――矢神臣永は戻ってこない。
龍崎司令がそう告げた瞬間、私――早乙女美月は全身を冷たい水に浸されたような感覚に襲われた。
それでも表情は崩せない。
指揮官のひとりとして、この場で感情を漏らすことは許されない。
私はデータが並ぶスクリーンに視線を落としながら、静かに息を吐いた。
矢神は、私にとってただの戦士ではなかった。 彼は希望だった。
彼がいるだけで、ここにいる子どもたちがどれだけ安心して戦場に立てたか。
彼は、自分の背中でそれを示してきた。
そして、私にとって――
違う。考えるな、早乙女美月。 指揮官は、決して心を乱されてはいけない。
スクリーンに映る戦況データを睨みつけながら、自分に言い聞かせる。
「彼が戻らない以上、士気は大幅に低下する」
幹部の一人が口を開いた。
その言葉に、私は反射的に視線を上げる。
それは間違いない。
矢神を失ったこの現実は、子どもたちにとってどれほど残酷なものか――私は痛いほど理解していた。
でも、だからといって立ち止まるわけにはいかない。
「次の議題に移る」 龍崎司令の声が響く。
「結城翔の処遇について話し合う必要がある」
会議室の空気がさらに冷たくなった気がした。
テーブルに映し出された結城翔のデータ――今も昏睡状態にある少年の映像が私の目に映る。
そして、特級神徒に体を奪われた事実が、彼の名前の横に赤字で記されていた。
「リスクが高すぎる」 幹部の一人が声を荒げた。
「彼を放置しておけば、再び特級神徒が暴れる可能性がある。今ここで排除すべきだ」
私はその言葉に、無意識に拳を握りしめた。
だが、その前に郭亮が口を開いた。
「私は逆だと思う」 郭は冷静な口調で言う。
「結城翔は、この戦いの行く末を変える鍵になる」
その言葉に、幹部たちがざわめいた。
「彼の中に宿る特級神徒の力は、我々が敵を知る手がかりになる。敵を知ることができれば、次の一手が見えてくる」
郭の言葉は静かだが、説得力があった。
その冷静な分析に、多くの者が頷きかけている。
「だが、失敗すれば――」
「失敗を考えてはすべての突破口が地獄への入口になる」 龍崎司令が、低い声でそれを遮った。
「日本支部が責任をもって彼を預かる。我々が責任を果たさなければ、この戦争に未来はない」
私はその言葉に心の中で息をついた。
司令がそう言ってくれることを、密かに期待していた。
「では、議論はここまでだ」 龍崎の言葉に、会議は閉じられた。
会議室を出るとき、私は再びスクリーンに映る結城翔の顔を見た。
――矢神がいないいま、彼を守れるのは私たちしかいない。
そして、その責任を負う覚悟を、自分に刻み込んだ。
――ANAT日本支部。プレイヤー待機室。
一歩を歩くたびに、施設全体の冷たさが肌に突き刺さるようだった。
セキュリティに学生証をタッチすると、『灰島賢』の名が浮かび上がる。
この拠点にはもう何度も来たことがある。
だが、今日ほど息苦しさを覚えたことはなかった。
「矢神さんが戻らないらしいぞ」 すれ違ったプレイヤーたちが囁く。
「本当かよ。あの人がいないとか……どうすんだよ、これから」
その言葉が耳に入るたび、胸が重くなった。
矢神臣永――あの人がどれほど大きな存在だったか、改めて思い知らされる。
俺は無意識に手を握りしめながら、足を進めた。
このまま寮の部屋に戻る気にもなれない。
そんなとき、不意に声が聞こえた。
「なんで……なんでなんだよ!」
その言葉に足を止め、声の方に向かうと、アクセスルームでふたりの男が泣き崩れていた。
ひとりは金髪で大柄な少年。もうひとりは、冷静そうな顔立ちの少年だ。
大柄なほうが、クレイドルに拳を叩きつけながら叫ぶ。
「なんで、翔がこんなことに……! 俺たち、何もできなかった!」
冷静そうに見えたもうひとりも、黙ったまま肩を震わせている。
俺はその光景を遠巻きに見つめることしかできなかった。 ふたりが誰なのかも分からない。だが、その痛みは伝わってくる。
矢神さんも、結城翔も、葉奈も――どれだけの人を奪えば、この戦いは終わるんだ?
俺は再び歩き出した。 この施設の冷たい空気が、いつも以上に息苦しく感じた。
その夜、寮の自室でベッドに横たわったが、眠ることはできなかった。
頭の中には、暗い予感だけがよぎる
「どうすればよかったんだ……」
自問自答を繰り返しながら、いつの間にか夜明けを迎えていた。
俺は眠れないまま、寮を抜け出して外を歩き始めた。
寮の外には、広々としたコンクリートの広場が広がっていた。
電灯が冷たい光を放ち、その奥には整然とした人工庭園がある。
空気はひんやりとしていて、吐く息が白く染まる。
「ちょっと、そこの」
背後から聞き慣れない声がした。
振り返ると、そこにはMA-1ジャケットを羽織った少女が――雷燦華が立っていた。
「あんた、日本支部のやつでしょ? ちょっと付き合いなさい」
ジャケットの裾と、彼女の真っ赤な髪の毛が軽く風に揺れ、彼女の鋭い視線が俺を射抜く。