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7-2: Unfinished Victory (未完の勝利)

――矢神臣永は戻ってこない。

龍崎司令がそう告げた瞬間、私――早乙女美月は全身を冷たい水に浸されたような感覚に襲われた。

それでも表情は崩せない。

指揮官のひとりとして、この場で感情を漏らすことは許されない。

私はデータが並ぶスクリーンに視線を落としながら、静かに息を吐いた。


矢神は、私にとってただの戦士ではなかった。 彼は希望だった。

彼がいるだけで、ここにいる子どもたちがどれだけ安心して戦場に立てたか。

彼は、自分の背中でそれを示してきた。


そして、私にとって――


違う。考えるな、早乙女美月。 指揮官は、決して心を乱されてはいけない。

スクリーンに映る戦況データを睨みつけながら、自分に言い聞かせる。


「彼が戻らない以上、士気は大幅に低下する」

幹部の一人が口を開いた。

その言葉に、私は反射的に視線を上げる。

それは間違いない。

矢神を失ったこの現実は、子どもたちにとってどれほど残酷なものか――私は痛いほど理解していた。

でも、だからといって立ち止まるわけにはいかない。

「次の議題に移る」 龍崎司令の声が響く。

「結城翔の処遇について話し合う必要がある」

会議室の空気がさらに冷たくなった気がした。

テーブルに映し出された結城翔のデータ――今も昏睡状態にある少年の映像が私の目に映る。

そして、特級神徒に体を奪われた事実が、彼の名前の横に赤字で記されていた。

「リスクが高すぎる」 幹部の一人が声を荒げた。

「彼を放置しておけば、再び特級神徒が暴れる可能性がある。今ここで排除すべきだ」

私はその言葉に、無意識に拳を握りしめた。


だが、その前に郭亮が口を開いた。


「私は逆だと思う」 郭は冷静な口調で言う。

「結城翔は、この戦いの行く末を変える鍵になる」

その言葉に、幹部たちがざわめいた。

「彼の中に宿る特級神徒の力は、我々が敵を知る手がかりになる。敵を知ることができれば、次の一手が見えてくる」

郭の言葉は静かだが、説得力があった。

その冷静な分析に、多くの者が頷きかけている。

「だが、失敗すれば――」

「失敗を考えてはすべての突破口が地獄への入口になる」 龍崎司令が、低い声でそれを遮った。

「日本支部が責任をもって彼を預かる。我々が責任を果たさなければ、この戦争に未来はない」

私はその言葉に心の中で息をついた。

司令がそう言ってくれることを、密かに期待していた。

「では、議論はここまでだ」 龍崎の言葉に、会議は閉じられた。

会議室を出るとき、私は再びスクリーンに映る結城翔の顔を見た。

――矢神がいないいま、彼を守れるのは私たちしかいない。

そして、その責任を負う覚悟を、自分に刻み込んだ。


――ANAT日本支部。プレイヤー待機室。


一歩を歩くたびに、施設全体の冷たさが肌に突き刺さるようだった。 

セキュリティに学生証をタッチすると、『灰島賢』の名が浮かび上がる。

この拠点にはもう何度も来たことがある。

だが、今日ほど息苦しさを覚えたことはなかった。

「矢神さんが戻らないらしいぞ」 すれ違ったプレイヤーたちが囁く。

「本当かよ。あの人がいないとか……どうすんだよ、これから」

その言葉が耳に入るたび、胸が重くなった。

矢神臣永――あの人がどれほど大きな存在だったか、改めて思い知らされる。

俺は無意識に手を握りしめながら、足を進めた。

このまま寮の部屋に戻る気にもなれない。

そんなとき、不意に声が聞こえた。

「なんで……なんでなんだよ!」

その言葉に足を止め、声の方に向かうと、アクセスルームでふたりの男が泣き崩れていた。


ひとりは金髪で大柄な少年。もうひとりは、冷静そうな顔立ちの少年だ。


大柄なほうが、クレイドルに拳を叩きつけながら叫ぶ。

「なんで、翔がこんなことに……! 俺たち、何もできなかった!」

冷静そうに見えたもうひとりも、黙ったまま肩を震わせている。

俺はその光景を遠巻きに見つめることしかできなかった。 ふたりが誰なのかも分からない。だが、その痛みは伝わってくる。

矢神さんも、結城翔も、葉奈も――どれだけの人を奪えば、この戦いは終わるんだ?


俺は再び歩き出した。 この施設の冷たい空気が、いつも以上に息苦しく感じた。

その夜、寮の自室でベッドに横たわったが、眠ることはできなかった。

頭の中には、暗い予感だけがよぎる

「どうすればよかったんだ……」

自問自答を繰り返しながら、いつの間にか夜明けを迎えていた。

俺は眠れないまま、寮を抜け出して外を歩き始めた。

寮の外には、広々としたコンクリートの広場が広がっていた。

電灯が冷たい光を放ち、その奥には整然とした人工庭園がある。

空気はひんやりとしていて、吐く息が白く染まる。

「ちょっと、そこの」

背後から聞き慣れない声がした。

振り返ると、そこにはMA-1ジャケットを羽織った少女が――雷燦華が立っていた。

「あんた、日本支部のやつでしょ? ちょっと付き合いなさい」

ジャケットの裾と、彼女の真っ赤な髪の毛が軽く風に揺れ、彼女の鋭い視線が俺を射抜く。

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