スラーナが発熱して倒れ、ジョン教授たちは帰って行った。
防護服を脱げない彼らに長居は不可能だし、先に戻ったシズクやプライマたちの再検査が必要になるかもしれないので、それを忠告するためだ。
お兄さんは残りたがっていたけれど、この状況で防護服を脱ぐことを許すわけにもいかないというわけで、説得された。
俺は残った。
病気のスラーナを一人にするわけにはいかないし、彼女を連れ回したのは俺だ。
防護服を着ていないのは、いまさらだ。
スラーナは眠り続けている。
発熱以外の症状はない。
ひたすら、彼女の体を冷やし続けるしかない。
「この娘からか。素養があったからね。仕方がない」
「ミコト様?」
気がつけば夜もかなり深くなっていた。
暗い部屋の中で、ミコト様の姿がぼんやりと輝く。
「魔力と適応の話は、以前にしたな」
「え? あ……ええと、術理力を使っているから、人間は魔力がいまだに使えない、だったかな?」
なんでいきなりこの話?
「まぁそうだが、この娘は面白いことに、お前よりも魔力に早く馴染んでしまったようだ。そして、慣れないままにこの環境を泳いでいたお前よりも、早くに変化が訪れた」
「変化?」
「見ろ」
「って、ミコト様」
ミコト様はいきなりスラーナの掛け布団を剥ぎ、彼女の着ていた寝巻きの胸元を開いた。
……寝巻きに着替えさせたのは、村の女衆の人たちだからね!
俺じゃないよ!
「これを見ろ」
「いや、セクハラなんで」
「ふん、その気があるならさっさと抱いておけばよかっただろう」
「そういう問題?」
「とにかく、これを見ろ」
「うう……」
しつこく言われて、視線を戻す。
よかった、大事なところはちゃんと隠れている。
寝巻きの合わせ目を少し広げて、スラーナの胸元が顕になっている。
その部分に、薄い光が張り付いて、模様のようなものを描いていた。
「これは?」
「魔力への適応が始まっている」
「適応?」
「そうだ。そしてこれは、かつて、地上に残された人類に起こった変化でもある」
スラーナの寝巻きを戻して掛け布団を戻したミコト様は、昔話を始めた。
「いまの人類がダンジョンに挑戦し、そこから富やエネルギーを得るという生活は地上でも行われていた。ある日、突然に世界にダンジョンが現れたその時から始まった、突然の変化だ。しかしそれでも、我が子供の時にはもうそれが当たり前であったし、誰もそのことに疑問を抱くことはなかった」
「ミコト様が子供の頃?」
なにそれ?
想像もできないんだけど。
「我にだって子供の頃はある。そして、我がダンジョン攻略者として活躍していた頃にモンスターの氾濫が起きた」
それはつまり、ミコト様は歴史の生き証人?
あっ、それはなんか、納得できる。
ゴンッ。
痛い。
「なにも殴らなくても」
「女の年齢のことを考えるのはな、いつだって禁忌事項だ」
「昔話を始めたのはミコト様なのに?」
「聞く気はないのか?」
「あります」
それがいまのスラーナのことに関係があるのはたしかなんだ。
「モンスターが氾濫した後のことは簡単に長そう。いまはそう大事なことでもない。ただ、これだけはわかっていろ。全ての人類が、ダンジョンに移住したわけではない」
「え?」
「お前には想像がつかんかもしれんが、当時の人類は百億に届きそうなほどの数がいた。そんな数を、あの混乱の中で全員ダンジョンに導くなど、不可能だ。場所を用意することも含めて、全てにおいて、な。だから、いまダンジョンで暮らしているのは当時の地上の国家の中でもかなり選別された人々だ。富、知識、技術、様々な面でな」
「ミコト様は?」
「我はな。ダンジョン攻略者としてはなかなかの地位にいたと自負しているが、まぁ残ることを選んだ。仕方ないとは理解していても、感情が納得しなかったのでな」
「なら、地上でずっと戦っていた?」
「いや、ダンジョンモンスターの混乱は長く続かなかった。ただ、次の問題が起きてな。それに振り回されている間に、ダンジョンに行った人類との連絡手段は失われた」
「次の問題?」
「……なぁ、タケル。ダンジョンでモンスターとも戦ったのだろう?」
「え? うん」
「なら、もうわかっているだろう。地上とダンジョンの違い」
「それは……」
「思いついたことを、言ってみろ」
言われて、俺は指折り数えてみた。
「ダンジョンモンスターは魔石になるけど、地上のモンスターは魔石にならないね。というか、魔石を見たことがない」
「うん。他には?」
「ええと、ダンジョンモンスターは、交渉できない。敵ってはっきりしてて、戦うしかない」
「そうだな、他には?」
「他? ええと……ダンジョンモンスターと同じものを地上で見ない……かな?」
この村にいる鬼たちと、オーガは似ている。
最初のジョン教授たちが遭遇したラミアも、もっと小さいものがダンジョンにいるらしい。
あとは、虫や動物がモンスターになったようなのは、似ているのがいたりしたかもしれない。
だけど、まったく同じものは見ていない。
クトラのオクトパシアとか、タレアのタイガリアンとか、オババ様たちの竜人族とか、そういうのは見ていない。
まだ見ていないだけかもしれない。
あるいは、ずっと見ないのかもしれない。
トバーシアも、モルーンも、ホルタインも、パンタールも、半魚呑も、ハートレッドも、メーズもゴーズも、モグアイも……ぜんぜん見ていない。
「おかしいと思わないか? 地上にダンジョンモンスターが満ちてそのままだったのなら、同じ種が地上の覇権を握っていてもおかしくないだろう?」
「そう……かも?」
「そして、地上の人類がそのまま全滅したと思うか?」
「それは……」
そんなはずがない。
なぜなら、ミコト様はここにいる。
当時はダンジョン攻略者だったというミコト様がいまもここにいる。
なぜか、いまもここにいる。
「それは……」
「答えは、こうだ。『いま地上にいるモンスターのような姿をした者たちのほとんどは、地上に満ちた魔力に適応し、新たな種へと変化した』」
「あ、う……」
「つまり、元はみんな、人類だということだ」