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第85話

 張り詰めた空気。

 今にも破裂しそうな緊張感の中、言葉を紡ぎ出したのはノアだった。

「とはいえ、言われてすぐには決められないでしょう」

 彼女はそう切り出す。

「一旦、休憩を入れませんか?」

 それは慈悲か警告か。

 彼女は仕切り直しを提案した。

「そうだな」

 静かに答えるリュート。

 その表情から彼の思考を読み取ることはできなかった。



 どうやら私たちが着地したあの建物はホテルだったらしい。

 それを理解したのは、屋上から下の階へと降りてからのことだった。

 魔族領に隣接している町にあるとは思えない豪華な建物だと思っていたが、実際のところはむしろ逆だったらしい。

 ここは魔族との戦いの最前線だった場所。

 そこに集まるのは騎士だろうと傭兵だろうとかなりの上澄みといえる実力者ばかり。

 実力があれば必然的に金回りも良いし、相応の待遇を求めるようになる。

 だからそういった実力者が滞在する場所には資金が投入されているということなのだろう。

 ――そして、屋上と最上階だけとはいえそんな建物を貸し切りしにしてしまう『聖女』という存在がどれほど大きいのかという話だ。

(戦争を避けるには、リュートの命を引き換えにするしかない)

 とはいえ整備に感動しているような心境ではない。

 私は廊下に敷かれたカーペットの柔らかな感触を靴裏で感じながら歩く。

 特に目的地はない。

 ただ浮足立つままに足が単純作業を続けているだけ。

 事実、何度この廊下を往復したか思い出せない。

(見立てが甘かったのかな……)

 心のどこかで想っていた。

 相手はノア。つまり主人公。

 争いを好まない彼女ならば説得の余地があるのではないかと。

「……なにも言えなかった」

(戦争を避けるため、ノアを説得しないといけないと思っていたのに)

 だが結果はどうだ。

 私はほぼ座っていただけ。

 観客と変わりなかった。

(ただ見ていることしかできなかった)

 口を挟むことができなかった。

 端的に言えば、気圧されていたというわけだ。

「とはいえ、今から1人で行くわけにもいかないし」

 そもそも会わせてもらえないだろう。

 少なくとも私が逆の立場だったら、断固として接触を拒むだろう。

 なにせ私は『災厄の黒魔女』なのだから。

「あ……」

 そんなことを考えていたせいか。

 彼が目の前にいることに気付くのが遅れていた。

(アレン……)

 そこにいたのは赤髪の男性。

 髪色こそ似ているものの、リュートと比べると優男という印象がある人物。

 背丈はあるがその顔立ちは中性的であり、見方によっては美人と評することもできる。

 ノアが負けず劣らずの美人だからよかったものの、並みの女性では気後れして並び立つことなどできないだろう。

「……どうしたんだい?」

 アレンがそう問いかけてくる。

「言っておくけれど、ノアに会わせることはできないよ」

 そう彼は続けるものの、態度に棘はない。

 ただあくまで事実を告げているだけ、といった雰囲気だ。

 なんというか、出会い頭に悪意を向けられることが多いせいで彼の反応が新鮮に思えた。

「ええ。分かっています」

 さすがにこのタイミングでノアに会えないことは分かっている。

 仮に私とノアの間に確執がなかったとしても、こんな状況で密会じみた行動をすることがまずいことは明白だ。

 王であるリュートならともかく、ただの付き添いである私ならばなおさら。

「まだ時間はあるか……」

 何を思ったのか、彼は横目で時計を確認した。

 ノアはリュートに、身の振り方を考える時間として1時間を提示した。

 タイムリミットまであと10分以上残っている。

 たしかに時間があるといえばあるのだが、

「よかったら、少し話をしないかい?」

 それでも彼の提案は想像していないものだった。



 私はアレンに連れられテラスへと出ていた。

 最上階ということもあり地上は遠い。

 これならば地上から私をエレナとは判別できないはず。

 身バレの心配はいらないだろう。

「少し、雰囲気が変わったかい?」

 最初に彼が告げたのはそんな言葉だった。

「前よりも明るくなったような気がするよ」

 それは私がエレナではないからだろう。

 今でも陰鬱な雰囲気は残っている。

 ただ中身が私である以上、オリジナルが持つあの風格を醸すことはないわけで。

 さすがに別人とまでは分からずとも、見る者が見れば違和感を覚えるらしい。

「そうかもしれませんね」

 だって私は、彼女じゃないから。

 とは言えない。

 なので肯定とも否定ともいえない返事をする。

「だとしたら、ノアが無理を通したことにも意味があったということなのかな」

 彼はそう微笑んだ。

 ノアが通した無理。

 それは死罪が妥当だったエレナを国外追放にしたことだろう。

 命あっての物種。

 生きていれば、エレナが変わる日も来るのかもしれない。

 そんな期待からの温情だったのだろう。

 実際はまったくの別人になってしまったというのは皮肉な話だけれど。

「またこうして対峙することになった以上、幸運だったとは言い難いかもしれないけれどね」

 しかも、別人になったくせに魔族側で敵として現れるというのだからジョークとしても質が悪い。

 向こうからすると、ノアの温情を思いきり足蹴にしたようなものだ。

 ……なのだが、

(思っていたよりも……優しい?)

 正直なところ、アレンの態度には疑問が尽きなかった。

 原作シナリオにおいて、彼も他のキャラの例に漏れずエレナを嫌っていた。

 ……というより、嫌われて当然の悪行をエレナが繰り返していたと言うべきか。

 だが、今のアレンの対応から嫌悪感を見て取れない。

 原作で、彼がエレナにしていた態度とは似ても似つかないのだ。

(私がエレナじゃないことに気付いている感じではないけど……)

 さすがに私がエレナでないことに気付ける人間がそうそういるとは思えない。

 だが彼の態度が気にかかる。

 妙に優しいというか。

 かなりフラットな視点で私を見ているというか。

「少し意外でした。いきなり殴られるくらいは覚悟していたので」

 冗談抜きで、原作のエレナはそれくらいのことをしでかしている。

 ロイにはずいぶんと悪感情を向けられたが、むしろあれが普通の対応だと思えるくらいに。

「さすがにそんなことはしないよ」

 しかし彼はそう笑う。


「まあ勘違いがないように言っておくと、僕は君のことを許せない」


 彼は釘を刺した。

 優しい笑み。それでも真剣な目で。

「ただ、ノアは君にチャンスを与えた」

 彼は私から視線を外し、眼前に広がる街並みを一望した。

「なら君が道を踏み外さない限り、彼女の選択を尊重するというだけさ」

「……なるほど」

 懐が深いと言うべきか。

 たとえ過去の罪を水に流すことは叶わなくとも。

 過去の罪を持ち出して、今の私の行動を悪し様に解釈することはしない。

 あくまで過去は過去、今は今という視点で評価するというわけだ。

 それはきっと、誰にでもできる考え方ではない。

 だからだろうか。


「1つ、聞いても良いですか?」


 彼の優しさに甘えるように、私は1つの問いを口にした。

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