山に近づくほどに空気が粘りつくように感じる。
前にここに来た時は、こんな感じはなかった。
いや、山に近づいたのはこれが初めてなんだけど、村にいた時から空気の感じが違ったんだ。
術理力を感じるように鍛えられたことを通して、魔力をちゃんと感じられるようになったから……なんだろうけど。
もしかしたら昔の俺でも山に近づけば感じることができたかもしれない。
それぐらい、ここにある空気に含まれた魔力は濃厚だった。
迂闊に術理技や属性を使う気にもなれない。
そうするためにここにある魔力を吸い込んだ瞬間に、俺の中に入り込んだそれが俺を変えていくような気がした。
俺と同じことを感じているのか、スラーナも苦しそうにしている。
ただの登山だけど、術理力による強化を使わないように気をつけると、いつもよりも疲れてしまうのは当然だ。
「そろそろ休憩しましょうか」
先を歩いていたカル教授が俺たちを見て、苦笑混じりにそう言った。
カル教授は、術理力で強化することを恐れていないようだった。
「君たち、変化するのを恐れているの?」
「ああ、やっぱりそのつもりですか」
ミコト様に助言されていたし、カル教授の探究心を見ていて思った。
この人は、変化することを恐れていない。
「ええ、そうよ」
「でも、どうして?」
「どうして? そうね……」
カル教授は言葉を探すように少しの間だけ黙った。
「私は、自分の属性が嫌いなのよ」
類別は『眼』
能力はダンジョンからドロップした品の詳細を知ること。
ただ、それだけ。
知りたいというカル教授の個性が反映された能力ではあるけれど、それだけでは彼女がもっと知りたいと知るダンジョンの奥地へと連れて行ってはくれなかった。
実力以前に、ダンジョンにおける適性者の決まりがカル教授を強者として認めてくれず、深い深度のダンジョンへ挑戦できなくなった。
「私の知りたいという欲望は、私自身の属性によって裏切られてしまったのだよ」
だから術理技を研究するようになったという。
属性とは関係のない術理力を応用した技は、適性者の強さを底上げすることができる。
これでカル教授もダンジョンに挑戦できるかと思ったが、術理技の開発によって研究者としての地位が上がり、結果として危ないところには行かせられないとなる。
そしてまた、カル教授はダンジョンから遠退くこととなった。
「その怒りを抑えるためにさらに研究した結果、【王気】が誕生したのだけど」
「でも、ここで変化したら、今度はダンジョンに戻れないんじゃ?」
ここで変化することで、カル教授は新たな力が手に入ると思っているのかもしれない。
だけど、その力を手に入れたとしても姿まで変わってしまったらダンジョンに戻ることもできないんじゃないだろうか?
「そうね。私たちのいた人類統一連合のダンジョンには潜れないかもしれないわね」
「教授、それって」
俺はよくわからなかったけど、スラーナはわかったらしい。
すごく驚いている。
「もしかして、他の勢力のダンジョンに?」
「そういう考え方もあるわね。あなたは戻れないことに不満はなかったの?」
「それは……でも」
「スラーナはまじめね。昔の私を見ているよう。でも、相手の決まり事に気を使うあまり自分の望みを軽視すればどうなるか、私を見て学習しておいた方がいいかもしれないわよ」
「それは、そうかもしれませんけど」
「とにかく、これが龍穴へ来ることを望んだ私の理由。強くなって私を研究職に押しやった連中を見返したいのよ。歳を取っても、見返すなんていう幼稚な復讐心は消えないもの。さて……」
と、カル教授は俺たちに笑顔を向けた。
特に、スラーナに。
「それで、あなたたちはどうなの? 変化することを恐れていないの?」
「……怖くないといえば嘘だけど、まぁ、俺はそこまで」
どんな姿になるかを考えると……というか、変な姿になったらどうしようという心配はあるけれど、変化すること自体は怖くない。
「なんというか、俺はこっちで生まれて、でもこっちに相応しい姿じゃなかった」
地上に残ったただ一人の人間。
でも、本当はみんなが人間なんだ。
この魔力によって姿を変えてしまったけれど、大元はみんな人間だ。
「ようやく、こっちにあった姿になるのかなと思ったら、そんなに怖くない」
「そう。あなたはそうかもしれないわね。なら……」
と、スラーナを見る。
俺も気になる。
スラーナは、それでいいのか?
突然に地上に放り出されて、なにもわからないまま発熱と変化の予兆みたいな者が出てしまったからダンジョンに戻れなくなった。
スラーナはそれでいいと言っていたけれど、それが本心を隠した言葉だったりしたら? と不安になることもある。
「私は……私の意思でここに残ると決めたんです。変化することも、覚悟のうちです」
「どうして?」
「どうしてって、それは……カル教授に話さないといけないことではありません!」
「ふうん?」
スラーナは顔を真っ赤にして、話すことを拒否した。
「まぁ、無理して私に話す必要はないかもしれないけど、それなら、話すべき相手にはちゃんと伝えておかないとね」
「うっ!」
なぜか動揺するスラーナを置いて、カル教授は離れたところに座った。
ええと?
これはつまり、俺たちで話をしろと?
そういうこと?
「スラーナ?」
「ええと、ちょっと待って」
あれ?
スラーナの顔が真っ赤なんだけど……なんだかいつもと違う?
いや、違うと感じる俺がいつもと違う?
「……これは、お前が鈍感だからこんなになっているんだからな?」
「え? え?」
「それにクトラとタレアもいる。私は、最初からタケルの素性を知っていたから、こんな気持ちは気のせいで、いずれ消えてしまうものだと諦めるつもりでいた。ずっと一緒にいるのだから、嫌悪するよりはその方が楽だとも思っていた。でも……」
「あ、う……」
「でも、どうせ消えないのなら。世界が変わってしまうのなら、姿程度変わったってかまわないかなって……そう思ったのは、私が……」
あ、やばい。
これはなんかやばい。
スラーナの気持ちを聞くだけでなく……。
俺もなにか覚悟を決めないといけないことになる。
「私が!」
「二人とも!」
スラーナの声は、カル教授の警告で塗り潰された。
「「っ!」」
すぐに、俺たちもその気配に気づいた。
すでに音になって、そいつはすぐ近くまで来ていた。
木々を破壊して、それが飛び出してくる。
「伏せろっ!」
スラーナと一緒に、迫ってくるなにかから逃げる。
そいつは、俺たちを無視して山を下っていく。
「なんだあれ?」
いや、それどころじゃないかも。
あいつの向かっていく方向は……。
ドワーフの里だ。
あいつはドワーフの里を襲うつもりだ。