病。

 太古から存在するその病は。

 治療法がなく、必ず人を殺すらしい。


 結局は、私のせいだったと思ってしまった。


 魔病に侵されているのを知らず。

 のうのうと恋をして結婚して。

 初体験とか、人並みの幸せとかを済ませていた時に。

 私が傷つけた彼は、魔病と言う病で自分の死期を悟っていたのだ。

 それも諦めていた。

 決して生きるのを諦めたわけじゃないが。

 どこか死ぬことを割り切っていた。


「………」


 その様子が。

 どこかかっこよくって。

 でもその先にあるのは終わりだから。

 私の胸が締め付けられた。


 国に帰る日になったけど、私は帰れなかった。

 今しかないと思ったからだ。

 今更謝るだけで全てがチャラになる訳じゃないと思う。

 ただ、このモヤモヤに、区切りをつけたかった。



――――。



「ふむ。そうか」


 ある程度話し終えると、ケニーは納得したように頷いた。

 そしてケニーは。話している途中で届いたコーヒーに手を付ける。


 何度も謝ったけど、だからと言って許される物じゃないと思う。

 それがもし一生の傷になって、ケニーを苦しめていたのなら。

 もしあの一言で、ケニーが不幸せになっていたら。

 もし私があの場に飛び込まなければ。


 もしそのそよ風を、私が壊さなければ。

 そよ風の様に、型にはまり流されていれば。


 ――感じるそよ風を、私は愛していた。


 いつも自由に飛び、緩やかなその旅の中で、沢山な物を見て回れる。

 その旅の中で、他人を傷つける事がないのだから。

 だから。

 私はそれを見て、幸せそうだと思った。


「にっが」

「……え」

「ちぇ、間違えてエマのブラックコーヒー飲んじまったよ」

「………」


 何を言っているのだろうか。

 私の話を聞いていなかったのだろうか。

 好きに罵倒してくれても構わないし、殴られても文句を言えないと思っていたのに。


 すると、ケニーは私の表情を見て。口を開いた。


「単刀直入に言うと、覚えてない」

「え?」

「そんな小さな時の事を、俺は一ミリも覚えてない」

「え、は」

「だから変な杞憂をするな。被害妄想がでかすぎるんだよ。聞いてて眠くなってくるくらいにな」

「………」

「俺は今が幸せだ。

 お前のせいで貴族を諦めた訳でもないし、

 お前が初体験とか結婚とかしてるのを俺が聞いて、

 ……率直な感想を言うなら、イアンとやらが羨ましいくらいだ」

「な!?」


 この男は何を言っているのだろうか……。

 思わず私は自分の両肩を両手で持ち、怯えるような態勢を取った。


「まぁ要は、全部お前の杞憂だったって訳だ」

「……本当?」

「本当だ」

「……本当に、覚えてないの?」

「あぁ、全くな」


 ……そう、だったんだ。

 杞憂だったんだ。

 あ、あぁ。そうか。

 じゃあ、ケニーにこんなに気を使ってたのは。

 私だけか。

 はは。

 あはは。


「んふふ」

「あ?んだその笑みは」

「ごめんごめん。なんか、昔みたいに喋っても良いんだって思うとさ」

「おう」

「嬉しくって」


 今まで、罪の意識と言うのだろうか。

 そうゆうので私は、ケニーと喋らなかった。

 だけど、全部私の勘違いだと知って。

 息苦しいのが全部なくなった瞬間。


「ケニー兄さんの話、もっと聞かせて」


 私は不思議と、心の底から笑えていたと思う。



――――。



「今日はありがとうね」


 と、俺の目の前で儚い金髪が頭を下げた。

 帰り道、馬車乗り場まで送ってもらってしまった。

 感謝だな。


 って事で、全部話しが終わった。

 まぁなんつうか、久しぶりにエマの笑顔が見れたと言う事と。

 エマ姉さんと気を使って呼ばなくても良くなったのは。なんだか嬉しかった。


「また会えたら会おうな」

「うん。バイバイ兄さん」


 別に、一応俺からしたら長女だから次男の俺からしたら姉さんなんだがな。

 まぁでも。

 そうゆうのを気にしなくなったと思えば。

 いいか。


「お前と一緒に冒険するのも、楽しそうな話だった」

「……え」


 と俺は言い残し、その場を去った。



 さて、ここから。

 ゾニーからの。地獄の修行が始まるのだった。




 余命まで【残り235日】






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