再び、私たちはホテルの屋上を訪れていた。
ずっとそこで待っていたのだろうか。
すでにそこにはノアが座って待っていた。
「考える時間は充分でしたか?」
ノアの視線の先では、リュートが足を組んで座っている。
彼の表情には変わらず悠然とした微笑が浮かんでいた。
「考えるまでもない話だったがな」
「それでは答えを聞かせてください」
「無論、断る」
即答だった。
もし仮に、あそこで考えられる時間を与えられていなかったとしても。
それでも同じように答えたのだろう。
そう思えるほどに迷いのない即答だった。
「戦争を避けるためとはいえ、オレの首は差し出せんな」
「また、戦うのですか?」
「恐ろしいか?」
彼はノアにそう問いかけた。
あえて挑発的な意図が込められた問い。
しかしノアの表情に苛立ちや怒りの感情は見えない。
「いえ。戦えば、必ず私たちが勝ちます」
そう答えるノア。
堂々と。
その表情に虚勢は見えない。
あくまで事実を口にしているだけ。
そう言わんばかりに彼女はまっすぐリュートを見つめている。
「なかなかの自信だな。それともただの決意表明か?」
「事実です」
「だって貴方は以前より弱くなっているんですから」
「っ」
ノアが告げた言葉。
それに思わず反応してしまいそうになり、慌てて表情を取り繕う。
なにせ彼女が口にしたのは、絶対に露見してはいけない事実だったから。
動揺をさらして相手に確信させるようなことがあってはならない。
「私が聖女だからなのでしょうか。気配で、貴方が弱っていることが分かるんです」
世界を浄化する存在。
唯一魔族を討ち得る救世主。
そんな聖女だからなのか。
彼女はリュートの身に起きている異常を見抜いていた。
動揺を誘うためのハッタリにしては踏み込みすぎている。
ここまで言う以上、ノアの中でほぼ確信できているということだろう。
「だから、戦えば私たちが勝ちます」
4人がかりとはいえ、ノアたちは全盛期のリュートを一度倒している。
しかも今度は、魂の分割によってリュートが弱体化している。
ノアとの一騎打ちであっても敗北する可能性は十分に考えられる。
「それでも戦争を始めるのですか?」
両陣営の最大戦力を比べたとき、人類に分がある。
その事実が露見していたとしても強気な姿勢を保てるのか。
ノアの問いはそういう意味だろう。
(リュートが弱っていることがバレてる……!)
なんとか平静を装っている。
だが私の脳内は荒れ狂っていた。
(人間が魔族と戦争をする上で、もっとも恐ろしいのは魔王)
魔王には人間が束になっても叶わない。
聖女ノアでも勝てるかは分からない。
仮に勝てたとしても甚大な被害を受けてしまう。
そう思わせられるから、人間側を牽制できる可能性があった。
言ってしまえばハッタリだ。
魔王リュートという強力なカードを前面に出すことで手を出せない状況を作る。
――そのカードが本来の効力を発揮しないと知っているのは私たちだけだから。
(彼が倒せなければ逆に人間が滅ぼされるという前提があるから、譲歩を引き出せる可能性があったのに)
勝っても負けても大打撃を受ける。
そんな事実を盾に、どうにか戦争を起こさないほうへと話を誘導してゆく。
それだけが勝ち筋だったはずなのに。
(でもリュートが弱っていて、ノアなら充分に倒せると判断されたら)
戦えばほぼ勝てると相手に思わせてしまったら。
……交渉の余地はない。
人間側にとって、この戦争はほぼ確実に勝てる戦いなのだから。
魔族の側から何かを要求することは難しいのだ。
どんな譲歩にも意味はない。
手に入れたいものは、戦って奪えばいいのだから。
(これじゃあノアを説得するなんて無理だ……)
交渉は対等な間柄でしか成立しない。
力関係に上下があるとバレてしまえば、そこには明確な立場の優劣が生まれてしまう。
「状況は理解できましたか」
これまでのノアの言葉はすべて慈悲だったのだ。
戦えば自分が勝つと理解した上で。
それでも魔族が滅ばない道を提示しただけ。
「これは私たちが妥協点を探す話し合いの場ではありません」
妥協点なんてものは対等な力関係があって初めて模索するもの。
一方が明らかに優位な場合、不利な側はロクに抵抗できはしない。
生存のための道を、言い値で買うしかないのだ。
「貴方たち魔族が滅ぶかどうかを決める話し合いです」
リュートの首だけでなんとか魔族が存続するか。
それとも魔王ともども魔族全体が滅びるか。
最初からノアたちはその2つの選択肢しか用意していない。
「改めて聞きます」
「魔族の存続のため――貴方は命を差し出しますか?」