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第36話 未来への一歩

 アスカは、ひとまず宮中では近衛騎士として認められたと言って良い。少なくとも、表向きには。内心で反発感を抱いている人間は、少なからずいるだろうな。


 それもあり、今のアスカには味方が必要だ。同時に、楽しみを知ることも。ということで、アスカを食事に連れていくのが良いんじゃないかと思う。


 まあ、もちろんリスクはある。アスカが獣人差別を受けることで、王都の人間を嫌いになる可能性だってある。最悪の場合は、俺まで嫌われるかもしれない。ただ、立ち止まっている限り、アスカの居場所は生まれないのが現実だ。リスクを承知で、行動するしかない。


 ということで、俺がいつも王都を見て回る活動にアスカを連れて行くことにした。まずは、本人に許可を取る。尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ぼーっと壁を見ているアスカ。そこに声をかけていく。


「なあ、アスカ。俺がお前に楽しいことを教えてやるって言ったよな。美味しいものは、食べたことがあるか?」

「特には。食べ物なんて、お腹が一杯になれば十分」


 やはり、本当に何も楽しいことを知らないんだろうな。その中で、戦いの高揚感だけがアスカにあったのだろう。なら、少しでも楽しんでもらいたいところだ。


 とはいえ、不安はある。獣人というだけで接客されない可能性もあるんだよな。なら、俺が王子だと知っている相手の店がいいか。そこなら、少なくとも表向きには嫌悪感を出されないはずだ。


 アスカは、基本的には普通の人だ。圧倒的に強い以外の部分は。だから、王都の民に知ってもらう必要がある。兎にも角にも、知らないものへの恐怖が一番大きいんだから。獣人は嫌いなままだとしても、アスカだけは特別。そう思われるだけでも、一歩進めているんだから。


 そうと決まれば、行きつけの店に誘うとするか。さて、うまく行ってくれると良いが。


「じゃあ、俺がよく行く店に連れて行くよ。そこでは敬語を使うから、驚かないでくれよ」

「分かった。ローレンツ様の言う通りにする」


 ということで、いつもの店に向かった。店に入ると、少しざわつく。物珍しい表情で見るもの、有名人を見たような顔をするもの、嫌悪感を示すもの。色々といた。アスカは無表情のまま、俺の隣についてきて席に座る。


 そして、店員が出迎えてくる前に、隣の客がガラの悪い声で話しかけてくる。


「獣人ごときが、俺の前で飯を食うんじゃねえよ!」


 アスカは気にした様子もないまま、こちらの様子を見ている。苛立った様子の客は、アスカに殴りかかろうとする。アスカは即座に反応して、あごに拳を叩き込む。そして客は昏倒した。


 やはり、どうしても差別意識はあるようだ。堂々と獣人を排除しようとする人間までいる。アスカは、傷ついていないだろうか。それが気になって、顔を見る。相変わらずの無表情で、俺の顔を見ていた。


「アスカさん、大丈夫でしたか? 衛兵さん、この人を連れて行ってください」


 衛兵の格好をした護衛から、本物の衛兵のところまで連行される姿を見ていた。とりあえず、アスカへの態度を許さないという姿勢は示せたはずだ。実際のところ、アスカはどう思っているのだろうな。


 とはいえ、傷つけることを恐れて王宮に閉じこもっていても、アスカの環境は絶対に改善しない。それだけは確かだ。今のところは、アスカという個人を好きになってもらう以外の道はない。悲しいことではあるが、差別意識の解決は不可能だ。


 とりあえず、店主は俺が王子だと知っている。だから、そっちに話を通そう。それが早いだろう。


「店主さん、僕とこちらの方に、いつものをお願いできますか? アスカさん、この店の煮物は絶品ですよ」

「分かった。ローレンツ様を信じる」


 信じるというのは、俺の対応のことだろうか。あるいは、味のことだろうか。いずれにせよ、アスカは俺を気に入ってくれているみたいだ。それだけは救いだと言える。


 最悪の場合は、王都の人間とアスカを天秤にかける必要がある。どちらかの味方をすれば、どちらかに嫌われる。そんな可能性だってある。リスクを背負わせるのは、アスカにだけじゃない。それが、俺の取るべき姿勢だよな。


 アスカは俺に仕えると誓ってくれた。俺の味方だと、ハッキリと宣言してくれた。その姿勢に応えるのは、王子として必要なことだ。自分の味方を守れないようでは、誰からも信用されないのだから。


 それに、アスカが幸福になれるのなら、俺は未来への希望を持てる。俺でも誰かを救えるのだと。その範囲を広げることで、きっと未来をつかめるのだと。アスカの顔を見ながら、俺は少しだけ目を閉じた。


 しばらく待つと、豚と野菜の煮物が運ばれてくる。さて、アスカはどんな反応をすることやら。


「店主さん、これ、僕のとアスカさんの分を入れ替えても大丈夫ですか?」


 念の為に聞いてみると、特におかしな反応はなかった。ということで、配られた煮物を入れ替えておく。きっと、店主への疑いは本人に気づかれているのだろうな。だが、それでも必要なことだ。アスカが人間を嫌いにならないためにも。


 そのまま食べ進めていくと、いつも通りの味だった。アスカの方を見ると、無表情のまま食べていた。だが、箸は止まっていない。美味しいという反応なら良いのだが。


「アスカさん、美味しいですか? また食べたいと思いますか?」

「分からない。でも、ローレンツ様が隣にいると、いつもと違う気がする」


 その言葉は、きっとアスカにとっては最大限の感情表現なのだろう。原作では、細かい過去なんて描写されていなかった。でも、アスカが周囲に受け入れられてこなかったことは容易に想像できる。


 だからこそ、今アスカが抱えている感情を、もっと大きなものにしたい。それが、俺を守る力にもなるだろうし、アスカ自身の幸せにもつながるはずだ。


「なら、また一緒に食事をしましょうね。アスカさんが美味しいと思う日を、待っています」

「分かった。ローレンツ様となら、嫌じゃない」


 とりあえずは、嫌な思い出にならなそうで良かった。アスカが楽しい思い出を抱えるほど、アスカが戦う理由も増えるだろう。守りたいものが多くなれば、きっと。


 そして、平和の価値だって理解できるはずだ。戦いだけに生きることの悲しさを、知ってもらえるはずだ。だから、少しずつ交流を深めていきたい。


 しかし、アスカがどこで食事をするかは、今のうちはしっかりとコントロールしないとな。妙な差別で変なものを出される可能性は否定できない。やはり、サレンと仲を深めておきたいところだ。サレンの魔法は、毒を癒やすものだからな。万が一の時に、アスカを救ってくれるかもしれない。


 そもそも、俺だって王子である以上は毒殺の危険性は否定できない。そういう観点でも、サレンの存在は重要だ。戦いを見せた時には感心していたし、そこから話を繋げられないだろうか。検討しておこう。


「店主さん、ありがとうございました。こちら、お代になります」


 迷惑料も含めて、少し多めに出しておく。こういうところからも、アスカが受け入れやすくなる心理を作っていかないとな。アスカは間違いなく、最強の護衛になってくれる。だからこそ、排除させやしない。


「ああ、また来てくださいよ。ローレンツさんなら、歓迎します」

「はい。では、また来ますね。アスカさん、行きましょうか」

「分かった。ローレンツ様、手を出して」


 差し出された左手に、右手を繋いでいく。そうして店を出る後ろで、舌打ちの音が聞こえたような気がした。

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