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第86話

「聞きたいこと?」

 私の問いかけにアレンは首をかしげる。

「構わないよ」

 とりあえず聞いてから判断しようと思ったのか。

 彼は続きを促してくる。

 だからあえて私は単刀直入に切り出した。


「――魔族は悪ですか?」


 はたして魔族の殲滅には正当たる理由があるのか。

 そんな質問。

 もちろん私も身内びいきな感情論だけでこんなことを聞いているわけではない。

 はたして魔族が悪であるのか。

 私がそう口にしたことの根拠。

 それは――


「最初に魔族を殺し始めたのは、人間ですよね?」


 はるか昔に葬り去られた起源の歴史。

 人間と魔族。

 その2つの種族が争うまでに至った経緯だ。

「なぜそれを……」

 アレンの表情に動揺が浮かぶ。

 それは、彼にとって初耳の事実だったからではない。

 私が口にしたこの歴史は、聖魔のオラトリオのシナリオ内で語られていたことだから。

(魔族と人間。その争いの先陣を切ったのは人間側。それは聖王国では秘匿されている歴史の闇なのよね)

 同時に、主人公であるノアと攻略対象である3人しか人間側で知る者はいない事実なのだが。

 少なくともエレナが知っているはずの情報ではない。

「魔素で狂暴化した動物がモンスターとなり人間を襲う。そして人間は諸悪の根源として、魔素をまき散らす魔族を襲った」

 魔族は生きているだけで魔素と呼ばれる毒素を振りまいてしまう。

 草木が、動物が。

 魔素に毒され変異し、モンスターへと変貌してしまう。

 そうして生まれたモンスターが人間を襲ったとき、人はその原因として魔族を標的にした。

「魔族はただ生きていただけなのに」

 好きでモンスターを作ったわけではない。

 魔素に動植物を異形へと変える性質があっただけ。

 モンスターを人間にけしかけたわけでもない。

 魔族にモンスターを操るような能力は備わっていない。

 ただ生きているだけで、世界を穢してしまうのだ。

 だが、モンスターに襲われた人間はその責任の所在を魔族に求めた。

「そうして人間に襲われた魔族が報復をして、終わらない争いが始まった」

 狙われたのなら当然自衛もするに悪感情も抱く。

 そうして魔族が人間に報復すれば、終わらない争いの連鎖の始まりだ。

「魔族は、悪なんですか?」

 先に魔族へと殴りかかったのは人間。魔族は殴り返しただけ。

 なのに最初に手を出したのが自分たちであったという事実を忘れ、相手を悪と定義することは許されてしかるべきことなのか。

「……君は魔王の婚約者候補だったね。そういった知識も手に入るわけか」

 アレンは大きく息を吐いた。

 たとえ聖王国が人間に向けた情報を規制したとしても。

 魔族側への情報統制ができるはずもない。

 魔族領で暮らしている私がこの事実を知っていたとしても、一応の説明がついてしまうのだ。

 実際はいわゆる原作知識というやつなのだが。

「魔族が悪であるかは分からない。だが、僕たち人間にとって害だ」

 彼はそう答えた。

 あえて善悪という基準を使わずに。

 もし彼を言い負かすことが目的であるのなら、それを論点ずらしだと指摘すればいい。

 だがそれで何かが変わるわけではない。

 ――結局のところ、人間と魔族は長く争いすぎたのだ。

 最初にどちらが悪かったかなんて、もはや論じても意味がないほどに。

「人間が平穏に暮らしていくうえで、魔族の存在は無視できないリスクになる」

 経緯がどうであれ、今の魔族と戦わない理由にはならない。

 そんな論法が成り立つ程度には。

「だから、戦争で魔族を滅ぼすんですか?」

 でも納得できるわけがない。

 たとえそれが感情論だとしても。

 ただの『悪』として魔族が殲滅されていくという未来は理不尽だ。

 そう思わずにはいられない。

「……もしかすると、それは僕たちのせいでもあるのかもしれないね」

 ぽつりとアレンが漏らした言葉。

「ノアと共に戦い、僕たちは魔王を倒し――人間に希望を見せすぎた」

 彼はそう語る。

 少しだけ悲しげに。

「だから人々は、この世代ですべてを終わらせなければならないと思っている。今、魔王に勝つことができた僕たちが生きている時代に」

 彼は目を伏せた。

「人間は老いる。僕もノアも、いずれ衰えていく。人々は、そんな未来に魔族が残っていることが怖いんだ」

 魔族は人間よりも長い寿命を持つ。

 魔族は人間よりも魔術の扱いに長けている。

「僕たちが死に、魔族が生きている時代に――はたして人間の居場所はあるのか、と」

 だから人間は思うのだ。

 今しかないのではないか。

 今のうちに滅ぼしておかなければ、滅ぶのは人間なのではないかと。

 今なら勝てるのではないかと。

 そう思ってしまうのだと彼は語る。

「だから僕たちがいるこの時代に、魔族を滅ぼして欲しいと願っている」

「そんなの……!」

 勝手な理屈ではないか。

「人間の未来のために、魔族に死ねっていうんですか……!?」

「今の魔族のために、未来の人間に死ねというのかい?」

「…………」

 私はその言葉に何も返せなかった。

 結局は平行線なのだ。

 どちらかの意見があからさまに間違っているわけではないから。

(分かっている)

 結局は簡単な話なのだ。

(私が納得できないのは、私が魔族に肩入れしてしまっているから)

 どちらかが正しいかではない。

 どちらに肩入れをしているのか。

 どちらに都合良く物事を解釈しているのか。

 それだけの違い。

 そして、だからこそ2つの意見は交わらない。

(もしも私がただの一般人としてこの世界に生まれていたとしたら)

 たとえば私が魔族領で暮らさず、1人の市民として聖王国に生まれていたのなら。

(きっと願ってしまう)

 おそらく私の視点は人間側に立ったものであり、疑問に思うことはないのだろう。

(魔族がいない『平和な世界』を)

 ――魔族が本当に悪であるのかなんて思いはしないのだろう。

 彼らが生きていない世界が、平和な世界だと思ってしまうだろう。

 それこそ悪であるかなんて関係はないのだと。

 彼らは今の私たちにとって害のある存在なのだから、怖い。

 そう思ってしまうはずだ。

「まさか君と、命の尊さを語らう日が来るなんて思わなかったな」

 これ以上は話しても意味がないと思ったのか。

 アレンはふっと笑う。

 たしかにそうだ。

 他人も、部下も。自分の命さえもノアへの嫌がらせに使う道具としてしか考えていなかったのがエレナ=イヴリスという少女だ。

 そんな人間と命の尊さを語るなんて夢にも思わなかっただろう。

 実際、エレナがそういう話題に関心があるとは思えない。

「――そろそろ時間だ」

 そんなことを話していたせいで思っていたよりも時間が経っていたのか。

 すでに約束の時まで5分を切っていた。

「戻ろうか」

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