ノアは再びリュートへと問いを突きつけた。
彼の弱体化という、魔族にとってもっとも隠すべきことだった秘密を暴いた上で。
――いや、これもまた彼女の慈悲なのだろうか。
彼女の立場から考えれば、リュートの弱体化に気付いていないフリをすることもできた。
そのまま戦争へと踏み込み、勝ちを手にすることもできたはず。
それでもあえて彼女は口を開いた。
ハッタリは通じないのだと。
すべてを見抜いた上で選択を迫っているのだと。
あえて隠すことなく、再び選択の機会を与えるという慈悲をかけた。
「答えか」
深く息を吐くリュート。
一度、彼は目を閉じる。
リュートは以前の戦いの時と比べて半分ほどの力しか残っていない。
半面、多少のブランクがあるとはいえノアたちの実力は全盛期のまま。
ここからは始める戦争はあまりに不利だ。
それらを踏まえた上で彼は、
「何度問いかけようとも、オレの選択は変わらない」
そう断言した。
すべての要素を加味した上で、彼は退かなかった。
「オレの命は差し出せん」
「もし貴方が死ねば、私たちがこれ幸いに残党狩りを始めると思われているのですか?」
悲しげにノアは尋ねる。
人間にとって魔王という壁は大きい。
たとえ弱体化していても、他の魔族よりはるかに強いのだから。
だからこの交渉でリュートを排除し、その後は交渉の結果なんて無視して残った魔族をだまし討ちのように駆逐する。
たしかにそういう考え方をする人間もいるだろう。
「いや。きっとお前は必死に民を説得するのだろうな。それを疑いはしない」
しかしリュートは首を横に振る。
ノアはそんな非道を行わないだろうと。
仮にそういった考えの者がいたとして、彼女は取引を受けた者の責任として約束をまっとうするだろうと。
それは敵同士であったとしても命を懸けあった者同士だからこその信頼関係。
「簡単な話だ」
彼は笑う。
「魔族の王として、人間に許しを乞うために首を捧げたという歴史を残すわけにはいかんということだ」
王の矜持、なのだろうか。
ここで許しを乞えば、魔族は人間と対等の格を保てない。
そんな歴史的な汚点を残せない。ということか。
――もっとも、ここでリュートが首を差し出したとしたら、その時点で魔族は滅亡するまで人間を襲い続けるだろうけれど。
魔王リュートという存在が、魔族にとってどれほど大きな存在であったのかを思えば想像に難くない。
「アンネローゼ」
リュートは静かに問う。
「オレに命運を預けられるか?」
「当然ですわ」
即答。
逡巡など一瞬もない返答だった。
それはきっと彼女にとって当然のことだから。
どんな状況であったとしても命を捧げる覚悟を固めているのだと。
そう思い知らされる。
「魔王様のためとあれば、死して血肉を失ったとしても戦い抜きましょう」
「というわけだ」
リュートはノアに微笑を向けた。
説得は無駄なのだと。
その慈悲を受け取るつもりはない。
彼はそう示した。
「……気持ちは変わらないのですか?」
最後通牒。
ノアは真剣なまなざしを向けている。
「その選択で、魔族が滅んでも構わないのですか?」
本当に心から彼女は戦いを好まないのだろう。
無益な殺生を好まない性格。
それは相手が魔族であったとしても変わらないのだ。
魔族を浄化する存在である聖女が、他の誰よりも対等に――同じ命の重さを持つ存在として魔族を認識している。
皮肉な話だ。
「構うとも。ゆえに滅ぼさせん」
しかし妥協点を模索する余地はもはやない。
リュートの覚悟は決まっているのだから。
「……弱った貴方にそれが可能だと思うのですか?」
「埒が明かんな」
そう口にすると、リュートは席を立つ。
彼に追従するようにアンネローゼも立ち上がった。
……話し合いの行く末は破談というわけか。
私も彼らにならって席を離れた。
「ノア=アリア。オレの宿命の聖女よ」
リュートは語りかける。
「お前の不要な死を避けたいという意思は理解した。だが、話し合いで解決しないのなら仕方がないだろう」
彼は大仰に両手を広げる。
他を圧倒する存在感を相まって、まるで演劇の一幕を見ているかのようだ。
「お前たちも、この話し合いが平行線で終わると理解していたはずだ」
「…………」
ノアは目を伏せる。
世界の命運をかけて戦った2人。
リュートが彼女の在り方を深く理解しているように、彼女も彼の考えなど予見していたはず。
リュートが一切意見を曲げなかったように、きっと彼女もこの会談が無駄になることを理解していたのだろう。
それでも最後に話し合わずにはいられなかった。
能力以上に、その心意気が聖女であるがゆえに。
「その慈悲深さゆえに宣言できないというのなら、代わりにオレが布告してやろう」
リュートが右手を掲げた。
パチン。
指が鳴る。
「魔王リュートの名のもと、我々魔族は人類へと戦争を起こす」
その宣言が、すべての始まりだった。
「きゃっ……!」
轟音。そして地面が揺れた。
思わず私は両手で頭を守りながら身を低くした。
――爆撃だ。
離れた場所からいくつもの魔術による攻撃が行われたのだ。
「これは……!」
「爆撃だと……!?」
爆撃で巻き上がる石の破片。
アレンとロイは礫の雨からノアを守りつつ、リュートを睨みつけた。
「これは……」
「ちょうどいい猶予があったからな。部下に準備をさせていただけだ」
リュートがノアに笑いかけた。
強気に、不敵に。
王として、敵対者として笑う。
最後の選択のためにノアが与えた時間。
そこで彼は部下に命令を出していたのだ。
――私はどうノアを説得するのかに頭を悩ませていて気付いていなかったけれど。
「行くぞ」
リュートに肩を抱かれた。
「…………魔王様?」
私の口から漏れた声は、想像よりもか細かった。
声に滲んだ不安感。
それを汲み取ったのか、彼は優しく微笑んだ。
しかしそれも少しの間のこと。
彼は両翼を広げて飛翔する。
「地獄の幕開けにふさわしい光景だな」
高らかに彼は宣言した。
魔の王と名乗るにふさわしい威光を振りかざして。
「魔族と人間。愛すべき同胞の存亡をかけ、あの日の決着をつけようではないか」
――戦いはもう、避けられない。