不意打ちで行われた爆撃。
パニックに陥る街を、私はリュートに抱かれたまま見下ろしていた。
「…………」
燃える建物。
空を舞う火の粉。
湧き上がる叫び声。
そのすべてに現実感が湧いてこない。
(本当に始まってしまうのね)
ここで戦うことより人命救助を優先したのだろう。
ノアたちはリュートを追ってはこなかった。
彼女たちはパニックに陥っている人々に指示を飛ばしている。
(――戦争が)
元の世界では海の向こうの遠い出来事だった惨劇。
それが始まる瞬間を目の当たりにした。
その中心ともいえる場所に私はいた。
「帰るぞ」
「はい」
「……はい」
町に背を向けるリュート。
頭の中がふわふわとしている。
激しく押し寄せてくる衝撃の波を処理しきれていないのだろう。
「……魔王様」
そうやって処理しきれなかった感情が口から漏れる。
「どうした?」
――これからどうなるのか。
そう問いかけそうになるが、言葉を飲み込む。
そんなことを聞いても意味がない。
もうそんなことを論じるような状況にはないのだから。
起こるのは惨劇。
聞くまでもなく、そう決定づけられているのだから。
「……勝てますか?」
だから尋ねた。
共に過ごしてきた人たちを喪わずに済むのかを。
それもきっと無駄な問いかけなのだろうけれど。
「なにがあろうと勝たねばならん」
彼は真剣な面持ちでそう言った。
勝算の有無ではない。
仮に勝算がなくとも、作らなければならない。
これはそういう類の話しなのだ。
「そのためにも、これから忙しくなる」
「……そうですね」
リュートは空にワープゲートを開く。
燃える町を背にして。
ここは魔族領と隣接している町。
人間にとって攻勢の要所となる場所。
だから手始めに狙ったのだろう。
理屈は分かる。
しかし呑み込み切れない。
もう後戻りできないところまで事態が進んだと理解してしまうのが恐ろしい。
――ここからの記憶がしばらく途切れている。
きっと目は周囲の景色を見てはしていたのだろう。
だがそれを認識するだけの余裕がなかったということだ。
私が現実に戻ってきたのは、ワープゲートを抜けて周囲が明るくなってからだった。
「……ありがとうございます」
そういえばここまで彼に抱えられていたのか。
地面に下ろされてからようやく思い出す。
……ゆっくりと下ろしてもらったものの、少しだけふらついた。
それは疲労のせいではないのだろう。
眩暈がする。
足元から伝わってくる感覚が希薄だ。
想像以上に自分はまいってしまっているらしい。
「魔王様!」
魔族たちが殺到してくる。
「戦争が始まるのですね……!」
戦争。
彼らはそう口にした。
リュートが爆撃の指示を出した際に、おおよその事情は伝わっているのだろう。
――なのに、彼らの表情に憂いはない。
むしろ戦意に満ちている。
(思い違いをしていたのね)
その表情を見て思い至った。
私は思っていたのだ。
彼らはもっと悲痛な顔をするのだと。
決死の覚悟を決めた表情をするのだと。
不利な戦いに赴くということは、そういうものだと思っていたから。
思い込んでいたから。
(私はきっと、魔族と人間の間にある壁を甘く見すぎていたんだ)
……まさか、喜色をにじませた表情をするなんて思っていなかったのだ。
人間が魔族を憎むように。
魔族も不満を抱いていたのだ。
望んでいたのだ。
人間との戦いを。
私が想像していたほど、この戦争は『望まぬ戦い』ではなかったのだ。
「魔王様!」
「――ご命令を」
そう急かす魔族たち。
その声色には興奮が見える。
半年前、魔族は魔王リュートの敗北という形で敗戦した。
その屈辱を、この戦いで払拭しようとしているのだろうか。
「至急、上位魔族全員を招集しろ。派閥に関係なく、だ」
彼らの期待に応えるように、リュートは堂々を宣言する。
王の号令を下す。
「此度の戦争は魔族と人類。その総力を賭したものとなる。派閥などというくだらないものを持ち込むことは許さん」
「「「はっ!」」」
散開していく魔族たち。
――置いていかれる。
体以上に心が。
すでに彼らは戦争に向けて動き出していた。
その動きに、心が追いつかない。
「エレナ」
戸惑いのまま立ち尽くしている私へとリュートが声をかけてきた。
「明日の朝、リリを連れてオレの執務室に来てくれ」
そう告げて立ち去るリュート。
しばらくの間、私は庭園に立ち止まっていた。
☆
当然といえば当然のことだが、私は戦力に数えられていない。
個人としての戦力は言わずもがな。
魔族が持つ武器や兵士についての知識はない。
加え、聖王国の軍部についても何も知らないのだ。
出来ることは皆無ともいえるお荷物である。
そんな私の役割といえば、せいぜい邪魔にならないよう私室に引きこもることくらいで。
私は止まらない動悸を沈めるようにベッドに飛び込んで一日をすごしていた。
「ふわぁ……」
もっとも、役立つどころか自分自身のケアもできずに一夜を明かしたわけだけれど。
「眠れなかったんですか?」
隣でリリが心配そうに尋ねてくる。
「ええ……まあ」
隠すだけ無駄だろうと肯定する。
元々濃かった目元の隈が今日は化粧で誤魔化しきれないほど色濃い。
誰が見ても眠れなかったことはあきらかだった。
リリが手伝ってくれなかったら、きっと寝ぐせを治せてもいなかったことだろう。
なんというか自分で自分が情けない。
私が戦いの準備に走り回ったわけでもないのに人一倍やつれてしまっているというのは。
「こんな状況だとちょっとね……」
あえて言い訳が許されるのなら。
日本で生きてきた私としては、戦争の当事者になるということがそれほどまでに重大な出来事だったのだ。
……それも、かなり分の悪い戦いとなればなおさら。
勝っても負けても大切に思っていたものが壊れてしまう。
そんな戦いを前にして平常心を保てるほど心が強くはないのだ。
「そうですね」
いつもなら太陽のように見るものを明るくするリリの微笑み。
そこにも隠しきれない影が差している。
彼女は好戦的という言葉とは対極にいるような少女だ。
魔族に迫害されても、誰かに害意を持たなかったように。
彼女も敵として人間へと戦意を抱くことは難しいのだろう。
一緒に過ごしてきた魔族たちを喪うかもしれない状況であればなおさら。
「魔王様のお話が終わったら、安眠効果のあるハーブティーを煎れますね」
本来なら、自分のことで手いっぱいになるであろう状況。
それでも彼女は私にそう微笑みかけた。
「ありがとうリリ」
こんな状況で私に出来ること。
それは少しでも平気であるように装うことだけなわけで。
なんとかいつも通りを演じてそう応えた。
(どうして私たちを呼んだのかしら……?)
少しだけ気持ちが落ち着いて。
そうなると次に疑問が湧いてくる。
今は人間との戦争を控えた、いわば一秒さえも惜しい時期のはず。
こんなタイミングで私に何を求めるというのか。
(リリはともかく、この状況で私にできることって何もないような気がするんだけど……)
リリは聖女だ。
魔族への特効を度外視しても並外れた力を持つ。
治療要因としても、魔術戦の要としても。
戦争における価値は高い。
彼女を呼び出すというのは分かるのだ。
ただ、悲しいほどに私の利用価値が見えない。
(って、そんなことを考えていても仕方がないわよね)
ともあれ実際に聞いてしまえば分かる話だ。
勝手に悩んでいる暇があるのなら、手早く用事を済ませてしまうべきだろう。
そう判断し、私は執務室へと続く扉をノックする。
「入れ」
「失礼します」
「し、失礼しますっ……」
なんとなくの予感だろうか。
部屋に入る足は重かった。
とはいえそんな理由で彼の時間を奪うわけにもいかない。
私は執務室で待っていたリュートと対峙する。
「えっと……」
きっと私が感じているような予感をリリも感じていたのだろう。
いつになく彼女は不安げで、落ち着かない様子で立っている。
「悪いが、あまり時間に余裕がないものでな」
――単刀直入に言わせてもらう。
「エレナ=イヴリス。リリ=コーラス」
名前を呼ばれる。
それだけの何回も繰り返してきたはずのことに肩が揺れた。
ああ、そうだ。
どんどん膨らんでいるのだ。嫌な予感が。
いや、予感ではないのか。
予感ではなく想像だ。
私が知るリュートなら、この状況でどういう判断を下すのかを想像して、嫌な汗がにじんでいるのだ。
「お前たちを、この領から追放する」
きっと彼なら、私たちをここから逃がそうとする。
そう思って身が震えていたのだ。