ノアの視線がふとリュートから外れた。
その視線が向かったのは、
「――――――」
私だった。
一瞬、だが確実に私たちの視線が交わった。
「…………エレナ」
ぽつりとこぼれたノアの声。
きっと彼女はすでにロイからの報告で、エレナが魔族領にいることは知っていたはず。
それでも隠せない哀切の色があった。
出会いたくない場所で出会ってしまった。
そんな感情が伝わってしまう。
「…………」
だけど、私はエレナじゃない。
彼女の悲しみを煽ることも拭うこともできない。
体を借りただけの無関係な人間なのだから。
「趣味が悪いことだな」
そんな状況に口を挟んだロイだった。
彼は忌々しげに視線をとがらせている。
だがその目が向いているのは私ではなく、リュートだった。
「外交としても戦力としても役に立たないそいつを連れてくるなんて……。ノアへの嫌がらせのつもりか?」
なるほど。
状況から逆算すると、リュートがノアの心を乱すために私を連れてきたように見えるのだろう。
ただの貴族令嬢であり政治に関わってきておらず。
呪いという限定的な戦闘力しか有していない。
そんな私を、腹心である魔族より優先して選ぶ理由としては自然なようにも思えた。
「っ……!」
ぎりりと音が鳴る。
それはアンネローゼが歯を噛みしめた音だった。
私への侮辱。そして、リュートを卑劣であるかのように扱う言葉。
彼女はそれに苛立っているのだ。
「嘆かわしいな。聖王国の騎士は、会談相手を侮辱するのか?」
一方、リュートは涼しげにそう返した。
「ロイ」
ここは会談の場。
不必要に場を荒立てるべきではない。
そう判断したのだろう。
ノアは咎めるように横目でロイを見た。
「……申し訳ありませんでした」
ロイは一歩引くと、私たちへと向けて頭を下げた。
「座らせてもらうぞ」
場が収まったタイミング。
そこでリュートがそう切り出す。
もっとも許可を取るよりも早く、彼は席についていたけれど。
「お菓子はいかがですか?」
そんな彼の振る舞いを気にした様子もなくノアはそう尋ねてきた。
「紅茶だけいただこうか」
「わかりました」
そう答えると、ノアは紅茶を煎れていく。
彼女の所作は滑らかで手慣れたものだった。
そのまま4つのカップに紅茶が注がれ、その内の3つが私たちの前へと並べられる。
「私が先に飲みましょうか?」
残った4つ目のカップを持ち上げ、ノアはそう言った。
同じポットから注がれた紅茶。
それを先んじて飲むことで、毒物が混入していないことを証明するということだろう。
「構わない」
しかし、リュートは迷いなく紅茶を飲んだ。
毒の可能性など微塵も疑っていないかのように。
さすが王というべきか。
カップを手に取る。飲む。そして机にカップを置く。
気軽に思える所作はスムーズで雑音を立てることもない。
洗練された動きだった。
「ふむ。上手いものだな」
そして一言。
リュートは彼女の手腕を称えた。
「元々、庶民でしたから」
彼女はそう微笑む。
今の彼女は王女として生活をしている。
だが原作が始まった時点において、彼女は普通の町娘だった。
こういった家事はお手の物なのだろう。
「それは出世したものだな」
町娘から聖女へ。
聖女から王女へ。
彼女の人生は波乱万丈そのものだろう。
物語に、シナリオになってしまうくらいに。
「貴方のおかげでしょうね」
「オレのせい、の間違いだろう?」
「かもしれませんね」
リュートの言葉に彼女はくすりと笑う。
そこに敵意や恨みの感情は見えない。
きっと彼女は本当にリュートに憎悪など抱いていないのだろう。
善意と責任感。
彼女が魔族と戦い続けた根源は、それだけのシンプルな感情だから。
憎しみを抱くことなく救済のためだけに戦う。
それが彼女が聖女たるゆえんなのかもしれない。
「今日は茶会で親睦を深め、平和への道を模索していくのか?」
リュートはノアへと問いを向ける。
白々しく。
「そう思われますか?」
「思わんな」
静かに微笑む2人。
平和的に見えて、それでいて他者を立ち入らせない緊張感をかもしている。
聖女と魔王。聖と魔。
その象徴たる2人が対峙した以上、ただの談笑では終われないのだ。
「残念です」
それでも惜しむようにノアは微笑んだ。
「ならば始めるとしようか」
そしてリュートは切り出した。
「魔王と聖女の対談――聖魔会談を」
人間と魔族。
2つの種族の未来を決める時間の幕開けを。