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第78話

「申し訳ございませんでした」

 そうアンネローゼは頭を下げた。

 謝罪。

 彼女が口にしたのは、間違いなく謝罪であった。

「え? え?」

 しかし、私には謝られるべき心当たりなどないわけで。

 慌てて視線を泳がせる。

 ここは庭園。

 もしかするとこの謝罪は別の人へ向けたものかもしれない。

 なんてことがあるはずもなく、あきらかに彼女は私に頭を下げていた。

「……聖女の仲間の件ですわ」

 私が事態を理解できていないことを分かってくれたのだろう。

 彼女はそう補足した。

 聖女の仲間。

 おそらくロイのことだろう。

「え?」

 とはいえ、やはり釈然としない。

 思い返したところで、彼女が謝るべき道理などないのだから。

「実のところ、わたくしは貴女のことを疑っていましたの」

 疑い。

 彼女はそう口にした。

 そこまで言われて初めて、ようやく話が見えてきた。

「貴女が、彼と通じているのではないかと」

「う……」

 罪悪感で思わず胸を押さえる。

(疑われるのが当然すぎて何も言えない……)

 少なくとも、私はロイの存在に気が付いていながら報告しなかった。

 その時点で裏切り行為といっていい。

 事実としてロイとの協力関係など存在しない。

 しかし私の怠慢が魔族に不利益をもたらしたのもまた事実なのだ。

「たしかに貴女は聖王国から追い出された」

 それでもアンネローゼは申し訳なさそうな表情をしていた。

「しかし逆に言えば、その程度で済んだとも言えます」

 国外追放は決して軽い罰ではない。

 しかし、それでも『その程度』なのだ。

 なにせエレナ=イヴリスは身勝手な理由で人類史を終わらせかけた魔女。

 客観的に見て、生きていることが許容されるような罪状ではないのだ。

「さらに、貴女は地下牢で聖女と接触をしている」

 アンネローゼはリュートの側近だ。

 ゆえに、私が彼に話した事情はおおよそ把握しているのだろう。

 ――魂の入れ替わりに関する部分以外は。

「だからそこで、私が聖女と密約を交わしたのではないか……と」

「…………」

「魔族領に入り込んだ貴女が、密偵が潜入しやすいように手引きする。それを条件として、処刑を免れたのではないか……そう思ってしまいました」

(たしかに、そう考えると辻褄もあうのよね……)

 返す言葉もない。

 そちらのほうが自然な流れのようにさえ思えてしまう。

 エレナが国外追放で済んだのはノアの温情だ。

 しかし普通に考えれば、他ならぬノアがエレナに情けをかけるのは異常ともいえる。

 彼女こそが、エレナの行動による最大の被害者なのだから。

 事情を知っていれば知っているほど、ノアの行動は不自然に思えることだろう。

 そしてそこに理屈を通そうとすれば――アンネローゼがしたような予想が生まれる余地があるわけだ。

「分かっていますの。それはそもそも、貴女が魔族領へと招かれることを前提にした話。魔王様の死を信じていた人間側が、そんな可能性を考えるはずがありませんわ」

(たしかに、敬愛する魔王の死因になった私が快く受け入れられる――とは思わないわよね)

 むしろ、招かれるどころか率先して殺されそうだ。

 というより、事実リュートと出会ったときに彼の部下に殺されかけた。

 私が魔族領に招かれたのは、あくまでリュートが生きていたから――彼が私に興味を示したから。

 魔王が死んでいると信じていたノアたちが、私を密偵の手引き役にするわけがない。

「だけど、わたくしは思わずにいられませんでした。貴女が苦し紛れに密約の存在をでっちあげたのではないか。その嘘を本当にするため、魔王様に取り入ろうとしたんじゃないか……と」

(みょ……妙にありえそうなラインなのがまた……)

 このままでは死刑が確定する状況だったとしたら、試す価値はある程度の嘘だ。

 どうせ処刑されるのなら、リュートに取り入るのが失敗して殺されるリスクなんてリスクじゃない

 すべてが上手くいく可能性に賭けて密約の存在を主張し、なんとか国外追放にまで減刑を勝ち取った――ありえそうだ。

(本物のエレナだったら迷わず死刑を選びそうだけど)

 ノアの慈悲で生かされるくらいなら、喜んで死を選ぶことだろう。

 自分の利益よりもノアの不利益を。

 エレナはそういう少女だったから。

「ですが貴女が、逃げたあの男をどうにか始末しようとしたという話を聞いて……わたくしの疑いが間違いだと感じましたの」

「口封じのために殺そうとしたとは思わないんですか?」

 実際にありえない話ではない。

 秘密裏にロイを処理するため、1人で彼を討とうとした。

 そう考えることも可能なはずだ。

「わたくしが貴女なら、あの男と地下牢で2人きりだったときに――呪殺しますわ」

 アンネローゼはそう言った。

 ロイが捕まってから、私はしばらく地下牢で彼の様子を見ていた。

 そこにアンネローゼが現れる前の時点。

 あるいはロイが目覚めてから、彼女が他の魔族を呼びに地下牢を離れていた間。

 そこで私が行動を起こさなかったこと。

 彼女が私を信じた理由はそこにあるらしい。

「リスクを差し引いても、それがあの男から情報が洩れる可能性を潰す最後のチャンスだったのですから」

 ひとたび尋問が始まってしまえば、秘密が守られる保証はない。

 特に、私なんて仮に協力者だったとしても最初に切り捨てられるような扱いだろうから。

 私が身を守るためには、ロイが誰とも話す機会を与えてはいけなかった。

 なのに私は動かなかった。

 ゆえに逆説的に、私に探られて困る腹がないことの証明になったというわけだ。

(もしかして、私があのとき放置されたのって……それを確かめるためだったり……?)

 あのとき私はひどく動揺していた。

 だから彼女が気を利かせてくれたものとばかり思いこんでいたのだが。

 たしかに、そもそも自衛すらままならない私を見張りに残すことへ疑問がなかったと言えば嘘になるけれど。

 もしもあの行動に、私がどう動くかを見定めるという意図があったとしたら――

 まったく気が付かなかった。

 やはり平和ボケした私には腹芸は難しいらしい。

「正直、貴女に不手際がなかったとは言いませんわ。あの男の正体に、すぐに気付いていたのでしょう?」

「……はい」

 うなずく。

 それは事実だから。

 たとえ私にとって不都合であっても、否定していいことではない。

「言いたいことがないとは言いませんが、貴女が貴女なりにわたくしたちと共に生きようとしていたことは理解できましたの」

 アンネローゼはそう息を吐く。

 もっと早く言ってくれたのなら。

 そんな恨み言を言いたくなるのは仕方がないことだろう。

 いや、恨み言ですらない。

完全な正論である。

しかしあえて彼女はそれを追及しなかった。

私の葛藤を多少なりとも察していたからだろう。

「それにそもそも――これほどの期間、魔王様を騙し続けられる人間なんているはずがありませんもの」

「……はは」

 自信満々な彼女に思わず空笑いがこぼれた。

(結局、最後はそこなのね)

 リュートへの信頼。

 彼が信じるに足ると判断したのだから。

 そんな理由。

 きっとそれが、彼女にとってもっとも大きな理由なのだろう。

「そしてもちろん、わたくし自身で貴女を見てきた結果でもありますわ」

 とはいえ彼女は聡い女性だ。

 リュートが私を信頼しているからといって、ただ鵜呑みにするわけではない。

 自分の目から見て疑わしく映ったのなら、迷いなく進言していたはず。

 そうしなかったということは……彼女自身もまた私を信じてくれたということなのだろう。

「もし貴女がわたくしたち全員を欺けるだけの名優だったのなら、もはや負けを認めるしかありませんわね」

 彼女はそう笑う。

 きっぱりと。

 もはや気持ちがいいほど快活に。

「ははは……」

(怪しいところはあったけど、これまでの行いがあったから信じる……ってことよね)

 疑う理由より、信じる理由のほうが多かった。

 そんなところか。

(あとは今後の私の振る舞いしだいってことね)

 ひとまず、彼女とのわだかまりは解消されたのだろう。

 そう心に一区切りをつけようとしたとき――見つけてしまった。

「あれは……」

 アンネローゼの後方に広がる空。

 そこに何かが見えたのだ。

「どういたしましたの?」

 私の異変に気が付いたアンネローゼが振り返る。

 そのまま彼女は私の視線を追い、怪訝な表情を浮かべた。

「こっちに来ますわね」

 それは白い何か。

 まだ小さいが、それは距離が離れているから。

 実際のサイズは私たちの体より大きいはずだ。

「わたくしの後ろにっ」

 危険があるかもしれないと判断したのだろう。

 アンネローゼは手を伸ばし、私を背中へと隠した

「っ……!?」

 それでも事態を把握しようと目を細め――気づいてしまった。

(あれは……光の鳥?)

 近づいているのは、巨大な光の鳥。

 大きさとしては、背中に2~3人は乗れそうなほど。

 そんな生物を私は知っていた。

 いや、生物ではないのか。

「これって――」

(ノア=アリアの魔法……!?)

 あれは、聖女ノアの浄化の力を具現化させたものなのだから。

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