雪に掘り進んだ穴を抜け、再び地表へと戻った私たち。
そこに広がるのは最初に見たものと同じ銀世界。
気候は穏やかで、少し前まで猛吹雪が吹き荒れていたとは思えない光景だった。
「…………吹雪、やんでよかったね」
「……ええ」
――正直、気まずい。
きっとそれはソーマも同じなのだろう。
まったくというほど話が弾まない。
(元はといえば私の言葉が原因なんだから、気まずいなんて思っている場合じゃないわよね)
普段なら時間が解決すると諦めるのも1つの手だろう。
(これでソーマと一緒にいられるのは最後かもしれないんだから)
だが、今回ばかりはそうもいかない。
もしここに本当に女神がいたとして。
思惑通りにソーマを元の世界に帰せたのなら。
もう私たちは会えないのだから。
(ちゃんと、明るく見送らなきゃ)
わだかまりを残した終わりにしたくない。
そういう別れで終わらせたくないのだ。
――なんてことを考えているうちに、私たちは雪山の頂上へとたどりついていた。
幸い何もない景色ゆえに迷うこともなく、一直線に頂上を目指せたのだ。
「もし女神様がいるとしたら……多分ここだよね?」
ソーマが足を止める。
私たちが訪れたのは神殿のような場所だった。
神殿とはいっても複雑な造りではない。
折れた石柱が列をなしているだけ。
屋根も壁もない。
なのに異様ともいえる雰囲気が漂っている。
それこそ柱しかないここを『神殿』だと感じてしまうほどに。
「RPGだったらそういうものよね」
雪山の頂上にある神殿。
しかもよく見れば、柱が並んだ向こう側には小さな台座がある。
ゲームであればこのあたりでイベントが始まるのは間違いないことだろう。
「…………」
「?」
そんなことを考えていると、ソーマが立ち止まっていることに気付く。
私が振り返ると、彼はくすりと笑みをこぼした。
「いや、こっちの世界じゃRPGは存在しないからね。そういう話題になるのがちょっと新鮮だったんだ」
それもそうだ。
聖魔のオラトリオはなんちゃって要素こそあるものの、基本は中世ヨーロッパをモチーフにしている。
なのでコンピューターの類はほとんど存在していないのだ。
ゆえに元の世界にあったようなゲーム機は存在しない。
だからゲームのお約束なんてものが通じるのは、同じような世界から訪れた私しかいなかったのだろう。
「こっちでゲームと言えば、テーブルゲームが多いものね」
他にはトランプなんかも存在している。
余談だが、やはり身近な娯楽ということもあってリリもチェスなどの遊戯は大体できるようだった。
作中では弱いと評されていた彼女に負けたときは、思わず解釈違いだと嘆いたものである。
まあ私はチェスなんてほとんどしたことがないのだから仕方がないのだろうけれど。
「とりあえず入ってみましょう」
「うん」
神殿に踏み入れれば、カツカツと靴音が響く。
長年放置されていることを思わせる崩れた神殿。
一方で床は不朽の光沢を放っている。
見た限りは大理石のようだが、もしかするともっと特別な材質なのかもしれない。
「なんというか……聖域って呼ばれるのも分かるわね」
踏み入れただけ。
それなのに場違い感とでもいうか、やってはいけないことをしているという感覚が刺激される。
それはまるで人の身で近づくことを拒絶されているかのようだった。
「だけど……」
周囲を見回してみる。
「……誰もいない……わよね?」
だが、誰もいない。
「うん。気配もない……」
(アテが外れたっていうことかしら)
柱の陰に隠れているのか。
絶対にないとまではいわないが、それならソーマが気付くように思える。
やはり、女神なんていなかったというわけなのだろうか。
「こういうよく分からない場所って、どこかに隠し扉があったりするのってありがちよね」
そんなことを考えているうちに、私たちは神殿の奥にある台座へとたどりついていた。
一言でいうのなら、聖域の入り口にあった祭壇のミニチュア版とでもいうべきか。
腰あたりの高さの台座だった。
「帰り道も分からないわけだし、できるだけ細かく調べてみましょう」
「そうだね」
仮にここに女神がいなかったとして。
引き返しても帰れるわけじゃない。
ならばもっと模索してみるのが建設的だろう。
「とりあえず、一番怪しそうなのはこれよね」
私は台座に目を向ける。
「ダンジョンの中央に意味深にある台座なんて、ゲームだったら押したら動いたりなんて――ぇ」
そして軽く台座を押してみて――固まった。
「……本当に動いちゃった」
思っていた。思わなかったわけではない。
ゲームだったら動かせそうだな、と思ったことは否定しない。
しかし実際に台座がスライドしてしまうと戸惑ってしまうわけで。
「ゲームでよくある、地下にダンジョンが広がっているパターンかな?」
台座の下から見える縦穴。
それを覗き込みソーマがそう漏らす。
「もしそうなら、女神様がいる可能性もまだ十分にありえるわね」
もしこれがいわゆるダンジョンの入り口であるのなら。
その最奥に女神がいる可能性もゼロじゃない。
「それじゃあ――」
「エレナさんッ!」
それじゃあ行きましょうか。
そう言いかけたとき、ソーマが警告を飛ばした。
「きゃっ!?」
(煙……!?)
直後、台座の下から紫煙が噴き上がった。
毒ガスだろうか。
そう思い慌てて口を押さえる。
その間にも煙は湧き上がり、私たちを包み込もうとする。
「手を掴んでっ」
紫の煙に覆われて消えそうになる視界。
その隙間から、ソーマが必死な様子で手を伸ばしてくる。
私もそれを掴もうとするが――
「っ」
――その手は空を切った。
(どうなってるの……?)
今や視界は煙に包まれて何も見えない。
(いくら視界が煙で覆われていたとしても、あんなに近くにいたソーマに触れられないはずがない)
だからといって、隣にソーマがいたという事実がなくなるわけではない。
お互いに手を伸ばしていればいつかは触れ合うし、声だって聞こえるはずだ。
なのに、周囲から一切の気配が消えた。
「ここは……」
(煙に覆われたとき、あの場所から隔離されたっていうことなのかしら)
正直なところ、現状を把握できているわけではない。
だが近くいソーマがいないことはほぼ確実だろう。
だとしたらあの煙に包まれた時点で、私たちは分断されたと考えておいたほうが良い。
(ソーマの無事も気にかかるけれど……普通に考えると一番危ないのって私よね)
そうなると危ないのは私だ。
ソーマの実力なら大概の問題は自力で解決してしまえるだろう。
しかし私の場合、これから起こる出来事次第では命にかかわる。
「ソーマ君!?」
背後から聞こえた靴音。
音がした方向へと私は振り返る。
だが、
(誰もいない……?)
ただ紫の世界が広がっているだけ。
(気のせいかしら)
1人になった不安が、誰かの気配を感じさせたのか。
そう思い始めたとき周囲に変化が起こり始めた。
(煙が晴れていく……)
周囲を覆っていた煙が少しずつ後退してゆく 。
そうして現れた世界はまるで星空だった。
前後左右。そして上下。
まるで宇宙に立っているかのように。
私の周りには暗い闇が広がっていた。
「女神の試練、だったかしら」
そんな中、聞こえてくる声が1つ。
そして靴音が響く。
「どうやら女神は、あなたが乗り越えるべき存在は私だと判断したようね」
「あ……あなたは……」
その声を聞いたとき、私は青ざめた。
だってこの声の主を知っていたから。
聞き馴染みがあるなんてものじゃない。
最近は、ずっと聞いていた声で。
本来であれば、ここで聞こえるはずのない声だったから。
(うそでしょ……)
視線を向けた先。
消えてゆく紫煙の向こう側。
そこに人影が映る。
黒紫の髪。
黒百合を思わせるドレス。
整っていながら、どこか陰気さを感じさせる面立ち。
(なんで彼女がここにいるの……?)
だって彼女は――
「だから私の魂は眠りから覚めて……ようやく、あなたに声が届いた」
だって彼女が目の前に現れるはずがない。
そんな希望は、
「――エレナ=イヴリス」
目の前に現れたエレナ=イヴリスによって打ち砕かれた。