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第49話

 日本から来たのではないか。

 そんな彼の言葉に、私の思考が凍りついた。

 しかしソーマは言葉を続けてゆく。

「意識がなかった間のことも、ぼんやり覚えている」

 思い出すように彼は語る。

「魔王様に剣を向けたこと」

 女神が課した宿命に操られるままリュートと戦ったこと。

「エレナさんが僕を守ろうとしてくれたこと」

 私が、彼と共に魔族領を去ったこと。

「そして、エレナさんの魂が別人であること」

 私がユリウスと話していた内容も、彼は知っていたのだ。

「っ……!」

 唇を噛む。

 ここが薄暗くてよかった。

 今の私には動揺を隠せるだけの余裕がなかったから。

「異世界だとか、勇者だとか。いろいろ話を聞いて……ふと思ったんだ」

 静かに彼は語る。

「エレナさんって……僕と同じ異世界から来た人なんじゃないかって」

 彼が出した答え。

 それは似ているようで違う。

 異世界。日本。

 だけど私たちにとってのそれは――違うものだから。

「なんとなく仕草に馴染みがあるというか……他のみんなと一緒にいるときにあった違和感がエレナさんといるときにはないというか……」

 ためらいがちに話すソーマ。

 彼にとっても確信のある話ではないのだろう。


「もしエレナさんが僕と同じ日本人なら…………一緒に帰れないかなって」


 そう彼は言った。

 もしかすると、彼が私の同行を許したのもそれが理由だったのかもしれない。

(たしかに私は異世界から来た)

 それは間違いない。

 私は、この世界で生まれたわけじゃない。

(だけど、ソーマがいる日本とは違う)

 同時に私は彼と同じ世界に生まれたわけではない。

 同じ日本という名前だったとして。

 それでも私にとっては異世界なのだ。

 そこには私が生きてきた証も、家族もいないから。

(でもそれを説明するということは、聖魔のオラトリオの存在に触れることになる)

 聖魔のオラトリオに触れずして、私たちが想定する『日本』が別物であることを説明できない。

 そしてそれは1つの事実を示す。

(貴方は私にとって創作上の人間なんだって、言わないといけなくなる)

 それは酷なことなのではないか。

 世界の都合に振り回された彼に告げるには、あまりにも残酷な事実だと思ってしまう。

「ええ。たしかに私はこの世界の人間じゃないわ」

「それなら……!」

 期待をにじませたソーマの声。

「でも、帰ってもあの世界に私の居場所はもうないわ」

「っ」

 だけど、私の一言で彼は押し黙ってしまう。

「この体で、エレナ=イヴリスとして戻ったところで、あの世界に私の居場所はないわ」

 私が口にしたのは嘘。

 聖魔のオラトリオの存在に触れず、私が帰らない理由を補足するための嘘。

「だからごめんなさい」

 謝罪の言葉を絞り出す。

「一緒に帰ることはできないの」

 私は、彼と共に帰ることはできない。

「私の居場所はもうこの世界にしかないから」

 だってそこは、私が帰るべき場所じゃないから。

(私がいた日本と、ソーマがいた日本は違う。もしも女神に会えたとしても、私はソーマと同じ日本には帰れない)

 仮に行ったとして、そこには私の家族はいない。友人はいない。

 見た目が似ているだけの異世界なのだ。

(だから、ソーマと一緒には行けない)

 彼と一緒に『帰る』ことはできない。

「……そうだよね」

 ぽつりと彼が漏らす。

「そのままの体でここに来た僕と違って、エレナさんは元の体じゃないんだった……」

 ちくりと胸が痛む。

 嘘ではない、だけど本当でもない。

 そんな言葉で言い逃れた罪悪感が胸を刺す。

「そっか……そうだよなぁ」

 彼の口から笑みが漏れる。

 苦笑ですらない空虚な笑いが。

「元の体じゃないなら、元の世界に戻っても元の暮らしには戻れないんだ……」


「同じ世界だったなら、一緒に帰れるんじゃないかって期待していたんだけどな……」


 その言葉に、返すべき答えは見つからなかった。

 何を言っても彼を傷つけそうな気がしたから。

「悔しいなぁ」

 寂しそうな声。

 涙声ではないはずなのに、彼の中にある悲しさが声に染み込んでいる。

「僕が一人前の大人だったら、絶対にエレナさんを守るって誓えるのに」

 血を吐くように。

 苦しそうに彼は言う。

「エレナさんに戸籍がなくても困らないくらいいっぱい稼いで、エレナさんの家族にエレナさんのことを信じてもらえるよう一生を賭けてでも説得して、元と変わらない生活を守ってみせるって……寂しい思いなんて絶対にさせないって誓えるのに」

 彼が拳を握りしめる音が聞こえた。

「僕みたいな高校生のガキじゃ……そんなこと誓っても説得力ないよな……」

 弱々しい声が耳に残る。

 まるで戒めのように。

 嘘の代償のように。

「そんな子供のワガママに、エレナさんを付き合わせるわけにはいかないよな……」

 ソーマが大きく息を吐く。

「ごめんねエレナさん。余計なことを言って」

 そして優しくそう言った。

 きっと彼は微笑んでいるのだろう。

 見えないけれど、なんとなくそう思った。

 きっと彼は、そうする人だから。

 そうやって私に心配をかけないようにする人だから。

「……謝らないで。ソーマ君はなにも悪くないんだから」

 謝らないで。

 だからこそ切実にそう思う。

秘密を守るためとはいえ、卑怯な言い訳をした自分が嫌いになってしまいそうだから。


 気がつけば、吹雪はやんでいた。

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