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第84話

 お茶会のような様相で。

 それでいて世界の行く末を決める緊張感をはらんだ対談が始まる。

「それではひとまず、この場を設けた聖女様の意見を聞くとしようか」

 リュートはあえてそう切り出した。

 今回の話し合いは、ノア主導で開催されたもの。

 よもや、なんの考えもなくこの場を用意したわけではあるまい。

 そう問いかけるように。

「そうですね」

 彼女もまたそうなることは百も承知だったのだろう。

 ノアは落ち着いた様子でうなずく。

「私は貴方たち魔族との戦争を望んでいません」

 物事の大前提を確認するように、彼女はそう言った。

 人間と魔族。

 2つの種族の尊像をかけた戦争は彼女の望むところではないと。

「…………」

(思ったよりも険悪じゃないのかしら……?)

 彼女の言葉に内心で安堵の息を吐く。

 たしかに原作においてもノアは情の深い人物として描かれていた。

 もしかすると、私が思っていた以上に話し合いの余地があるのではないか。

 そんな期待をしてしまう。

 だが、

「なるほど。『私は』か」

 リュートはそう笑う。

 ノアの言葉の裏に隠れた真実を指摘するように。

「ならば、お前たちはどうなのだ?」

「……聖王国としては、この機に魔族を殲滅すべきという意見が多数を占めています」

「っ……」

 思わず唇を噛んでしまう。

 人間が魔族の脅威にさらされてから1年も経っていないのだ。

 敵対心が色あせるにはあまりにも短すぎる。

 平和路線を目指すには、2つの種族は血を流しすぎたのだ。

「それでは、どうするのだ? 我を通すか? 民意に従うのか?」

「聖女として。王女として。民の意思を蔑ろにはできないと考えています」

 苦々しげにノアがそう漏らした。

 彼女は救世の象徴たる聖女。

 彼女は聖王国の君主たる女王。

 おいそれと我を貫ける立場ではないのだ。

 自分に求められた役割を放棄できるほど、彼女は奔放になれない。

「それでは戦争というわけだな」

「ですが、そうなれば多数の命が失われることになる」

 ノアの言葉はまぎれもない真実。

 少なくとも、前回の――ノアが魔王リュートと雌雄を決した戦いはそうだった。

「だから妥協点を模索したいのです」

「なかなかに難しいことを言う」

 嘆息するリュート。

 しかしそこにノアへの嘲りの色はない。

 ただただ純粋に事実を羅列してゆく。

「今、戦争の火種となっているのは、人間が魔族へと持つ忌避感。それは魔族を悪と定義した聖王国の教えによるものであり、価値観。つまるところ感情だ」

 価値観。あるいは宗教観。

「資源や利権に根差した戦争には譲歩の余地がある。だが、感情に起因した争いを止めることは難しいぞ?」

 それらはときに合理性を無視してしまう。

 実利ではなく感情が動機になったとき、人は驚くほどの愚行に手を染めてしまうものだ。

 それほどに私たちは心に振り回される生物なのだ。

 人間側にも被害が出るから。

 そんな事実だけでは制止できないほどに。

「ええ。分かっています」

 それはノアも承知していること。

 彼女だって人の愚かさや醜さに触れて生きてきたのだから。

「であれば、どこに妥協点を置く?」

 痛み分けでは民意を得られない。

 理不尽な要求を通そうとすればこの話し合いが破綻する。

 これらのバランスを上手く保つ提案はあるのか。

 リュートは続きを促した。

「このままでは、私たち聖王国は魔族に戦争をしかけることになるでしょう」

 魔王を討伐したことで、あとは魔族の残党を狩るだけ。

 そう思っていたところで魔王生存の情報が入った。

 きっと聖王国の人々は、恐怖を別の何かに転嫁するように攻撃的になってしまっている。

 実は魔王が生きていて、ようやく手にした平和が崩れてしまうなんて嫌だと。

 さっさと魔族という不安を視界から消し去りたいと。

「それを避けるには、相応の事実をもって国民を納得させる必要がある」

 そんな人々を止めるには生半可な戦果では足りない。

 だとしたら、

「魔王リュート」


「貴方の首で、他の魔族の命は保証します」


 ――ノアの言葉に、時が止まった。

「ふざけッ……!」

 凍った空気を溶かしたのはアンネローゼの激情。

 彼女の体から魔力が噴き上がる。

 憤怒に突き動かされるまま、アンネローゼの手から氷柱が伸びる。

 その射線の先にいるのはノア。

「ッ!」

 そんな急展開に動いたのはアレンだった。

 彼は王子でありながら剣の達人。

 設定としてしか知らなかったそれを、彼は瞬速の抜刀によって証明する。

 氷柱と斬撃。

 その2つが――


「やめろ」

「やめてください」


 ほぼ同時にリュートとノアの制止が響いた。

「「ッ……!」」

 互いの最愛の人物から告げられた命令。

 2人の動きが一瞬で止まる。

 氷を伸ばしかけたまま。

 あるいは剣を振り抜きかけたまま。

 一時停止ボタンを押したかのように2人は固まっていた。

「アンネローゼ。戻れ」

「……はい」

「アレン。ありがとう。でも――」

「うん。分かっているよ」

 諫められた2人は一歩引き、元の位置へと戻ってゆく。

(今……)

 未然に防がれた攻防。

 だがそこから私は1つの事実を悟っていた。

(2人が止めたからなにも起こらなかったけど、あのままだったら多分……死んでいたのはアンネローゼだった)

 2人が止まったとき。

 アンネローゼの氷はアレンの肩を貫こうとしていた。

 だがアレンの剣は――彼女の喉元に触れていた。

 止められなければ、絶命していたのはアンネローゼだったことだろう。

(王子アレン。聖魔のオラトリオの攻略対象なだけあって、やっぱり強い)

 王家の1人である彼が前線に出てくるかはともかく。

 もし戦争になれば、多くの魔族が彼の剣技の犠牲となることだろう。

「お騒がせいたしました」

「こちらこそ悪かったな」

 ノアとリュートが互いに謝罪を交わす。

 それにより張り詰めていた険悪なムードが少しだけ緩和される。

「それで、オレの首で手打ちにするという話だったか?」

 もっともそれも、ほんの数秒のことだったけれども。

「それは望みすぎというものだろう?」

 王の首を望む。

 たしかにそれは対等に程遠い。

 あまりにも人間側に都合が良すぎる提案だ。

「それくらいのものがなければ、戦争は止められません」

 しかしノアはそう答える。

 仮にこれが、あきらかに人間寄りの提案であったとしても。

 これが国民が納得する最低ラインなのだと。

 ここまでの譲歩を引き出してやっと国民を説得できるのだと。


「貴方が生きているという事実は、それほどに重いのです」

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