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第57話

 長く続いた暗い異空間。

 しかしその先から円形の光が差し込んでいた。

 どうやらワープゲートも終点らしい。

「そろそろだな」

 リュートに追従し、私はゲートを抜ける。

 そこから広がった景色は庭園だった。

「あ――」

(帰ってきたんだ……)

 思い出す。

 初めてここを訪れた日のことを。

 あの日と、まったく同じ景色だったから。

(帰ってきた……ね)

 私は内心で笑みをこぼす。

(たった数日ぶりなのに。そう思えるような場所になっていたのね)

 自然と浮かんだ「帰る」という言葉。

 それほどまでにこの場所が私の心に食い込んでいた。

 そんな事実がおかしく感じられた。

「エレナちゃん!」

 軽快な声が聞こえてくる。

 視線を向ければ、手を振りながら走るリリがいた。

 彼女は太陽のような笑顔で駆けよってくる。

「リリ?」

「よかったぁ……!」

 リリが私の手を取る。

「もう会えないんじゃないかって……」

 彼女の眼には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 きっと私が思っていた以上に、彼女は私の安否を気にかけていてくれたのだろう。

「リリ……」

 私のことをそこまで想ってくれている人がいる。

 その事実が嬉しい。

「そういえばソーマさんは……」

 不思議そうな表情で周囲を見るリリ。

 私の隣にも、背後にも彼はいない。

 この世界にも。

「彼は元の世界に帰っていったわ」

「元の世界……」

 リリがぼんやりと言葉を繰り返す。

(って、元の世界なんて言ってもわからないわよね)

 勇者がどうのとか。

 異世界だなんて彼女には分からない話だろう。

「あーえっと。元の世界っていうのは――」

 継ぎ足す言葉を探す。

「ソーマさんのことなら、魔王様から聞きました」

 しかしそんな私の逡巡を、リリは微笑みで遮った。

「異世界から召喚された勇者だって」

「そうだったのね」

 リュートは、リリがソーマの覚醒に罪悪感を抱いていたと言っていた。

 そんな彼女の心労をやわらげるためにもある程度の事情を話していたのだろう。

「ソーマさんが元の世界に帰ったということは……」

「ええ。彼が魔王様を殺しに来ることはないわ」

 そのはずだ。

 そうであってもらわないと困る。

 理不尽に呼び出されたのだ。

 今回の件で、ソーマは勇者と魔王をめぐる因果から切り離された。

 でなければ救われないだろう。

「それに、彼もきっと元の世界で平和に暮らしているはずよ」

 そう信じたい。

 物語のように劇的でなかったとしても、たしかに尊かった日常へと。

 彼は無事に帰っているのだと。

「エレナちゃん……うぅ……」

 そんなことを考えていると、嗚咽が聞こえてきた。

 声の出処はリリだ。

 彼女は可愛らしい顔をゆがめ、涙を流している。

「え?」

「エレナちゃん……ソーマさんと離れ離れになっちゃって……。悲しいはずなのに……うぅ」

 リリはハンカチで目元を拭っている。

 布に汚れがつかないあたり、ひょっとしてノーメイクなのだろうか。

 それであの容姿はズルい――なんて関係のないことが浮かんでしまう。

(あれ? 私がソーマに恋してる説って彼女の中でまだ生きてたの?)

 思い返せば、リリは私がソーマに恋愛感情を持っていると誤解している節があった。

 とはいえそれは時間が経って正されたものだとばかり思っていたのだが。

 もしかして離れて見守るというスタイルに変わっただけで、思い込みは続いていたのか。

 複雑な気持ちである。

「まあ少し寂しいけれど、きっとこうするのが一番だったのよ」

 寂しい。

 それが一番正確な気持ちだろう。

 恋愛感情こそなかったけれど、決してどうでもいい人だったわけじゃない。

 もう会えない。

 そう分かっていて、何も感じないような相手じゃないのだ。

 だけどそれがお互いのためなら。

 そう納得をするしかなかっただけで。

 だから割り切っても心にしこりが残る。

 そんな感じか。

「そんなに気丈に振る舞わなくてもいいんですよぉぉぉっ!?」

「ええ……」

 私の反応は空元気に見えていたらしい。

 号泣するリリに抱き着かれ、私は呆れた声を漏らした。

「どうやら事態は終息したようね」

 私がリリに抱き着かれ動けないでいると、そんな声が聞こえてきた。

「アンネローゼさん」

「貴女が無事なようでよかったわ」

 どうやら、私を出迎えてくれたのはリリだけではなかったらしい。

 アンネローゼはゆっくりとこちらに歩いてくる。

 ほんの少しだけ歩き方がぎこちないが、危なげはない。

 ドレスから覗く胸元には包帯が巻かれているものの、顔色も悪くはなかった。

「アンネローゼさんこそ怪我は大丈夫なんですか?」

「おかげさまでね」

 彼女はくすりと笑う。

 万全というわけではないのだろう。

 それでも命に別状はないようでよかった。

 彼女が自害を選んだ時には肝が冷えたものだ。

 彼女が生きてくれていて本当によかった。

 心の底からそう思う。

「わたくしを助けた力が聖女の力だというのは少し複雑な気分だけれど」

「それは……」

 リリがしゅんとした表情になる。

 自分が魔族ではなく聖女であること。

 それによって自分を見る目が変わってしまうこと。

 リリにとってそれは恐ろしいことなのだろう。

 もっとも、アンネローゼの表情を見る限り――

「まあ、リリは聖女っぽくないからノーカウントということにしておいてあげますわ」

 アンネローゼはすまし顔でそう言い放った。

「理由がひどいっ!」

 悲鳴じみたリリの声。

 だけどそこには喜色も混じっていて。

 聖女であることを知ったうえで対応が変わらない。

 それがきっと彼女にとって救いとなるのだろう。

「エレナ様」

 自然と漏れた笑い。

 それが途切れたタイミングで、アンネローゼがそう切り出す。

 その表情は真剣なもので、正面から私へと向き合っていた。

「言いたいことも、聞きたいこともあるけれど。なにより最初に言うべきことがありましたわね」

 彼女の言わんとすることを察したのだろう。

 リリも私を抱きしめていた手を離し、アンネローゼと並び立つ。

「おかえりなさい」

「おかえりなさいませ」

 笑顔で2人はそう言った。

 それは誰かを出迎える言葉。

 ここは帰ってきていい場所なのだと示す言葉。

 だから、私が返す言葉はただ1つ――


「ただいま」


 そうして私は魔王城へと舞い戻った。

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