うまくいった。
ヤガンは遠く離れた場所で物見の感覚を共有し、ヒヒヒと笑う。
とんがった鼻の上に乗った黒い丸メガネの中では、タケルたちの戦いが映っている。
ヤガンの能力だ。
このモルーンと呼ばれる種族の行商人は、自身に似たモグラという獣を使役し、その情報を共有することができる。
普段は土に潜っている獣のため視力は弱いが、振動を感知し、嗅覚が鋭い。
それらの情報が統合され、メガネの内側で映像として結実する。
パンタールの若長は結婚を焦っていた。
先代長の突然の死で自身がその後を継いだことは当然だと思っている。
だが、長としての体裁を保つための妻が一人もいなかった。
女が嫌いなのではない。
女に好かれないのではない。
同じパンタールの中に若長に擦り寄ってくる女はたくさんいるし、それらに手を付けることもあるのだが、妻だと認めた者はいなかった。
子供も何人か生まれているが、どれも普通の毛色のため、こちらも自分の子だと認めていない。
長という立場として面倒は見るが、自分の子ではない。
その誇り高さのため、妻となる女性にも価値の高さを求めた。
普通ではダメなのだ。
同じ里にいるパンタールの女たちは、どれもこれも普通の黄ばんだ毛をしていて、稀有な漆黒の毛を持つ若長の隣に立つには相応しくない。
そんな時、タイガリアンの中に珍しい白毛の美しい娘がいるという話を聞いた。
別の種族だが、混血が忌避する考えはない。
実際にその目でたしかめてみると、若長の心を掴むほどに美しかった。
雪のように白い毛に、艶のある黒の紋様が流れている。
凛々しいその目つきは、若長の中にある男を刺激した。
だが、そんな若長の反応とは真逆に、タイガリアンの娘、タレアは若長にまったく興味を示さなかった。
近づけば邪険にされ、逃げ出される。
そんな態度が若長の誇りを痛めつけたが、同時に狩猟民の性を燃え上がらせた。
逃げられると、追いかけたくなる。
女に固執するのは、初めてのことだった。
しかし、何度接触しても、タレアの態度は変わらない。
最後には、その姿を見るだけで威嚇されるまでになってしまった。
こんなこと、初めてだ。
タレアへ憎しみを浮かべるとともに、なんとしても手に入れてやるという気持ちも強くなっていく。
それは恋でもなく、愛でもなく、狩りの記念品のような位置付けとなっている。
しかしだからこそ、若長は諦めない。
相手に好かれないのであれば、他にもやりようはある。
こちらはパンタールの長。
そして向こうはタイガリアンの長の娘だ。
里の交流という名目で結婚を持ちかけてみたが、タイガリアンの長から返答は拒否だった。
タレアが望んでいない。
次の長は別に、タレアと結婚する必要はない。
そんなことを言う。
二番目の理由は納得できる。若長だって、先代長との血の繋がりはないし、その子供の中にいる女性と結婚はしていない。
何人か、抱いてはいるが。
だが……。
タレアが望んでいない。
その理由が納得できない。
さらに食いついてみると、タレアはすでに夫とするべき男を見定めており、その立場を狙って狩猟活動中だという。
狙った獲物が別の獲物を狙っているということだ。
両方手に入れて一挙両得一石二鳥とならないところが、普通の狩りとは違うところであり、そして、自分を無視して狙う男がいるということが、若長の誇りを傷つけた。
どんな奴かと調べてみれば、神鬼の村の毛なしだという。
ある日を境に地上からいなくなったという毛なしの種族たち。
その生き残りが神鬼の村にいるという噂は聞いたことがあったが、まさかそれがタレアが狙っている男だとは。
なるほど、この女もの物珍しさに惹かれているということだな。
しかし、自分の方が希少な存在で、より美しく、そして強い。
あんな、毛なしで、村にいる鬼の子供よりもひ弱そうで、そして美しない生き物なんてすぐに飽きてしまう。
タレアにそう訴えると、彼女は鼻で笑った。
「飽きるのはあんたの方でしょ? うちを手に入れたら、それですぐ飽きて別の珍しそうな女を追いかける決まってる」
そんなことはないと言いたかったが、できなかった。
「あんたはうちの珍しい毛色が欲しいだけ、手に入れたらそれでおしまいだよ。だけど、タケルは違う。絶対に大事にしてくれる。うちにはそれがわかる。それに、あんたは勘違いしてる。たしかにタケルは毛なしだし、見た目はそんなにかっこよくないかもしれないけど、行動がかっこいいから。強いし」
まさか自分の前で他の男が褒められるとは思わなかった若長だった。
そして、そんなことがあっても、まだタレアを諦めていない。
むしろ、初めての挫折をなんとか挽回せんと、燃えたぎっていた。
……という事情を、ヤガンは知っている。
若長は、自身がタケルよりも優れた男であることを証明する機会を窺っている。
だから、その好機を与えてやった。
タケルが村の外に出れば高い確率でタレアが追いかけてくる。
その時に、タレアを目の前でさらってやればいい。
自分の女も守れない程度の男だと、見せつけてやればいい。
そう唆すことにしていた。
そして今回、タケルが村の外に出る機会をこちらから生み出すことができた。
奴の同類をたすけるため、逃げたトバーシアを追うだろう。
その時には、タレアともう一人、タケルに執着している水棲族の女も付いていくことになる。
さあ、好機がやってきたぞと若長に告げれば、簡単に動いた。
そしていま、タケルとパンタールの若長が対峙している。
しかも、パンタールの部下にタケルが離れた後で他の女も襲撃してみせた。
仲間を大事にする神鬼の村の者として、これは激怒に値する行為だ。
もはや、タケルとパンタールの争いはここだけで終わることはないだろう。
「キヒヒヒ、ざまぁナイネ」
「ご主人、悪い顔〜」
険しい顔のタケルを見て、ヤガンが笑い、なにも知らないホルタインは呑気に水を飲んでいる。
「アア、悪い顔にもなるサ。こんな楽しいことが他にあるカネ?」
憎い相手が苦境に落ちていく様ほど楽しいことが、この世にあるだろうか?
いや、ない。
タケルのせいで神鬼の村はパンタールを敵に回す。
そうなると、近くに住んでいるタイガリアンも同盟状態を考え直す事態になるかもしれない。
「アイツらは、ワタシの商売を邪魔したネ。だから、モットモット、苦しめばイイヨ」
「よくわかんね」
ヤガンの心はホルタインには届かず、ただ首を傾げるばかりだった。
そんな頭の足りない荷台曳きのことは忘れて、メガネの中の映像に集中する。
「アレ?」
その時、光が視界を覆い、次の瞬間、ヤガンは絶叫を上げた。